迫り来る時 その2
晴れ渡った空に、澄んだ空気。紅葉が進んだ木々のグラデーションが、秋の深まりを実感させる。
来週、朝の散歩がてら、いつもの店に行かない? マスターが、新メニューの試食してほしいらしくて。開店前の時間なんだけど、どうかな?
時間を理由に断るわけなんか、ないのに。唇をほんの少し尖らせながら、返信をした、昨日の自分。それなのに。
待ち合わせ場所まで小走りをする足が、小石と落ち葉を勢いよく蹴飛ばして、撒き散らす。吐く息は冷たいけれど、体はほどよく温まっている。
どうして、いつも通りの時間にアラームを設定してしまったのだろう。
だから、子ども扱いされるんだよ。そう、昨日の自分に教えてあげたくなった。
「おはよう、そんなに急がなくてもよかったのに」
彼が目を擦っていた手をスッと引っ込める。
「いえっ!私のせいで遅刻しちゃってもっ、いけないし」
「大丈夫、こんな時間に呼びつけるマスターが悪い」
「えっ」
「ごめんね、付き合わせちゃって」
「全然! 嬉しかったので……しっ、新メニューもっ、気になりますし!!」
「そうだね」
目を細めて微笑む彼が、私の手を引いて歩き出す。
「……あったかい」
「え?」
「手。いつもより、あったかい」
いつもより。その言葉に、小さな胸の高鳴りを覚える。
「朝、何時に起きたの?」
「えっ!? ……な、内緒、ですっ」
「あ、言えないくらい遅かったんだ」
「……」
彼のいたずらっぽい笑顔を見て、急に胸がチクリと痛む。
「ごめん、からかいすぎた」
「いえっ! 大丈夫ですっ」
「……なら、いいいんだけど」
感じてしまった切なさをこっそりと吐く息に混ぜて、体の外に逃す。すると、一瞬のうちに秋の空気へと染み込んで、すぐに見えなくなってしまった。
「いやあ、すまないね。朝早くに」
店に入ると、マスターが手を擦り合わせながらやって来る。
「悪いなんて、思ってないんじゃないの?」
「まぁまぁ、ドリンクもサービスするからさ」
「……彼女のも、頼むよ」
「そりゃ勿論。奈……宮城さんも来てくれてありがとね」
「いえ。新メニュー、楽しみです」
「うん、期待してて。自信作だから」
マスターがニッと笑って、立ち去る。
「あんなに自信あるのに、試食、必要なのかな」
「さぁ……」
プッ、と彼が吹き出す。
「今、面白い顔してるよ」
「えっ!?」
慌てて両手で頬を覆う。手がじんじんするくらい、頬が熱い。
「あーあ。早くドリンク来ないかな」
彼がクスッと笑って、視線をそっと外してくれた。
「お待たせしました。秋の新作スイーツです」
二人の前にスイーツが運ばれる。
「わぁ! 美味しそう」
「感想は食後によろしく」
「はーい」
「じゃあ」
ごゆっくり、となぜか彼の耳元で囁いて、マスターが去っていく。
「余計な……」
「え?」
「なんでも。食べようか」
「はい!」
まずはカボチャのプリンをスプーンで一口。
「美味しいっ!」
次に、さつまいものタルトも食べてみる。
「これも甘い! 美味しい……」
ふと、私の方でだけ、食べている音がしていることに氣付く。
「河野さん?」
「ん?」
「食べてます?」
「うん。君の食べっぷりに圧倒されながら」
「えっ!?」
スプーンの上にあったプリンが、勢いよく跳ねる。お皿に着地する直前で、なんとかキャッチする。
「おっと、危なかったね」
「だっ、誰のせいだと、思ってるんですか……」
「ごめん、ごめん」
彼の笑顔を見つめながら、少し形が崩れたプリンを口に運ぶ。
「そっ、そういえば」
温かいミルクティーを飲みながら、尋ねてみる。
「河野さんも、朝、弱い方ですか?」
「え? なんで?」
「今日会った時、ちょっと眠そうだったので」
「……」
「やっ!私が言えることじゃないんですけどっ!」
自分から聞いておいて、視線がキョロキョロと定まらなくなる。
「……見られちゃってたか」
彼がカフェラテのカップをそっと置く。
「昨日、母さんと喧嘩してたら、寝るの遅くなって」
「えーっ!? 大丈夫なんですか!?」
「うん、大丈夫」
「そう、ですか」
想像できない光景に、頭がボーッとしてくる。
「聞かないんだね」
「え?」
「喧嘩の理由」
「え、だって……」
困らせるだけだから。その言葉は、口からは出てこようとしない。
「こっちに残りたいって言った。一人暮らしするからって」
「え……」
「でも、母さんが猛反対して。……結局、結果は変えられなかったけど。僕にだって、譲りたくないものがあるのに」
「……」
返す言葉が、見つからない。
「何だと、思う?」
「え?」
「僕の、譲りたくないもの」
「……」
目をパチパチさせながら、彼を見つめる。
「……ほんとに、君って子は」
彼が小さく息を吐いて、カフェラテを飲む。
「いつか、気付いてほしいな」
その言葉は、彼が口へ運んだプリンと共に、サッと消えてしまった。




