動き出す季節 その3
手紙を読み終えても、手が便箋を離そうとしなくて。彼の言葉を、何度も何度も心に刻む。もう、文字を読まなくても分かるほどに、何度も。溢れる涙で、便箋が濡れてしまわないようにしながら。
……こんなの、ずるいよ。
やっと、便箋から手を離すことができて。涙を拭おうとしたけれど、体よりも先に。心が叫び始める。
こんなに、私のことを見ていてくれたのなら。こんなに……想って、くれていたのなら。
もっと、抱きしめてほしかった。もっと、触れてほしかった。もっと、もっと……
でも、私がいけないんです。私がもっと早く、自分の気持ちに素直になれていれば。いつも、あなたの優しさを、ぬくもりを。もらうばかりで。最後の時でさえ、私からは何も言えなくて。ごめんなさい。
私も。私だって。私の方が。
あなたのことが、大好きです。
……今更、遅いですか?
この気持ちを伝えたら、あなたはどんなふうに受け止めてくれますか?
待ってたよ。
そう言って、抱きしめてくれますか?
込み上げる感情が、全て涙となって溢れ出す。両手で顔を覆っても。大声を出しても。止まる気がしない。
どうしよう。河野さん。河野、さん……
返事ちょうだい。その手紙の。待ってるから。
彼の言葉が、また私を救い出す。
待ってる。彼はきっと、いつまでも。絶対。……だから。
伝えなくちゃ、私の気持ちを。私の言葉で。涙として流しきってしまう前に、早く。
目をグイグイと力強く擦る。パン、パンッ、と両手で頬を叩く。……そこまではよかった。でも。
どうやって、伝えよう。
メール、じゃ駄目だ。手紙、はどうやって届けるの。
大きく溜め息をついてから、手紙に目を向ける。……ん?
封筒から、小さな紙がちょこんとはみ出している。そっと、引っ張り出してみる。
えっ。
そこには、彼の電話番号と住所が書かれていた。その紙を、思わずグッと握りしめる。
本当に、あなたって人は。
優しすぎます!!
気付いたら、目につく荷物を引っ掴んで、部屋を飛び出していた。
「ちょっと、奈月? そんなに急いでどう……」
「ごめんっ! 行ってくる!」
「どこに?」
お母さんの言葉には答えずに、扉を勢いよく開ける。
バタンッ。
背中でその音を聞き終える前に、勢いよく地面を蹴り上げる。
息が苦しくても。後ろから追い越してきた車が、砂埃を派手に撒き散らしても。向かいから歩いてきたおじさんが、私を見て目をガッと見開いていても。
全力で腕を振って、全力で足を上げる。
そのままの勢いで駅の階段を駆け上がり、発車寸前の電車に飛び乗る。
「わぁ! あのお姉ちゃん、どうしたのー?」
「こらっ。指差しちゃ駄目!」
そんな会話が、自分の荒々しい息にかき消されそうになりながら聞こえてくる。周囲からも、冷ややかな視線を感じる。
状況を把握すると、頬が勝手にみるみると赤くなる。その場に居づらくなって、息を整えながら隣の車両へと歩き出す。
……あ。
落ち着ける席を見つけると、急に頭が冷静に回り始める。
最寄り駅って、どこなのだろう。お金、足りるかな。お母さん、心配してるかな……
あーーーっ!!
さすがにまずいよね。彼に連絡せずに会いに行くのは。
自分の無謀さ加減に呆れながら、携帯を取り出す。
今日、やっと手紙を読みました。すみません。今から会いに行きます。返事を、する為に。
メールを送信して、携帯を閉じる。……なんて、言われるかな。
遅いよ、とか? いや。
わざわざ来てくれなくても、とか。電話でも十分だったよ、とか。そう言って、また大人びた対応をするんだ、きっと。
でも、それなら私は。
あんなラブレターをくれたあなたのせいです、って言ってやる。……言える、かな?
気持ちと自信のバランスを取れないまま、窓の外に視線を移す。
……綺麗。
瀬戸内海はどこまでも青く澄んでいて。きらめく光に包まれている。
あんなに見慣れていた景色が、こんなにも違って見える日が来るなんて。
私を運ぶ電車は、どんどんとスピードを増していく。彼の元へと。輝く太陽の光を浴びながら、どこまでも。




