眩しすぎる夏 その1
7月に入り、太陽が全力でアスファルトを溶かそうとギラギラ燃え始めた。蝉も、存在感を知らしめようと必死に羽を動かす。賢い野良猫たちは、日陰を見つけて避難している。彼から連絡が来たのは、そんな頃になってからだった。雨が降り続いている間は、ただの一度もメールが来なかった。
・・・他の話題で連絡してくれても、いいじゃない。
そんな欲深い自分に、また深い溜め息をつく。彼からメールが届くまで、もう何日もそうしてきたように。肩の辺りなんか、もう筋肉痛に悩まされている。
宮城さん。来週の土曜日はご都合いかがですか?よかったら、11時30分にあの喫茶店で待っています。
これって、お昼ご飯も一緒に、ってことかな。でも、お茶って話になってたし。でも、でも。時間的にはどう考えてもご飯だよね。
携帯の画面と睨めっこしているうちに、眉間にグッとシワが寄っている。思わず人差し指でさする。
その日で大丈夫です。あの、そこでランチもする感じでいいのでしょうか?
ピロロン。
パタンと携帯を閉じたのに、すぐに返信が届く。
はい。せっかくなので、ぜひ。卵サンド以外にもいろいろ美味しいものがありますから。それでは、楽しみにしています。
楽しみにしています。その言葉に、頬が緩む。頬に当たる日光が、まるで草木に春を告げる時のように柔らかく感じられた。
土曜日。お気に入りの水色の日傘をさして、道を歩いていく。傘越しにでも、太陽のシルエットははっきりと分かる。黒猫を見かけて、横切られないように様子を伺う。無事に通り過ぎてから、速度を少し速めて歩く。傘を握る手に汗粒がじわじわと溜まっていく。
「・・・河野さん」
喫茶店に辿り着いてみると、彼はすでにそこに立っていた。汗だくの私とは裏腹に、相変わらず涼しげな顔をしている。グレーのシャツから伸びた白い腕が、太陽に照らされてキラキラと輝いている。思わず、目を細めたくなるほどに。
「宮城さん、こんにちは」
「すみませんっ!お待たせしちゃって・・・っ」
ガサガサ、と日傘を仕舞う音がやけに大きく響く。
「いえいえ。ゆっくりで、いいですよ」
「は、はいっ・・・」
ただでさえ火照っている頬が、さらに赤みを帯びる。丁寧に畳みたいと思えば思うほど、傘に変なシワが入っていく。
「おっ、お待たせしました!」
「いえ。では、行きましょう」
彼がにっこりと笑ってから、先に歩き出す。邪魔にならないように、少し後ろをついていく。彼の首筋には、ほんの数粒だけ、小さな汗が光っていた。
「いらっしゃい、二人とも」
マスターが満面の笑みで迎えてくれる。
「暑かったよねえ。今日はアイスコーヒーがよく出てるよ」
テーブルに置かれたグラスが窓から差し込む光を一身に受けて、パーッと輝いている。氷が動く度に、小さな光の粒子が瞬く。
「宮城さん。ちゃんと守ってくれたね、約束」
「えっ!?・・・あ、はい・・・」
「・・・約束って、何?」
彼が、僅かに不機嫌そうな声色を出して、マスターを見やる。どうしてだろう、胸がざわつく。
「圭太郎くんには内緒」
「なっ、ななっ、なんでもないですっ」
・・・これじゃ、ますます怪しい。どうしよう。変な汗をかいてしまう。
「・・・なら、いいです」
彼は私と目を合わそうとしないで、水を一口飲む。
「じゃあ、注文決まったら呼んでね」
マスターはジャズのメロディーと共に、軽やかにカウンターの奥へと消えていく。
「ご飯、何にしますか?」
彼がやっとこちらを向いて、普段通り穏やかに微笑む。
「そう、ですね・・・あ、オムライスある・・・」
ケチャップとデミグラスか。どっちにしようかな。
「僕、デミグラスの方なら食べたことありますよ。美味しかったな」
「じゃあ、それにしてみます」
「僕も、久しぶりに食べようかな。飲み物はどうしますか?」
「えっと、アイス、レモンティーを・・・」
「分かりました」
マスター、と彼が手を軽く挙げる。
「はい。今日は何にする?」
「デミグラスのオムライス2つと、アイスレモンティー。あと、メロンソーダ」
メロンソーダ。その意外すぎる単語に目を丸くする。
「かしこまりました。少々お待ちを」
マスターがキビキビとした動きで去っていく。今日はあちらこちらから賑やかな話し声が聞こえてくる。
「どうか、しましたか?」
「え?」
「さっき、驚いていたように見えたので」
「ええっ!いやっ、あれは・・・た、炭酸、飲むんだなって・・・」
「飲みますよ。特に、今日みたいに暑い日には」
彼がカラッとした声で笑う。その笑顔が、とても眩しく見えた。
「そういえば、なんですが」
彼が、小さく咳払いをする。その仕草に、背中に緊張が走る。思わず、背筋を伸ばす。
「・・・」
次の言葉が聞こえてこない。周りの声でかき消されてしまったのかと思うくらい、続きが届かない。
「・・・来週」
ポツリ。急に降り始めた雨のように、突然だった。
「予定、空いてますか?」
「・・・え?」
「どこか、出かけましょう。二人で」
「・・・」
・・・幻聴?それとも、夢?
思わず自分の太ももを軽くつねってみる。・・・痛い。
「・・・それ、って」
すごい勢いで瞬きをする。彼が私をじっと見つめている。
「お誘いです。デートの」
さらりと彼が口にする。
「・・・っ」
デート。デート?・・・デート!?
「ええーっ!!」
「ククッ、君にそんな反応されたらっ。こっちまで恥ずかしくなる」
その言葉はどこまで本気なのか、彼は笑いを堪えきれない様子だ。
「・・・で、返事は?」
「え、えっと」
「嫌な・・・」
「はーい。お待たせー!!」
急に目の前にオムライスが飛び込んでくる。
「ちょっ、マスター・・・」
「ん?」
マスターが彼の顔を覗き込む。
「・・・わざと?」
「んなわけないよ。お取り込み中だろうが、料理がアツアツのうちにお届けしないと、ね」
「どこから、聞いてた?」
「さあ、何のことだか。では、ごゆっくり」
スタスタとマスターが去っていく。頭がついていかずに、ボーッとその後ろ姿を見送る。
次は他の店にしようかな。
そんな声がボソッと聞こえた気がする。でも、彼は何も言わなかったかのような平然とした様子で、こちらにスプーンを差し出す。
「とりあえず、食べましょう」
「・・・はい」
彼の手に、指一本触れないようにして受け取る。今、これ以上、何かあったら・・・。
受け取ったスプーンに映る自分が、ゆらゆらと揺れて、今にも崩れそうだった。
「美味しかったです!オムライス」
「ですね。あんなだけど、料理は上手いから」
彼がメロンソーダを飲みながら言う。ストローで吸う度に、炭酸の小さな泡が引っ付いては、はじける。それがなんだか可愛くて、いつまでも眺めていたくなる。
「・・・で、返事は?」
じれったそうな声が、突然ジャズの波をかいくぐって耳に届く。
「え?」
「・・・デートに、誘いましたよね。僕」
「あーーーっ!すみませんっ、つい、わ」
「いいから。お返事を」
笑顔は穏やかなのに、声はいささか穏やかではない。
「は、はいっ。・・・わ、私で、よければっ!どこへなりとっ」
「・・・なら、よかった」
声色が、いつものように優しくなる。笑顔もさっきより柔らかくて自然に見える。
「でも、どこへなりと、はよくないよ」
さらわれちゃうよ、と彼が小さく囁く。その仕草に、色味を帯びた声に、胸のドキドキが止まらない。耳まで真っ赤になっている。眩しい太陽がちゃんと隠してくれますように。どうにもできない自分に耐えかねて、ギュッと目をつぶった。




