表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/36

溶け切らない夏 その3

 すれ違う車が巻き起こす土煙を避けながら、少しでこぼこした道を歩いていく。緩い風がふわりと髪をなびかせる。チリン、チリン、と風鈴が涼しげな音を奏でる。太陽もたまには一休みするのだろう。背中にはさらりとした汗をかくぐらいだ。

 美容院に入ると、ひんやりとした空気と共に、おしゃれな雰囲気の洋楽が流れてくる。高い天井。開放的な窓。磨き上げられたフローリング。その全てが、外界とは無縁の空間に迷い込んだような感覚へと誘う。

「いらっしゃい」

 いつものお姉さんがにこりと笑って出迎えてくれる。

「シャンプーもするよね?」

「はい」

 どうぞ、と案内されたシャンプー台で、言われるままに体を預ける。もこもこと柔らかい泡が頭を包み込み、爽やかなハーブの香りがフワーッと漂う。きめ細かいシャワーの水が、これまで蓄積された複雑すぎる感情までも洗い流していく。心が、ときほぐされていく。心地よい眠気の波に、さらわれてしまいそう。


「久しぶりね。随分伸びたね」

 ブラシで髪をとかすお姉さんの手つきは滑らかで、いつも鏡越しにうっとりとしてしまう。

「今日は、どのくらい切る?」

「……」

 目を閉じると、彼の顔がフッと頭をよぎる。

 ……長いのと、短いのと。どっちが好きかな。

 出るはずのない答えを求めて、胸がざわつき始める。

「宮城ちゃん?」

 お姉さんの声で、重く閉じられていた目を開ける。

「……七センチ、くらいで」

「はーい」

 明るい彼女の声が、なぜか私の心をかき乱す。チョキ、チョキ、と軽快な音を鳴らすハサミが、私の中途半端な決断を責めるように迫ってくる。

 どうしていつも、こうなのかな。

 鏡に映る自分の顔が、やけにやつれて見えた。


「はい。こんな感じでどう?」

 お姉さんが鏡を手に、仕上がりを確かめる。

「はい、大丈夫です」

 少しだけ短くなった髪を手で撫でてみる。ちょっぴりだけれど、変われた気がして、フッと軽く息を吐く。

「せっかくだから、髪、結ぼうか」

 お願いします、と言い切る前に、彼女は髪にブラシを当てていく。慣れた手つきで、髪を繊細に編んでいく。

「はーい、できたよ」

「わ!すごい……」

 細かく編み込まれた髪は、まるで自分のものではないかのように見えた。

 できる人がやれば、こんなに違うんだ。

 さっきまでの感動の波はスッと引いて、心地よくない波が荒々しく押し寄せる。

「宮城ちゃんも、練習したらできるよ」

 その純粋な言葉が、私の心をえぐり取る。

「……そうだと、いいんですけど」

 笑おうとした頬がひきつって、心も引き千切れてしまいそうだった。


「あら、可愛いじゃない」

 冷蔵庫に買ってきた菓子パンを仕舞っていると、お母さんが後ろから声をかけてくる。

「美容院の人がやってくれたよ」

「そう。こんなに細かく、よくできるわねぇ」

 まじまじと見られていて、冷蔵庫を閉めるのも躊躇われる。仕方なく、その場に立ち尽くす。


「お母さんは、編み込み、できる?」

 リビングへと向かいながら、さり気ない感じを装って尋ねてみる。リンゴジュースを運ぶ手が微かに震え、ジュースもそれにつられて小刻みに揺れる。

「できないわよ、そんな細々したこと」

 お母さんは堂々と答えて、お煎餅を頬張る。

「……」

 バリバリッ、とお煎餅が砕ける音が豪快に鳴り響く。予想外な答えの破壊力は計り知れない。バリバリッ。いつまでも、その音が耳の中でこだまする。

「お母さんは、お裁縫とかアイロンとか、なんでもできるじゃん」

 ジュースを勢いよく口に流し込んで、そのままの勢いで言い放つ。

「それはそれよ。人にはね、向き不向きってもんがあるのよ」

 食べる? とお母さんがお煎餅を差し出す。

「編み込み、練習してみたいって、思う?」

 受け取ったお煎餅を握りしめたまま、続ける。

「そうねえ。お母さんは必要ないからそう思わないけど。でも、上手くなりたいって思うことがあったら、頑張って練習するかもね」

 そう言うと、くるりと向きを変えて、テレビ画面に視線を移してしまう。

 お母さんの背中を見つめながら、手に持ったお煎餅を一口かじってみる。パリッ。思ったよりも薄かったお煎餅が軽やかな音を立てる。もう一口頬張ってみると、ほどよい塩気が口いっぱいに広がっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ