待ち侘びた季節 その6
ピピピピッ。アラームが鳴り続ける前に、そっと止める。一日の始まりを感じさせる新鮮な空気。卵を温めるような優しい朝の木漏れ日。可愛らしい小鳥のさえずり。
初夏の朝って、こんなに気持ちよかったっけ。
ベッドの上で一人、ゆっくりと背筋を伸ばす。清々しい朝だ。
「おはよう」
「あら、今日も早いじゃない。どうしたの?」
「今日は・・・特別、だから」
特別。言葉にしてみると、なんていい響きなのだろう。空の青さ。生い茂る木々。それに、立ち並ぶ家々。普段となんら変わらないはずの景色が、有名な画家が描いた風景画のように美しく見える。ついうっとりと、窓の外を眺めてしまう。
「そう。じゃあ特別な日を迎えた奈月に、お母さんお手製スペシャルモーニングを振る舞ってあげましょ」
「やった!メニューは?」
さっきまでの優雅なひと時は、食べ物に釣られてサッと消え去る。
「厚切りフレンチトースト。デザート付き」
「わぁ!ほんとに豪華じゃん」
「でしょー。その代わり、出かけるなら、またポストお願いね」
「はーい!」
元気よく返事をして、ご馳走を待ち構えるように席に着く。
デートかしら。
彼女の呟きは、ジューッと油がフライパンに敷かれる音でかき消された、ことにしておく。
もう。お母さんがあんな美味しいご飯を作るから。
自分が身支度に手間取っている理由を、彼女に押し付ける。どうして時は待ってくれないのか。思わず時計にデコピンをしたくなる。でも、そんなことをしている余裕は1ミリもない。出しかけた手を慌てて引っ込める。
花柄の、淡いピンク色のワンピース。
彼と並ぶ姿を想像してみる。彼が高台に凛と立つ灯台だとしたら、私は彼の美しさを際立たせる為に生まれてきた花々。・・・なんてね。そんな大それたことは言わない。
彼に、可愛く見られたい。ただ、その一心だ。ただのコンビニなのに、とか。もう夏なのに、とか。そんな他人の冷ややかな視線なんて、どうでもいい。他の誰でもない、彼に可愛く見られたい。
支度を済ませて玄関へ向かう、その前に。ポンポン、と軽くバッグを叩く。渡すんだ、今度こそ。そして、いよいよ運命の扉を押し開ける。まばゆい光が、私をそっと包み込む。徐々に体の輪郭はぼやけていき、影一つ残さず消えていく。
タッ、タッ、タッ。地面を蹴る足音は私だけの行進曲を奏でる。空には、指揮者のようにどっしりと構えた太陽。吐くごとに熱を帯びていく、息。その全てが、昨日までの自分とは違うことを証明してくれる。そんな気がした。
キキーッ。コンビニに辿り着いたところで、足が急ブレーキをかける。そういえば。
彼は、コンビニのどこにいるのだろう。
視界が急に歪んでくる。そもそも、あれは約束だったのか。足元がふらつき、目眩さえ覚える。
来週、この時間、また来ます。
あの言葉は、単に事実を言っただけで、待ち合わせなんて意味を含んでいなかったんじゃないか。
さっきまで期待でパンパンに膨らんでいた風船が、一気にしぼむ。
あぁ、なんてバカなんだろう、私。
行き場を失った幸福感は、アスファルトの高熱で一瞬のうちに黒焦げにされる。もう、膝から崩れ落ちそう。
みや、ぎ、さん。
ぐちゃぐちゃに成り果てた世界の片隅で、僅かに感知できた音。
「宮城さん?」
今度は、はっきりと声として認識する。それだけで、涙がこぼれ落ちそうになる。グッと堪えて、ゆっくりと振り返る。
「・・・やっぱり、そうだったね」
彼が穏やかに笑う。いつもみたいに。何度も何度も夢の中で出会った、その笑顔。・・・夢、なんかじゃない。
そう把握できた時、私の心は羽を生やして飛んでいく。さんさんと降り注ぐ光のシャワーを浴びながら。虹がかかる雲よりも高く。果てしない空の彼方へと。




