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あの日満開の桜の下で 〜目が見えにくい彼との物語〜  作者: 綾瀬 桜


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訪れてしまった秋 その1

 夏の暑さはすっかり抜けて、日陰ではあの太陽が恋しくなるほどひんやりと冷える。スカートの裾から、ヒューッと秋風がもぐり込んでくる。

「たしか、ここを曲がった辺りなんだけど」

 彼の手が分けてくれる体温が、私をじんわりと温める。

「あ! あれじゃないですか?」

「あぁ、ほんとだ」

 繋いだ手を小さく揺らしながら、二人で通りを歩いていく。


「この店なんか、どう?」

 期間限定のフリーマーケットの店が、通りに沿って立ち並んでいる。

「あ、見て、いいですか?」

「勿論」

 彼の笑顔が、柔らかい日差しに照らし出される。


「これとか、君に似合いそう」

 彼が、ヘアアクセサリーを手に取る。

「そう、ですか?」

「うん。あ、これもいいね。……ん? これ、ピアスかな?」

「えっと……そうですね。ピアスみたいです」

 指と指が、触れ合う。柔らかくて滑らかな感触が、心地いい。

「奈月ちゃん、ピアスは、しないかな」

「はい、イヤリングなら……」

 彼がピアスを台に戻す。離れていく指を。手を。つい、追いかけてしまいそうになる。

「んー、やっぱりこれかな」

 彼が最初に手に取ったヘアゴムを、手のひらに乗せる。白いビーズの花モチーフが、淡い光を帯びて、彼のぬくもりに抱かれている。

「ここで待ってて。行ってくる」

「え? どこに?」

 彼がクスッと笑う。

「どこって、レジに」

「えっ!? 買うなら自分でっ!」

「いやいや。僕が選んだんだから」

「でも……」

「僕が、買いたいんだ」

 そう言って歩き出す彼の後ろ姿を、ずっと目で追い続けた。そうしていないと、急にフッと消えてしまいそうな。そんな気がしてならなかった。


「お待たせ」

 はい、と彼が包みをそっと手渡してくれる。

「ありがとう、ございます」

 私もそっと、両手で受け取る。

「この後だけど」

 私がバッグに仕舞い終えるのを待ってから、彼が呟く。

「ちょっと寄り道、していいかな。公園に」

「はい」

「ありがとう。じゃあ、行こう」

 どちらからともなく、手を繋ぐ。暖かい日差しと涼しい風が一つになって、私たちを光の先へと連れていく。


「そういえば、私たちって、カラオケで歌ったことないですよね」

 通りに面したカラオケルームから、学生たちがワイワイと声を弾ませながら出てくる。

「ん? たしかに。友達とは、行ったりする?」

「滅多に行かないですけど、誘われることはあります」

「そっか。聞いてみたいな、君が歌うところ」

「え!? あんまり、上手くないです……」

「僕も。……でも、君となら楽しいかも」

「わっ、私も。河野さんの歌、聞いてみたい、ですっ」

 彼がちらりとこちらを振り向く。

「……また今度、ね」

 どこか切なさを帯びたその声が、ひんやりとした風と響き合って、木の葉を微かに震わせた。


 公園のベンチに腰掛けて、目の前に広がる景色をぼんやりと眺める。所々紅葉している木々が、色のアクセントを散りばめて、季節の変わり目を楽しんでいるようだった。

「もう、紅葉し始めてるんだね」

 隣の彼がボソッと呟く。

「そうですね。でも、紅葉狩りはまだ当分先になりそうですね」

「うん」

「あのっ、よかったら……その、一緒にっ」

「奈月ちゃん」

 彼の声が、私の言葉を静かに遮る。心臓がビクッと跳ねて、言葉は胸の奥へと引っ込む。

「……君に、伝えておきたいことがあるんだ」

 風が二人の間を駆け抜けて、冷たさだけを残していく。まるで隙間風のように、私の心にまで侵入してくる。

「来月」

 聞きたくない、と無意識に心が壁を作り始める。……けれど。

「引っ越すことになった。県外に」

 間に合うはずもなく、彼の言葉が虚しく響き渡る。

「おばあちゃんが……」

 どうして。どこに。彼の言葉を最後まで聞けずに。何を考えるよりも真っ先に。

「……奈月、ちゃん」

 激しすぎる涙が、音を立てることもできずに流れ落ちる。

「なつ……」

「うっ……」

 とめどなく溢れる涙が、呼吸の仕方さえ忘れさせる。

「急に、ごめん」

 彼が背中をそっと撫でてくれるけれど、体がヒクッ、ヒクッと跳ねるばかりで。

「……っ」

 泣き止みたくても、方法なんか分からない。枯れることを知らない涙の滝が、いつまでも流れ続ける。

 コトン。

 その音で、いつの間にか背中を撫でていた手が止まっていることに気付く。

 グイッ。

 その力強さで、彼が杖を手放したのだと理解する。

「……僕も、泣いていい?」

 返事をする間もなく、彼の涙が、私の頭の上に落ちる。そのまま私の心に届いて、涙の滝の源に溶け込む。そして、大きな渦を巻き起こして、体の外へと溢れ出す。

 風も、太陽も。何者も制止できない激しさで、私たちは泣き続けた。

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