24.洞窟
気づけば、空は夕焼けに染まり始めていた。
橙色の光が木々の隙間から差し込み、長い影を地面に落としている。
「そろそろ戻るか」
「……はい……」
俺たちはダンジョンの出口へ向かおうと、踵を返しかけた――その時だった。
ざぁぁぁぁ――
突然、強い雨音が森を打ちつける。
一瞬で視界が霞むほどの、激しい雨。
「……雨?」
思わず足を止め、空を見上げる。
初心者ダンジョンで雨が降るなんて、聞いたことがない。
違和感が、胸の奥に引っかかる。
「え、えっと……雨、みたいですね……」
ソフィアも戸惑ったように周囲を見回している。
その声には、わずかな不安が滲んでいた。
ダンジョンの出口までは、まだ距離がある。
この視界の悪さでゴブリンと遭遇すれば、不意打ちを受ける可能性も高い。
どうする――
そう考えた瞬間、
「ミナトさん……あ、あっちに洞窟が……あります……」
ソフィアが、森の奥の方を指差す。
視線の先――木々の隙間に、不自然な影。
確かに、洞窟の入り口のようなものが見える。
「……ああ、あそこなら雨はしのげそうだな」
短く判断する。
「一旦、あそこで様子を見るか。行こう」
「は、はい……!」
小さく頷き、ソフィアは俺の後をついてくる。
俺たちは雨をかき分けるようにして、その洞窟へと向かう。
不自然に開けた木々の間を抜けていく。
まるで――
最初からそこに“誘導されている”かのように。
⸻
「……変、ですよね。一層に洞窟があるなんて、聞いたことがありません。それに……雨が降るなんて……」
不安そうに呟く。
「やっぱりソフィアもそう思うか」
初心者ダンジョンに洞窟が存在しているのは、三層のボス部屋だけだ。
それ以外に洞窟があるなんて話は、一度も聞いたことがない。
「……なんだか、不気味です……」
ソフィアはランタンを掲げ、洞窟の奥を照らしながら小さく言う。
だが、その明かりをもってしても――奥は見えない。
闇が、光を飲み込んでいるようだった。
「ああ……でも、今外に出るのも危険だろう。なるべく奥に入りすぎないようにして、ここで雨が止むのを待とう」
「……はい……」
小さく頷く。
「……あ、そうだ。念のため、洞窟の奥に魔物がいないか……探知で分かるか?」
「は、はい……やってみます……」
目を閉じ、集中するソフィア。
しばらくの沈黙の後――
「……ミナトさん」
ゆっくりと目を開く。
「わたしの探知の範囲内では……洞窟の奥に、魔物の反応はありません……」
そこで一度、言葉を区切る。
「……ただ……外から、ゴブリンの集団が……こちらに向かってきています……」
「なっ……!?ほんとか!?」
外へ視線を向ける。
雨で視界は悪い。それでも――
ぼやけた中に、緑色の影がいくつも動いているのが見えた。
数は、分からない。
だが――明らかに、今まで見たことがない規模だ。
「……ソフィア、洞窟を出るぞ。ゴブリンがいない方向に、全力で逃げる」
そう言って走り出そうとした、その瞬間。
腕を掴まれる。
「……待ってください!」
「ど、どうした?」
「だ、ダメです……まだはっきり見えませんけど……囲まれてます……」
震える声。それでも、必死に言葉を繋ぐ。
「行くなら……こっちしか……」
ソフィアの言う方向。
――洞窟の奥。
さっきまで、不気味だから行くのをやめようとしていた方向だった。
「……行くしかないか」
短く呟く。
ソフィアの手を掴み、そのまま走り出す。
⸻
どれくらい走ったのか分からない。
やがて――視界が開けた。
広い空間。
そして、その先にはもう道はない。
あるのは――
三メートルはあろうかという、巨大な扉。
「……ソフィア、まだ追ってきてるか?」
「は、はい……」
息を整えながら、ソフィアは答える。
「……やっぱり、わたしたちを追ってきているとしか……思えません……」
ここまでの道は一本道だった。
ということは――
いずれ、ここでぶつかる。
「……ミナトさん」
少しだけ声が震える。
「もう……扉の中に入るしか、道はありません……」
「ああ……分かってる」
視線を扉に向ける。
「……ただ……」
言葉が続かない。
この先に何があるか分からない。
それでも、このままここにいれば確実に挟まれる。
目の前の扉は、まるで――
ボス部屋への入り口。
いや、三層のそれよりもさらに禍々しい存在感を放っていた。
ゴブリンと戦うか。
それとも――扉の中へ逃げるか。
迷いが、足を止める。
「……あの……中を、少しだけ確認してみるのはどうでしょう……?」
俺の迷いを感じたのかソフィアは控えめに提案する。
「危なかったら、すぐに戻って……大丈夫そうなら、そのまま中でやり過ごしましょう……」
「リスクはありますけど……ここでただ待つよりは……」
まっすぐにこちらを見る。
「……まだ、いいと思います……」
「…そうだな」
小さく頷く。
「それでいこう」
⸻
ソフィアの提案を受け、俺は扉に手をかける。
重厚な見た目とは裏腹に――
扉は、拍子抜けするほどあっさりと開いた。
「……暗いですね……」
「ああ……何も見えないな」
中は光ひとつない闇だった。
どれほどの広さがあるのかすら分からない。
俺たちは警戒しながら、ゆっくりと中へ足を踏み入れる。
数歩――進んだ、その瞬間。
バターン――!!
「なっ……!?」
「えっ……!?」
背後で、扉が勢いよく閉まる。
同時に――
部屋の壁に沿うように、いくつもの灯りが順に灯っていく。
ぼん、ぼん、と。
薄暗かった空間が、一気に照らし出される。
「くそ……一旦、出るぞ」
すぐに踵を返し、扉に手をかける。
だが――
「……開かない……」
押しても、引いても、びくともしない。
まるで最初から“出口”など存在しなかったかのように。
「ミ、ミナトさん……あれ……」
震える声。
ソフィアが、部屋の中央を指差す。
俺は光にまだ慣れていない目を細めて、その先を見る。
そこにいたのは――
俺の倍はあろうかという巨体。
血のように赤い皮膚。隆起した筋肉。
鬼のような歪んだ顔。
口元からは、二本の牙が突き出ている。
そして何より――
額から、一本の角が生えていた。
「……なんで……こんなところに……」
ソフィアが、呆然と呟く。
「あいつ……やばいのか?」
見ただけで分かる。
強い。それも、桁違いに。
それでも、確認せずにはいられなかった。
「……強い、なんてものじゃありません……」
かすれる声。
「……あれは、オーガです……」
息を呑む。
「それも……額に角を持つ、特殊個体……」
オーガ。
通常個体でもCランクの魔物。
そしてここにいるのは特殊個体――
「……ミナトさん……」
震える手で、袖を掴んでくる。
「……逃げましょう……お願いです……」
今にも泣き出しそうな声。
「……あれは、絶対に……勝てる相手じゃ……」
だが――
「……悪い知らせだ、ソフィア」
視線はオーガから外さないまま言う。
「さっき試したが……扉は開かない」
「……え……?」
ゆっくりと、振り返るソフィア。
「う、嘘……ですよね……?」
自分の目で確かめるように、扉へ駆け寄る。
必死に押す。
引く。
叩く。
それでも――
びくともしない。
「……そんな……」
力が抜けたように、その場に崩れ落ちる。
「……ごめんなさい……わたしが……中を確認しようなんて言ったせいで……」
かすれた声が、床に落ちる。
「…どうやら」
俺は剣を構える。
視線の先では――
オーガが、ゆっくりとこちらを見据えていた。
喉が渇く。
心臓の音が、やけに大きく響く。
それでも――
「……戦うしかないらしいな、あの……化け物と」




