立ち止まらせる雨 その5
雨音が弱くなったと思えば、またすぐ激しくなる。窓ガラスについた雨粒は、大きな固まりとなって流れ落ちていく。もう昼過ぎだというのに、明るい光は一向に差し込んできてくれない。・・・それでも。
今なら、できる気がする。
そう思って、携帯を開く。昨夜は寝る間も惜しんで、文章を考えて、明け方まで眠れずにいた。その時間は無駄じゃない。私にはきっと、メール1つ送るのにだって、それくらい準備が必要なんだ。
宛先の入力で「河野さん」を選択する。それだけで、心臓がバクバクと激しく暴れ出す。・・・やっぱり、無理?いや。
もう、待ってられないもん。
なんとかボタンをクリックして、本文入力に取りかかる。震える手で、一文字、一文字、ゆっくりと打ち込んでいく。
宮城です。こんにちは。最近は雨の日が多くて、気分が上がらない時もしばしばです。この天気が落ち着いて、晴れの日が続くようになったら。その時は、気分転換に、一緒にあの喫茶店でお茶をしましょう。
打ち終わってから、何度も読み返す。もっと、他の言い回しの方がいいのかな。雨のことなんか、書かない方がいいのかな。でも、でも・・・。
手が、携帯を握っている感触を忘れそうになる。どうにかして思考のループを断ち切り、完了ボタンを押す。そして。
・・・えいっ。
送信。送信中。・・・。画面が流れていくのを、瞬きもせずに見守る。そして、ついに、「送信完了」へ辿り着く。
ゆるゆると息を吐き、そっと携帯を閉じる。手を下ろし、溜め息をつく。吐いた息だけが、周りの空気よりも少し生温かかった。
・・・こんな調子で、これからどうなっちゃうの、私。
窓の外を眺めると、どんよりとした曇り空がどこまでも、どこまでも続いていた。
あれから、10分。20分。・・・もう、時計を見るのも嫌になる。あれから何台もの車が走り去る音を聞いたけれど、聞きたい音は一向に鳴らない。
・・・やっぱり、そう上手くはいかないね。
立ち上がり、少し開いていたレースのカーテンを閉める。ふと、足元に置いてあるバッグに気付く。
・・・あっ。
バッグの中から、ダークブラウンの巾着を取り出す。
・・・渡せなかったな。
クシャッとなった巾着を手で伸ばし、くたびれたひもを解く。中身を取り出してみると、クッキーはやけにひんやりとしていた。賞味期限には目もくれずに、1枚を口に放り込む。
・・・苦っ。
勝手に涙がじわじわと溢れてきて、グイグイと目を擦る。どうして、最近の私はよく泣いてしまうのだろう。女の子はみんな、こうなるのかな。
ぐちょぐちょになった地面。必死に重圧に耐えている屋根と窓。それらに叩きつける激しい雨音が外界の音を遮断する世界で、私は一人、ひたすらクッキーをかじり続ける。ボリ、ボリ、と心が砕けていくような音が、雨音にも負けずに残酷に響いた。
一人でこのままいるのには耐えられそうにないけれど、お母さんの元気さに付き合える自信もない。何かできることはないかと、机の引き出しを探ってみる。
・・・そういえば。
右上の引き出しから、小さな包みを取り出す。封を切ると、中からマグネットのクラゲが顔を出す。そっと、指でなぞる。ぷっくらしたフォルムが私を少し和ませてくれる。今度は目を閉じて、なぞってみる。その丸みを帯びたフォルムをしっかりと感じることができる。
最初はこのクラゲも彼に渡そうと思っていたけれど、やめることにした。渡してしまったら、私の欲を見透かされてしまいそうで。想像しただけで、手が震えてしまったから。・・・だけど。
もし彼に渡したら、どんな反応をしてくれたのかなあ。
ありがとう、と甘く囁いてくれただろうか。そして、あの穏やかな笑顔を私に向けてくれただろうか。それを想像すると、今度はキュッと胸が締め付けられる。
・・・結局、また彼のことばかり考えちゃってる。
クラゲを見つめて、思わず苦笑いをする。そばにあったブックスタンドにペタッとクラゲを貼り付ける。薄暗い部屋の中、デスクライトに照らされたクラゲは、まるで果てしない深海を一人で彷徨っているかのようだった。
ピロロン。
えっ!
覚醒したばかりの意識で、体を俊敏に動かす。音がした方へさっと手を伸ばし、携帯を掴む。背筋をピンッと伸ばして、深呼吸をする。思い切りよく、メールを開く。
こんばんは、河野です。こちらから連絡しますと言っていたのに、なかなかできずに申し訳ありません。そうですね。梅雨が明けてよく晴れるようになったら、お茶に行きましょう。今度こそ、僕からご連絡します。
メールを何度見返してみても、それ以上のことは書かれていない。
・・・理由も、何も、教えてくれないのですね。
こわばる手で、楽しみにしています、とだけ返信する。画面を確認もせずに携帯を閉じる。
・・・なかなか、簡単にはいかないね。
クラゲを人差し指でちょんとつついてみる。瞳に映るデスクライトの小さな光が、ゆらっと戸惑うように揺れていた。




