溶け切らない夏 その3
すれ違う車が巻き起こす土煙を避けながら、少しでこぼこした道を歩いていく。緩い風がふわりと髪をなびかせる。チリン、チリン、と風鈴が涼しげな音を奏でる。太陽もたまには一休みするのだろう。背中にはさらりとした汗をかくぐらいだ。
美容院に入ると、ひんやりとした空気と共に、おしゃれな雰囲気の洋楽が流れてくる。高い天井。開放的な窓。磨き上げられたフローリング。その全てが、外界とは無縁の空間に迷い込んだような感覚へと誘う。
「いらっしゃい」
いつものお姉さんがにこりと笑って出迎えてくれる。
「シャンプーもするよね?」
「はい」
どうぞ、と案内されたシャンプー台で、言われるままに体を預ける。もこもこと柔らかい泡が頭を包み込み、爽やかなハーブの香りがフワーッと漂う。きめ細かいシャワーの水が、これまで蓄積された複雑すぎる感情までも洗い流していく。心が、ときほぐされていく。心地よい眠気の波に、さらわれてしまいそう。
「久しぶりね。随分伸びたね」
ブラシで髪をとかすお姉さんの手つきは滑らかで、いつも鏡越しにうっとりとしてしまう。
「今日は、どのくらい切る?」
「……」
目を閉じると、彼の顔がフッと頭をよぎる。
……長いのと、短いのと。どっちが好きかな。
出るはずのない答えを求めて、胸がざわつき始める。
「宮城ちゃん?」
お姉さんの声で、重く閉じられていた目を開ける。
「……七センチ、くらいで」
「はーい」
明るい彼女の声が、なぜか私の心をかき乱す。チョキ、チョキ、と軽快な音を鳴らすハサミが、私の中途半端な決断を責めるように迫ってくる。
どうしていつも、こうなのかな。
鏡に映る自分の顔が、やけにやつれて見えた。
「はい。こんな感じでどう?」
お姉さんが鏡を手に、仕上がりを確かめる。
「はい、大丈夫です」
少しだけ短くなった髪を手で撫でてみる。ちょっぴりだけれど、変われた気がして、フッと軽く息を吐く。
「せっかくだから、髪、結ぼうか」
お願いします、と言い切る前に、彼女は髪にブラシを当てていく。慣れた手つきで、髪を繊細に編んでいく。
「はーい、できたよ」
「わ!すごい……」
細かく編み込まれた髪は、まるで自分のものではないかのように見えた。
できる人がやれば、こんなに違うんだ。
さっきまでの感動の波はスッと引いて、心地よくない波が荒々しく押し寄せる。
「宮城ちゃんも、練習したらできるよ」
その純粋な言葉が、私の心をえぐり取る。
「……そうだと、いいんですけど」
笑おうとした頬がひきつって、心も引き千切れてしまいそうだった。
「あら、可愛いじゃない」
冷蔵庫に買ってきた菓子パンを仕舞っていると、お母さんが後ろから声をかけてくる。
「美容院の人がやってくれたよ」
「そう。こんなに細かく、よくできるわねぇ」
まじまじと見られていて、冷蔵庫を閉めるのも躊躇われる。仕方なく、その場に立ち尽くす。
「お母さんは、編み込み、できる?」
リビングへと向かいながら、さり気ない感じを装って尋ねてみる。リンゴジュースを運ぶ手が微かに震え、ジュースもそれにつられて小刻みに揺れる。
「できないわよ、そんな細々したこと」
お母さんは堂々と答えて、お煎餅を頬張る。
「……」
バリバリッ、とお煎餅が砕ける音が豪快に鳴り響く。予想外な答えの破壊力は計り知れない。バリバリッ。いつまでも、その音が耳の中でこだまする。
「お母さんは、お裁縫とかアイロンとか、なんでもできるじゃん」
ジュースを勢いよく口に流し込んで、そのままの勢いで言い放つ。
「それはそれよ。人にはね、向き不向きってもんがあるのよ」
食べる? とお母さんがお煎餅を差し出す。
「編み込み、練習してみたいって、思う?」
受け取ったお煎餅を握りしめたまま、続ける。
「そうねえ。お母さんは必要ないからそう思わないけど。でも、上手くなりたいって思うことがあったら、頑張って練習するかもね」
そう言うと、くるりと向きを変えて、テレビ画面に視線を移してしまう。
お母さんの背中を見つめながら、手に持ったお煎餅を一口かじってみる。パリッ。思ったよりも薄かったお煎餅が軽やかな音を立てる。もう一口頬張ってみると、ほどよい塩気が口いっぱいに広がっていった。




