表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの日満開の桜の下で 〜目が見えにくい彼との物語〜  作者: 綾瀬 桜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
41/56

進んでいく夏 その4

 控えめな熱を帯びた風と遠慮のない蝉の声が、網戸をくぐり抜けて一気に流れ込んでくる。開け放ったカーテンがバッと舞い上がっては静かに戻る。

 ノートに書き連ねた数字を見つめてから、もう数分。私の思考も。ペンを走らせる手も。固まってしまって、動かない。

 どうしよう。……お金が、足りない。

 夏休みはまだあと半分くらい残っている。来月のお小遣いを考慮しても、足りそうにない。……でも。

 まだまだ出かけたい。彼と。


 なら、奈月ちゃん。これ以上は譲れない。

 彼の、あの言葉。あの時はちゃんと考えられなかったけれど、あれって、つまり……

 頬がボッと赤くなる。頬に当たる風が、帯びた熱の高さをくっきりと際立たせる。

 あの言葉の、その先にある景色を。見たい。

 段々と抑えきれなくなってきた欲望に。期待に。押しつぶされてしまいそうな自分を。ペンを強く握りしめて、どうにか現実へと連れ戻す。

 今は、目の前の問題だ。そう言い聞かせて、感情の波を鎮まらせる。


「お母さん」

 リビングに行くと、お母さんは新聞紙をチョキチョキと切り取っていた。

「……何してるの?」

「何って、記事を切り抜いてるのよ」

「なんで?」

 向かいの席に座って、既に切り抜かれた記事を読んでみる。どれもこれも難しい内容で、お母さんが関心を持つようなものには思えなかった。

「気付いたら、新聞紙がいっぱい溜まってるじゃない。捨てようと思ったんだけど、お父さん、読み返すかなって」

「そっか」

 お母さんって、お父さんのこととなると、すごいなあ。前にも、お父さんが帰ってくる前に頑張って書類整理してたっけ。

 彼女の新聞に向けられた真剣な眼差しに、私は釘付けになっていた。

「で? 何か用じゃなかったの?」

 チョキ、チョキ。手を止めずにお母さんが尋ねる。

「……うん。でも、今じゃなくても」

 いい、と心の中で呟きながら、窓の外に目を向ける。

 鳥の群れが、空を飛んでいる。一羽だけ、みんなとは違う方へと飛んでいく。けれど、その鳥は迷うことなく、凛とした姿で遠くの空へと。

「……アルバイト、しようかなって」

 声が震えなかった。そのことに、胸がドキドキしている。

 チョキ。音が鳴り止む。

「急にどうしたの?」

 お母さんがこちらをまっすぐ見つめている。

「お金、貯めたいから」

「何の為に?」

「えっと……そ、それは……」

 さっきまでの勢いは、ささやかな風に持って行かれてしまった。

「別に、反対してるわけじゃないわよ?」

 お母さんが顔を覗き込んでくる。

「ただ、知りたいの。だって、初めてじゃない。奈月がそういうこと言うの」

 お母さんがそっと、新聞紙を脇に避ける。

「えっと、その……」

 言葉はいつだって、いいようにまとまってくれない。

「夏休み、で……出かけることが、多い、から」

「あら、それならお小遣い、夏休みの間だけ、足そうか?」

「えっ、でもっ」

「お母さんは、アルバイトよりは勉強頑張ってほしいわね」

「……」

 返す言葉が見つからない。

「それに」

 お母さんが子どもみたいに無邪気な笑顔を見せる。

「アルバイトしてたら、予定立てにくいわよ? デートとかの」

「えっ!?」

 危うく、椅子から転げ落ちそうになる。

「もうっ。それならそうと言ってくれればよかったのにー」

「だって……」

 勝手に口がもごもごとなって、その先を言えない。

「分かったわ。じゃあ、もし奈月が返したいなら、働き出してから返してちょうだい」

「えっ、でもっ!」

「お母さんはそれで困らないし。学生時代は今しかないのよ。ね?」

 お母さんお得意の、ウインクが飛んでくる。

「……うん」

 すごい破壊力。これじゃ、お父さんも何も言い返せないや。

「さてと。そろそろお昼ご飯よねー」

「お母さん」

 歩き出そうとする彼女を引き止める。

「ん?」

「……ありがとう」

 いいのよ、と軽やかなステップで台所へと消えていく。

 テーブルの上に残された新聞の切り抜きが、日光に照らされて、仄かな光を放っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ