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溶け切らない夏 その2

 ジリジリと照りつける太陽が、生い茂る木々をぐったりとさせている。アスファルトに靴が擦れる度、熱気を帯びた砂埃が舞い散る。日傘を掴む手からはボタボタと汗が滴る。彼から再びメールが届いたのは、そんな真夏の頃だった。


 いつか予定、空いてるかな?またお茶でもしたい、あの喫茶店で。


 思い出して、唇が上向きになる。敬語が、とれてる。これって、少しは近づけた、ってことだよね。そう思うと、足取りが軽くなって、ぐんぐんとスピードが上がる。どんどんと、彼の元へと近づいていく。


 喫茶店に入ると、いつもの席に彼はいた。彼の視線は、握られた1枚の紙へと一心に注がれている。真剣な眼差し。窓から差し込む日光も、ピカーッと紙を照らし出している。

 ・・・いいなあ。

 思わず、息が漏れる。その息のねっとりとした感覚に、背中がゾクッとする。私もあんなふうに見つめられたい、なんて。噴き出す欲望に飲み込まれないうちに、彼に歩み寄っていく。

「河野さん」

 体から今にも溢れ出してしまいそうな欲になんとかフタをして、声が震えないようにお腹に力を入れる。

「宮城さん、こんにちは。今日も暑いね」

 彼がこちらに顔を向けて、穏やかに笑う。握られていた紙が冷房の風にあおられて、グニャッと曲がる。

「は、はいっ。・・・あの、まだ何も注文していないんですか?」

 向かいの席に座ると、テーブルの隅に置かれたグラスの水が鈍い光をこちらに向けて放っている。

「うん。君が来てから、と思って」

 彼がグラスを握り、自分の方へと引き寄せる。5つの爪が光を吸い寄せては、あらゆる角度へとはね返す。あまりの眩しさに、目を細める。

「・・・もう、ぬるい」

 彼はほんの少しグラスに口をつけて、すぐに離す。僅かについた水滴が、唇を艶かしく光らせる。

「何か冷たい物でも頼もうか」

 唇の動きに体がビクンとして、ずっと目を奪われていたことに気付く。

「はは、はいっ!!」

「ん?どうかした?」

 彼が不思議そうに私の顔を覗き込む。

「いえっ!なんにも!疾しいことなんかありませんっ!!」

 何それ。そういって彼がクククッと堪えるようにして笑う。

「尋問したつもりはないんだけどな、僕」

「すみません・・・」

 火傷しそうなほど熱くなった頬を冷ます方法が見つからない。目をキョロキョロと動かすと、あの紙が目に止まる。

「あのっ、何、見てたんですか?」

「ん?あぁ、これ?」

 彼が紙を拾い上げて、私に見えるように向きを変える。

「今やってる映画の情報。どれがいいか、相談したくて」

「・・・」

 さっきまで妬ましさを感じてしまっていた紙切れが、愛おしい手紙の便箋のようにさえ思えてくる。

「映画デート、リベンジさせてくれる?」

 彼の言葉が穏やかな波となって、鼓膜を刺激する。膨らみ切った欲望に疲れ果てていた心を、まどろみの温かさで満たしていく。

「・・・はい」

 彼の温度に酔いしれるように、そっと目を閉じる。私はもう、十分に満たされている。胸のゆっくりとした鼓動が、そう告げている。

「ちょっとお二人さん。そろそろ注文、いいかい?」

 マスターのさっぱりとした声が降ってくる。

「ごめん、マスター。けど、彼女の水、まだだよ」

「おっと、失礼!すぐにお持ちします」

 くるっと向きを変えて、サーッと消えていく。私たちが息をつく間もなく、マスターがひょいっと現れる。

「はい、お水。ごめんね」

 マスターの白い歯が明るく光る。

「いえ、ありがとうございます」

 その明るさに、私も自然と笑顔になる。

「じゃあ、注文決まったら呼んでねー」

「はーい」

 弾んだ声で返事をして、マスターを見送る。


「・・・他の人には、そんな顔見せるんだ」

 彼の不満そうな声に、目がギョッとなる。

「あんなふうに笑ってほしい、僕の前でも」

「・・・」

 握りしめていたグラスの水が、ゆらゆらと危なっかしく揺れる。こぼさないように、そっとテーブルに置く。

「・・・私、楽しい、んですよ」

 彼の視線を感じたけれど、俯いたまま続ける。

「河野さんと・・・仲良く、なりたい、です。だから・・・」

 バッグに視線を移して、中からストラップを取り出す。

「これ、よかったら・・・」

 ブラウンのクマのストラップを両手で包み込んで差し出す。

「・・・」

 彼の声が聞こえてこない。

「・・・」

 耐え難い沈黙に、息が詰まりそう。

「あのっ、いらない・・・ですよねっ!こんな可愛い感じの、」

「いる」

「え?」

 顔を上げると、彼の手がストラップへと伸びてくるのが見えた。ヒモをつまんで、ひょいっと持ち上げる。クマが小さく揺れながら、彼の元へ。

「でもっ、あの・・・」

「みんなに自慢できる。女の子にもらったんだ、って。・・・ありがとう、大切にする」

 彼がパッと明るく笑う。窓からたっぷりと降り注ぐ日光が、彼の周りに無数の光の粒子を散りばめる。

「はい!」

 私も一緒になって笑う。

「そう、それだよ」

 彼が目をやんわりと細めて呟く。

「その笑顔だよ」

 店内に流れるジャズのメロディーに弾む音符が滑り込み、いつもよりポップな曲調へと変わっていく。テーブルの上で並べられた2つのグラスが、晴れ渡った空を映し出していた。

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