25.オーガ①
オーガは、一歩ずつこちらへ進んでくる。
ゆっくりと――
まるで焦らすように、こちらの恐怖を味わうように。
床を踏みしめるたび、鈍い音が響く。
「……来るぞ。ソフィア、ストレングスを頼む!」
いつも通り、声をかける。
だが――
返事はない。
「……ソフィア?」
振り向く。
そこにいたのは――
「……ごめんなさい……ごめんなさい……わたしが……わたしのせいで……」
蹲り、顔を伏せたまま、震える声で繰り返しているだけのソフィア。
「ソフィア、しっかりしろ!」
思わず声を荒げる。
「この部屋に入ったのはお前のせいじゃない! だから――」
届かない。
俺の言葉は、まるで聞こえていないかのように、ただ謝罪だけが零れ続ける。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
その間にも――
オーガは、確実に距離を詰めてくる。
「……くそっ」
歯を食いしばる。
「……やるしかない、か」
このままじゃ、二人とも終わる。
そう思い、俺は一歩、前に出た。
⸻
間合いに入る。
踏み込み――一閃。
キィン――
確かに、当たった。
渾身の一撃。
赤い肌へ、一直線に斬り込んだ。
だが――
「……は?」
傷が、ない。
斬ったはずの軌跡すら、残っていない。
オーガは軽く腕を振る。
「くっ――!」
ギリギリで、後方へ飛ぶ。
直撃は避けた。
だが――
「……っ、が……!」
左腕に、焼けるような痛みが走る。
掠っただけ。
ほんの、指先が触れただけだ。
それなのに――
「……これで……この威力かよ……」
腕が、まともに動かない。
力が入らないどころか、感覚すら曖昧になる。
それでも――
止まれない。
⸻
何度も、踏み込む。
狙うのは急所――目。
それしか、通用しない。
足を狙い、体勢を崩そうとする。
だが――
すべて、弾かれる。
硬いなんてレベルじゃない。
“通らない”。
その事実だけが、突きつけられる。
そして――
その度に、振るわれる腕。
ギリギリでなんとか避ける。
一発でも当たれば、終わりだと分かる。
そんな綱渡りが、何度も続く。
⸻
「……グゥゥゥ……」
低く、唸る。
そして――
「ガァァァァァッ!!」
咆哮。
空気が震える。
同時に――
振り下ろされる腕。
「っ――速っ……!」
今までとは、明らかに違う。
こいつ……今までは、
遊んでやがったのか。
避けきれない。
咄嗟に剣を構える。
受けるしかない――
「――っ!!」
次の瞬間。
俺の剣は、まるで枝のようにへし折られた。
そのまま――
衝撃が、全身を貫く。
⸻
視界が、弾けた。
体が宙を舞い、そのまま壁へ叩きつけられる。
肺の中の空気が、一気に吐き出された。
「……っ、がは……!」
床に落ちる。
口の中に鉄の味が広がった。
「……っ……」
痛い。
そんな言葉では到底足りない。
骨が軋む、なんてものじゃない。
――砕けている。
そう理解できるほどの激痛が、全身を支配していた。
意識が、遠のく。
「……ダメだ……」
ここで、落ちたら――終わる。
歯を食いしばり、無理やり顔を上げる。
「ミ、ミナト……さん……?」
すぐそばから、震える声が聞こえた。
どうやらソフィアの近くまで吹き飛ばされていたらしい。
「ミナトさん……ごめんなさい……私のせいで……」
ようやくこちらに気づいたソフィアは、今にも泣き崩れそうな顔をしていた。
「よかった……やっと、……いつも通りのソフィアだ……」
かすれた声で、なんとか言葉を紡ぐ。
その間にも、オーガはゆっくりと、だが確実にこちらへ歩み寄ってくる。
「ごめんなさい……私のせいなのに……私も……戦えたら……」
「もう、謝らないで……ソフィア……。大丈夫……俺が、なんとかする……だから……安心してくれ……」
喉が焼けるように痛み、まともに声が出ない。
それでも、泣いている彼女を少しでも安心させたくて、言葉を絞り出す。
守らなきゃいけない。
仲間1人助けられずに何がSランクになるだよ。
だから。
(……動けよ……)
心の中で、何度も叫ぶ。
(立てよ……!)
指先に力を込める。
だが、それすら震えるだけで、地面を掴むことすらできない。
(……なんでだよ……)
ここまで来て。
やっと、戦えるようになって。
守れると思ったのに。
(……また……諦めなきゃいけないのかよ……)
目の前で、大切なものが壊れていくのを――
ただ、見ているだけなのか。
「……いやだ……」
ぽつりと、言葉が零れる。
「……もう、逃げねぇって……決めただろ……」
ゆっくりと歯を食いしばる。
「……なのに……また……何もできねぇなんて……絶対に嫌だ……!」
動かない体を無理やり引きずるように、全身に力を込める。
後先なんて考えない。
自分の中に残された、すべての力を振り絞る。
その瞬間――
俺の意識は、引きずり込まれるように暗闇へと沈んでいった。




