89話 霊峰の入り口
霊峰へと至る為の山を登っていく。
道は荒れ、盛り上がる地を踏み締めていく。
魔力で身体能力を強化してるといえ、あまりの起伏の激しさ、早々に足に来ている。
「カイン、……大丈夫?」
アステルは後ろを少し遅れて歩くカインを、チラッと見た。
額に汗が滲み出ている。
無理もない。元々の身体能力が高いとはいえ、魔力が枯渇している身。根を上げても無理はないが、カインは言う。
「……大丈夫です」
「……そっか」
カインが身体能力強化を使えない事を、ここにいる全員が知っている。
そのカインが弱音を吐かない。
だからこそ、誰も吐かない。いつも気だるげのフェリスですら、何も言わなかった。
早朝に野営地を出立し、既に数時間が経っている。
岩肌は露によって濡れている。滑り落ちてしまわぬよう、慎重に、一歩ずつ進んでいく。
対して、ツヴァイ達狼の群れは、荒れた岩肌を物ともせずに登っていく。
強靭な爪と筋肉で為せているのだろう。
しかし、背に人が乗ってしまえば、その強靭さを持っていても、バランスを狂わせ滑落の可能性もある。
自らの足で歩き、登るしかない。
随分と登った。息が上がり、肩を上下させる。
わんっ。アステル達の少し先を行っていたツヴァイが吠えた。
閉ざされた聴覚が、水の流れを掴んだ。
震える足で、ツヴァイの声が聞こえた方へ登っていく。
視界に映る地に緑が見え、平らなものへとなった。
顔を上げると、そこは渓谷。湖が広がり、川となり下の方へ滝となって落ちていく。
湖の周辺には青い花が咲き乱れ、水面には大輪の青い華が浮かんでいる。
「この先が、東方浄土の始まりか」
息切れする事もなく、スズカは平然とした声音で言った。
「え、ええ? ……まだだったの?」
膝に手を着き、フェリスが困惑したように言った。
しかし、確かに切り立った山はまだある。
そして、そこに繋がる道が奥にはあった。
霊峰、東方浄土の入り口がそこにはあった。
「そうだ。だが、瑠璃草に青蓮華……どちらも、東方浄土に咲くとされる花だ」
スズカは湖を見つめ言い、湖へと近付いていく。その後ろをラセツが歩く。
アステル達も追おうとしたが、足が上がらず、地面へと躓く。
アステルの視界に、地が迫る。
転ぶと思った矢先、視界は空中で静止する。
腹部に暖かさを感じ、視線を向けるとシルヴィが潜り込み、アステルを支えていた。
ツヴァイが駆け寄り、地面へと伏せる。その背中へ、アステルは身体を預けた。
「ごめん、ありがとう」
二匹は小さく、わふ。と鳴いた。
「大丈夫?」
フェリスが首を傾げた。
「うん、ごめん」
「ううん。私達も限界だから」
シリウスがそう言い、駆け寄ってきたドライの背に乗り、フェリスとカインも駆け寄ってきた狼の背に乗る。
「鬼は凄いねぇ……もう立てる気しないよ」
フィアの背に倒れこみ、フェリスが呟いた。
そうして、狼の背の上で揺れ、スズカとラセツに追い付く。
「ぬはは、もう限界か?」
「うん、ごめんね」
「いいや、人の身でよく頑張ったな」
スズカが優しい声音で言った。
「私達は獣の亜人なんだけどねぇ……流石に、きつかったよ」
フェリスの言葉に、シリウスが静かに頷いた。
「確かに人よりは身体機能は高いかも知れんが、鬼には遠く及ばない。ぬしらもよく頑張った」
「ここで休息を取ろう、その後動けそうにないならここで野営だ」
スズカの言葉に続けるようにラセツが口を開く。
「野営? まだ陽が落ちるまで――」
「無理をして怪我をしてしまえば元も子もない。ここへは、黒龍を倒しに来た。例え時間が掛かろうとも、万全な状態で進むべきだ」
アステルの言葉を遮るように、ラセツは言う。
「……そうですね。すみません」
「っふ、分かれば良い。準備は俺がする。お前たちは休んでいろ」
「ぬはは。妾も一働きするとするか」
そうして、スズカは残る狼二匹を引き連れ、離れていく。
狼とほぼ背丈の変わらない小柄な身体。
その姿をアステル達は、湖の縁に座り眺めていた。
狼達と楽しそうに焚き木を集め、食料を探す。
彼女の笑い声がここまで聞こえてくる。
暫くして、スズカ達が戻ってくる。
火を起こし、採ってきた食材と船から狼達に載せていた魚を焼いて食べた。
腹を満たし、少しの時間が過ぎていく。
「行けそうか?」
ラセツが聞く。
「私達は大丈夫だけど」
フェリスとシリウスが目を合わせた。
そして、ラセツはアステルを見た。
真っすぐな瞳、きっとここで、無理に行けると言ってしまえば、怒られそうだ。
「すみません。ちょっと、厳しいかも知れないです」
「俺も流石にしんどいです」
アステルの言葉に続けて、カインが言った。
その言葉にラセツは頷いた。
「ならば、少し早いが、ここで野営にしよう。……問題ありませんか?」
ラセツはスズカを見た。
「うむ。この景色を見ながら酒が呑めないのも寂しいからな。大賛成だ」
「そういえば、今日はお酒呑んでなかったねぇ」
「流石にあの道を通りながらの酒は、妾と言えど、身の危険を感じるからな」
フェリスの言葉に返しながら、スズカは酒瓶を取り出し、キュポと栓を抜いた。
そして、勢いよく瓶を傾け、喉をゴクゴクと鳴らす。
「……ぷはぁぁああ。ぬはははは」
陽が落ち始める数刻前、清流の心地よい音が響く渓流に、スズカの笑い声が響いていく。




