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あの日満開の桜の下で 〜目が見えにくい彼との物語〜  作者: 綾瀬 桜


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溶け切らない夏 その5

「え、映画っ、面白かった、ですね……」

 映画はちゃんと見れた、はず。でも。まだ胸が変にドキドキしている。

「うん、なかなかよかった」

 フライドポテトの塩気。ハンバーガーのジューシーな匂い。映画の中で、カップルがファーストフード店で美味しそうに食事をする場面があった。その影響で二人とも、自然と足が向いた。

「どのシーンがよかったですか?」

「そうだね……」

 彼が遠くを見るような目をする。私は彼の目に映っているものを知りたくて、じっと彼の目を見つめる。

「映画の感想なんだけど」

 急に、彼がこちらをまっすぐ見てくる。体がビクッと反応してしまう。

「後で、話すのでもいいかな? いろいろ聞きたいこともあって。ここでは、ちょっと」

 彼がヒソヒソ声になる。周りの盛り上がっている声で、聞き取るのがやっとだ。

「分かりました」

 私も少し声をひそめて答えると、彼は嬉しそうに頷く。

「ケチャップ、ついてるよ」

 彼がこちらに顔を寄せて言う。

「えっ!」

 慌てて紙ナプキンで口元をゴシゴシと擦る。

「そんなに拭かなくても」

 指摘した張本人がクスクスと笑う。私もなんだかおかしくなって、少し声を出して笑う。肩の力が、フッと抜けた気がした。


「そういえば、大学はもう夏休みなのかな?」

「はい! 先週から」

「そっか。授業の課題とか、多いの?」

「いえ、そんなには……」

 ミルクティーを一口飲むと、やけに甘く感じる。ふと、すぐ近くを駆けていく男の子が目に入る。

「だったらさ」

 子どもは元気だなあ。そんな呑気な感想が頭をよぎっているうちに、彼の言葉が旋風のように迫ってくる。

「もう少し頻繁に、会える?」

「えっ!?」

 ガシャッ。持っていたミルクティーの中の氷が大きな音を立てる。

「そんなに驚かなくても」

「す、すみません……」

「謝らなくていいよ。君が、そういう子だってことは、分かってきたから」

「……」

 言っている意味はよく分からなかったけれど、彼が優しく微笑んでくれていることに、胸を撫で下ろした。


 店を出てしばらく歩くと、広い公園に辿り着いた。海が近くて、潮風が心地いい。風にさらわれる砂もサラサラとしていて、真夏の暑さを忘れてしまいそう。

「それで、映画のことだけど」

 ベンチに二人並んで腰かける。

「後半に、音楽だけ流れてたところ。あれってどういうシーン?」

「あ。えっと、あれは主人公の回想で……」

 私の拙い説明を聞きながら、うんうん、と彼が頷く。

「なるほど。ありがとう」

「いえ。他のシーンは、大丈夫ですか?」

「んー……あ、そうそう。主人公の妹さんが……」

 そんなやりとりをする私たちを、広い海が穏やかな波音で包み込んでくれる。ゆっくりと、時間が流れていく。


「そういえば」

 彼の視線が私の後方へと移る。

「もしかして、髪、切った?」

「……は、はい」

 気付いて、くれたんだ。胸がじんわりと温かくなる。

「やっぱり、そうか……」

 言いながら、彼が手を伸ばしてくる。

 えっ。

 そう思った時にはもう、その手は私の髪に到達していて。束ねている根元から先端に向けて、そっと撫でられる。

「……っ」

 髪の毛の一本、一本が、彼の体温を余すことなく吸い上げる。頭に集められた熱が、私の感覚を鈍らせていく。意識が遠のく感覚に、ギュッと目を閉じる。

 そこへ、彼の囁き声が流れ込む。

「あんまり無防備だと、困っちゃうよ」

「……え?」

「……僕が」

「……」

 とろけてしまいそうな感覚が身体中を襲う。このまま。はちみつみたいに溶けてしまったら、駄目、かな。一瞬、魔が刺す。

 ……でも、まだ。

「君の前では、もっと大人でいたい、な」

 そっと、手が離れていく。私の心も、ほんの少しだけ、冷静さを取り戻す。

 それからしばらく、二人とも何も言わずにただただ海を眺めた。夕日がゆっくりと沈んでいき、海と溶け合いながら、波にきらめく粒子を散りばめる。やがて、海全体を赤く染め上げる。もう何度も見てきたはずの光景に、心を強く打たれる。

 いつか、私もあんなふうに。あなたと。

 熱くなる心を抱いて、いつまでも眺め続けた。

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