85話 二分五厘の威厳
潮風漂う港町を歩く。
通りには魚が並べられている。しかし、その魚の量は想像していたのよりも数が少なく、活気もあまり感じられない。
通りを抜けると、青い海が目の前に広がる。
活気のない港町、波音が静かに響く。
「東方浄土まで船を出してほしい」
「東方浄土? 悪いが、それは無理だ」
ラセツの頼みを、船乗りが顔を向ける事なく、ぶっきらぼうに断った。
手に持つ、使い込まれた道具を念入りに整備する。
「無理とは?」
「沖の方に船幽霊の群れが居てな。漁もまともに出来やしねえ」
「……そうか、無理を言って悪かったな」
「いいや。こちらこそ、悪いな」
整備をする手を止め、船乗りがラセツの顔を見た。
ラセツは手を軽く挙げ、背を向け。こちらに、戻ってくる。
「船幽霊って?」
フェリスは首を傾げた。
「海上で見られる、水底に引き摺り込もうとする妖怪だ」
ラセツが答えた。
通りで売られている魚の少なさ、活気があまりない理由。
海上に現れる船幽霊のせいで、漁が出来ないからだろう。
「しかし、困ったな。船を出せる者がいなければ、東方浄土にもいけん。それに、船幽霊を片付ける事も出来んな」
うーむ、とスズカが腕を組んだ。
「他の漁師にも当たってみる?」
アステルが提案をした。しかし、スズカとラセツは首を横に振る。
「ここから東方浄土までは船で一日半程掛かる」
「うむ、船幽霊は日中の活動範囲は狭い上、活発には動かない。沖に出ない限りは多少の漁は出来る。しかし、夜間になればその範囲は大幅に広がり、活発にもなる。それ相応の強さを持つ者以外には頼めんな」
ラセツの言葉に続けるように、スズカが言った。
アステル達は東方浄土を見つめた。
海の向こう、目の前にあるのに、そこへ至る方法がない。
「おや? 姫様?」
「む?」とスズカが声を漏らす。
背後から響いた野太い声に、アステル達は一斉に振り向いた。
そこには、大柄で坊主の男が立っていた。
「やはり、スズカ様ではないですか!?」
「ぬしは……」
スズカは男のつま先から頭頂部までゆっくりと見た。
そして、太陽に照らされ光り輝く頭を見て、思い出したかのように言う。
「海坊主か!」
「ええ、そうです! 確か最後に姫様とお会いしたのは、姫様が王位に就いた時。となると、姫様と呼ぶのは失礼ですかな?」
「いや、構わん。好きなように呼ぶがいい」
「左様ですか? しかし、何十年ぶりにお会いしましたが、少し大きくなられましたか?」
今度は海坊主が、スズカのつま先から頭頂部。二本の角の先まで見た。
小柄の身体を大きく見せるためか、スズカは胸を張り、両手を腰に当てた。
「うむ! 二分五厘伸びた!」
「おお! 二分五厘も!? どうりで、以前よりもご立派に見える訳です!」
「そうだろう! そうだろう! ぬはははは!」
「二分五厘って……何センチ?」
「え? わかんないよ?」
フェリスとシリウスが小声で話す。
二人がアステルを見る。しかし、アステルも分からず、首を傾げた。
「して。何用にこの様な所へ? もしや、城へ配達していた魚に不備がございましたか?」
「いや、魚に不備はない。実はな、東方浄土へ行きたいのだ」
「東方浄土へ……黒龍ですか?」
うむ。とスズカは静かに頷いた。
「やはり、黒龍は東方浄土にいるのか?」
ラセツが聞いた。
海坊主はラセツをじっくりと見る。
「はっ!? もしや、ラセツ殿!? これは、これは……随分と逞しく、大きくなりましたな。すぐには分かりませんでした。とんだ、ご無礼を」
「いや、良い。それよりも、黒龍は東方浄土にいるのだな?」
「ええ。暫くは姿を見せてはいませんが、その姿を見せ始めるようになった時は、よく霊峰の上を飛んでいましたな」
都を出立する前、城での軍議の際。スズカの影、ヒカゲが言っていた情報と合致する。
「その黒龍を討伐しに行こうと思っていたのだが、船が出せないらしいな?」
「はい。船幽霊が沖に群れてしまっていて、取れる魚の量も激減。商売も上がってしまって困っている所存です」
海坊主はラセツの言葉に頷き、顔を俯かせた。
そして、バッと顔を勢い良く上げ。頭を光輝かせる。
「しかし! 姫様、ラセツ殿。そして……子供? まあ、とにかく。お二人がお入り用ならば、私目の船をお出ししましょう!」
「おお! 本当か!?」
「ええ!」
スズカの言葉に、海坊主が力強く頷いた。
「だが、船幽霊に困っているのだろう? 船を出して貰えるならば、それを我らが対処しよう」
「なに!? それは願ったり叶ったりです!」
ラセツの言葉に、海坊主は顔を明るくさせるが、すぐに落ち着きを取り戻す。
「しかしですな。船幽霊の対処はそう簡単ではございません」
「そうなのか?」
スズカは首を傾げた。
「彼奴等が活発に動く夜。群れの中央、その海の中に核が現れるのですが。船の上からでは、刀は通りません。しかし、海に入ってしまえば、海底へと引き摺り込まれる。大砲を使えればいいのですが、船上で彼奴等と戦いながら、狙いを定めるのは容易ではないのです」
「そうか。ならば、アステルに任せよう」
スズカはアステルを見た。そして、海坊主もその視線を追うようにアステルを見る。
「この子供ですか?」
「この者は妾の盟友で、召喚術師だ。魔術を撃てば、大砲なんかよりも遥かに簡単に核を壊せる」
「召喚、術師ですか……」
海坊主は眉を潜めた。
召喚術師の多くは、契約に隷属契約を扱う。召喚術師に良い印象を持たない妖怪や魔物は多い。
仕方がない事。
「案ずるな。言ったであろう、妾の友だ。他の召喚術師とは違い、隷属契約は使わない。そこの猫耳と犬耳の亜人を見てみろ。アステルは、信用に値する者だと。分かるはずだ」
海坊主はフェリスとシリウスを見た。
「確かに、召喚獣を奴隷の様に扱う者共とは違うようですな。……失礼いたしたな。アステル殿」
「いえ、多くの召喚術師がそうなので。不快に思われるのは当然です」
「器の大きなお心だ。感謝いたしますぞ」
アステルの言葉に、海坊主は深く感銘を受けたように、その輝く頭を何度も縦に振った。
「して。すぐに出航いたしますか?」
「うむ、可能ならばすぐに願いたいな」
スズカは頷いた。
「わかりました。すぐに出航準備を整えます。皆様は、あちらの船に乗ってお待ちください」
アステル達は差し出された手の方向を見た。
そこには、木製の大型船が聳え立つように、波に揺られていた。
「では、失礼いたします」
海坊主は光輝く頭を下げ、小走りで去っていく。
「お前ら! 直ちに準備を整えろ! 姫様が乗る、一切の不備も出すな!」
船乗りたちの低い声が重なり響く。
船着き場は慌ただしくなり、男たちは走り回る。
その中をアステル達は歩き、船へと乗り込んだ。




