眩しすぎる夏 その5
私たちの傍で遠のいていく足音。ヒソヒソと囁かれる声。その原因が私にあることは分かっていても、涙はなかなか止まってくれなかった。その間ずっと、彼は待ち続けてくれた。何度も何度も、涙を拭ってくれた。その手の温度をはっきりと感じられるようになった頃、ようやく涙の波が引き切ってくれた。
「・・・もう、大丈夫、かな」
彼の手がゆっくりと離れていく。涙で濡れた指が、まだらに鈍い光を放っている。
「すみ・・・、あ、ありがとう、ございます」
私の頬はまだ、自分のものだけではない温かさを残している。その温かさが、私の暴れていた心を沈めていく。
「よかったら」
彼が一文字、一文字、ゆっくりと話す。私もその音を、ひとつひとつ、体内に取り込む。
「場所、を、うつして、話そう、か」
彼の穏やかな声が、まるで鎮静剤のように身体中へ染み込んでいく。
「・・・」
目を閉じて、もう波が立っていないことを確かめる。
「・・・はい」
目を開けると、彼が静かに何度も頷いていた。
「それなら」
彼がそっと手を差し出す。
「手、繋いでも、いいかな」
「・・・え?」
「君がまた、立ち止まらなくて、済むように」
どうして。
どうしてこの人は、こんなにも。
「・・・」
私も、もっと上手に気持ちをすくい上げたい。
そう思って伸ばす手は、やっぱりまだ届かなくて。
「行こう」
彼が優しく引き寄せてくれる。春の陽だまりのように温かい手のひらが、私の全てを包み込む。傷だらけだった心が、元の形を取り戻していく。
私もこんなふうにできたら。
そう思いながら見上げる彼の横顔は、いつにも増して大人びて見えた。
外に出ると、緩やかな追い風が背中を撫でる。繋いだ手が小さく揺れて、風と優しく絡まる。太陽が少し遠慮して、暑さを和らげてくれている。
彼の提案で入ったカラオケルームは、冷房で適度に冷やされていた。何故だか一瞬、部屋に入る足が止まる。もう少しだけ、あの温かさに浸っていたかったんだ。肌が冷やされていく感覚で、そのことに気付く。
「さっきは、本当にごめん」
BGMのボリュームを下げて、彼が隣に座る。
「どうしてっ、河野さんが、謝るんですか」
「だって、僕が、傷つけた」
「ちがっ、違うんです・・・」
膝の上で、拳をギュッと握る。
「私が、勝手に・・・」
あの時の、彼の鋭い目を思い出して、また涙がこぼれそうになる。更に拳を強く握って、それを堪える。
「わ、わわっ、私の為に、無理・・・してるのかな、って」
唇が、小刻みに震える。弱々しい声が、部屋の隅へと消えていく。
「それは、違うよ」
彼の声が、力強く響く。
「君となら、楽しめると思ったから」
彼が烏龍茶を一口飲む。
「他の誰でもない、君と、楽しみたいと思ったから」
「・・・」
胸がギューッと締め付けられる。やっぱり、私・・・。
「ごっ・・・」
「違うんだ」
彼の手のひらが、私の拳の上に重ねられる。そこにポタリ、と涙の雫が落ちる。
「君は、何も聞かなかったから」
「・・・え?」
見上げると、彼と目線が合う。真剣な眼差しがら、目を逸らすことができない。
「他の人は、特に初対面の頃に聞いてくるんだ、目のことを、いろいろ。それが、たまにしんどくて」
重ねられていた手に、ほんの少し力が込められる。
「でも、君は・・・君だけは、ほとんど聞かなかった。あまり聞かずに、普通に接してくれて」
「・・・」
「だから、僕が困らない限りは、あまり言わなくてもいいのかなと思ってしまった。その結果が、これだから」
ごめん、と小さく呟いて、また私の涙を拭ってくれる。
「・・・許されるなら」
彼が両手で、私の手を包み込む。
「僕もなるべく伝えるようにするから。君も、僕の目のことで困ったら、言ってほしい」
「で、でも・・・っ」
いいんですか。その言葉は、音にもならずに消え去ってしまう。
「しんどい、って・・・」
「それは、初対面の人の話。君は・・・もう、違うだろ?それに、女の子にこんなに泣かれるより、ずっとマシだよ」
「・・・っ」
また、困らせてしまう。そう思っても、コントロールの仕方を、私は知らない。
「なんで、また泣いちゃうかな。代われるものなら、代わってあげたいけど」
へにゃっと、彼が力無く笑う。
「・・・すみっ、ませんっ」
「いいよ、泣き止めるまで、いくらでも待つ」
「・・・っ」
彼が頭をそっと撫でてくれる。頭上から降り注ぐ温かいシャワーで、ますます涙が溢れてしまう。
涙って、つらい時だけに流れるものじゃ、なかったね。
「できる、限りっ」
両手でグイグイと目を擦る。
「一人で立ち止まらないように・・・しますっ」
「うん、ありがとう」
彼のとびっきりの笑顔がそこにあった。部屋の明かりに照らされて、太陽にも負けないくらいにキラキラと眩しく輝いていた。




