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待ち遠しい季節 その5

 次の日。思っていたより起きるのが遅くなってしまって、慌てて身支度をする。電車の時間まであと30分。ギリギリだ。

 服装、よし。髪型、よし。荷物は……。バッグの中を確認する。今日は久しぶりに使うピンクベージュのトートバッグだ。定位置に必要なものがちゃんと入っているか見ていく。……よし。

 最後に、机の隅に置いておいたお土産を手に取る。昨日、お母さんがお風呂に入っている時にこっそりと取っておいた。巾着タプのラッピング袋に入れてある。深緑に白いひものが、美幸の分。……そして、もう一つ。ダークブラウンにライトブラウンのひもの巾着をそっと見つめる。

 こっちは……河野さん、の分。

 実際に渡しているところを想像してみる。渡す時に触れ合う指。巾着を優しく包み込む手のひら。そして、あの穏やかな笑顔。想像するだけで顔がポッと赤くなる。

 ピピピピッ、ピピピピッ。セットしていたアラームがけたたましく鳴り響く。

 いけない。待ち合わせに遅れる。

 現実に引き戻された私は美幸の分のお土産をバッグへさっと差し込み、玄関へと急いだ。


 電車にはどうにか間に合って、息を整えてから席に座る。待ち合わせは大学の最寄り駅に、午前11時。乗り換えも含めて約1時間の長旅になる。

 座ったのも束の間、アナウンスが流れてきて、すぐに立ち上がる。いつものように扉の近くで待ち構える。

 無事にホームへと降り立ち、反対側のホームを目指す。辿り着くと既に何人かが列をなしていて、その後ろで待機する。

「おばあちゃん、今日も海見えるかなー?」

 私の前に並んでいる女の子が無邪気に尋ねる。

「えぇ。今日はよく晴れてるから、きっと遠くまでよく見えるよ」

 おばあさんの言葉につられて空を見上げる。たしかに、よく晴れている。太陽が元気よく輝いていて、午後からも暑くなりそうだ。

 電車に乗り込むと、想像以上に混んでいて、相席でないと座れそうにない。仕方なく、入り口そばの補助席を引っ張り出して座る。さっきの女の子とおばあちゃんは座れたのだろうか。キョロキョロと見回すけれど、姿は見えない。

 隣の車両に行ったのかな。そう結論づけて、背中を後ろに預ける。普通の席と比べてしまうと座り心地は劣るけれど、40分立ちっぱなしよりは断然楽だ。

 窓の外を眺めると、景色がどんどんと流れていく。いつもと変わり映えのない景色がどこまでも続いていく。

 ……この景色、河野さんの目にはどう映るのだろう。

 目の前に広がる田んぼは?灰色の古びたビルは?遠くにそびえ立つ山は?

 しばらく頭の中でイメージを膨らませてみるけれど、失敗する。もう一度やってみるけれど、また失敗。……駄目だ。

 どれだけ想像しようとしても、上手く思い描けない。……やっぱり私は、彼のことを何も分かっていない。そう思い知らされて、思わずギュッと目を強く閉じた。


「奈月ー。お疲れ」

 駅の改札を出ると、美幸が歩み寄ってくる。ライトブルーで柔らかいデニム素材のワンピースに白いカーディガン。ポシェットとパンプスはベージュで、髪は高い位置で一つにまとめて、ふわふわに仕上げている。大学で見る彼女より、ぐんと大人っぽい女性だ。

「美幸、今日の恰好、すっごくいいよ」

 素直な感想が溢れ出る。

「あとさ、大学でもそういう髪型、したらいいのに」

 前から思っていたことが、ついでにポロリと溢れる。

「ありがと。でもねー、この髪型けっこう時間かかるんだよね。三つ編みの方が楽。奈月だって、今日の服いいじゃん。バッグも似合ってるし」

 レースがあしらわれた白いブラウスに、紺色で緩やかなシルエットのパンツ。ピンクベージュのトートバッグとラベンダー色のスニーカー。わりと気に入っている服装だ。髪は束ねずに下ろしている。

「ありがとう。で、どこ行こっか?」

「とりあえず、いつもの雑貨屋行こー」

「いいよ」

 二人並んで歩き出し、もうすっかり慣れ親しんだ道を進んでいく。コツコツ、と美幸のパンプスが軽くリズムを刻んでいた。


「お腹空いたねー」

 美幸がメニューを広げる。

「あ、新しいメニュー出てるよ。期間限定だって!」

 彼女がこちらにメニューを向けて指さす。

「ほんとだ!これにしようかな」

「じゃあ私も。……すみませーん」

 店員を呼び止めて、美幸が二人分の注文をしてくれる。

「それで、ゴールデンウィークはどう?どっか出かけた?」

「うん。お父さんも帰ってきてるし、みんなで水族館に……。あ、水族館のじゃないんだけど、お土産。お父さんが買ってくれた京都のお菓子のお裾分け」

「ありがとー」

 バッグから巾着を取り出し、美幸に差し出す。彼女の手が伸びてきて、微かに指と指が触れ合う。彼女の丸っこい爪が、天井のライトに照らされてキラッと光る。

 ドキッ、と胸が高鳴る。今朝想像してしまった彼とのワンシーンが、鮮明に思い起こされる。指から伝わってくる彼の体温。私のより一回りは大きい手のひら。巾着に注がれる温かな視線……。振り払おうとしても、一向に離れてくれない。……誰か、助けて。

 奈月、と誰かの声が私を連れ戻そうと必死に頑張ってくれる。

「奈月」

 それは、美幸の声だった。

「ごめ……っ、なんかボーッとしちゃって……」

「奈月……」

 恥ずかしさ、とか。苦しさ、とか。そんな単純な言葉では表しきれない感情が渦巻いていて、彼女の顔を直視できない。

「これ……返そうか?」

「……え?」

 沈黙が走る。状況を上手く飲み込めなくて、言葉が出てこない。

「他に、渡したい人……いるんじゃないの?」

 心臓が、鼓動が、止まりそうになる。体は固まって、思考は完全に停止してしまった。

「私にはなくていいからさ。ね?」

 彼女の優しい声で、ゆっくりと時が動き出す。

「……大丈夫、だよ」

 自分にも言い聞かせる思いで、ゆっくりと呟く。

「ん?」

 美幸が首を軽く傾げる。

「その人、のは……ちゃんと、とってある、から」

 そっか、と彼女は静かに頷く。

「じゃあ、ありがたく貰うね。お父さんにもお礼、言っといて」

「うん」

 お待たせしましたー、と店員のお姉さんがやってきて、出来立ての料理を並べていく。

「さあ、食べよう」

 美幸がにこっと笑う。

「うん」

 私もやっと落ち着きを取り戻して料理に向き合う。グーッとお腹が鳴って、体も通常運転に戻ったと自覚する。周りの話し声が、BGMのように流れていた。

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