84話 境界線に浮かぶ霊峰
農村を後にしたアステル達は、峠道を歩いていた。
川底が見える程に透き通った清流、水草が揺れ動き、魚が戯れる。
川は農村の方へと流れている。
東方浄土へ向かう、道中。太陽は背に向かって沈んでいく。
狼の背に揺られ、峠を登っていくアステル達を包む光は、徐々に暖かみを含む色へと変化していく。
影が前方へ伸びていく。
登坂の向こうの空はきっと、既に冷たさを孕んでいる。
「ちょっと、寒くなってきたね」
アステルが襟を持ち上げた。
昼夜の寒暖差が激しい。そうスズカが言っていた通り、肌寒さを感じるようになってきた。
背中は辛うじて暖かさを感じつつも、手先は冷え、傍を流れる川からの冷気が猶更、寒さを際立たせていた。
「だねぇ……」
フェリスがフィアの背中にギュッと、抱き着いた。
峠を登り始めて暫く、中腹辺りに辿り着き、少しだけ拓けた場所が広がる。
「これ以上気温が下がる前に、火を焚こう」
先頭を歩いていたラセツは止まり、狼の背中から降りた。
アステル達も狼の背から降りる。
焚火に使えそうな枝を拾い集め、火を起こす。
空は既に暗い、しかし、ここからならば、山陰の向こうへ沈みゆく夕日の残照が見える。
焚火を囲い、農村で買っていた食材で料理をし、それを食べる。
スズカは酒瓶を煽り、ぷはぁーと息を漏らした。
アステル、シリウス、フェリス。そして、カインは焚火へと手を伸ばす。
手の平に感じる熱さが、心地よい。
陽が沈み、清流の音が聞こえる山の中を冷気が包み込む。
「今ってどの位まで来たの?」
白い息を吐きつつ、フェリスが聞いた。
「この峠を越えれば半分だな」
ラセツが答えた。
「うむ、ツヴァイ達狼のお陰で大分早いな」
スズカが酒瓶を傾け呑む。
都を出る時、徒歩の場合一週間、またはそれ以上掛かるという話だった。
それが、二日目の夜の時点で、半分手前。想定よりも速い速度で進めている。
「このままの調子で進めれば、五日目には着けるかな?」
シリウスが首を傾げた。
「いや、それは厳しいかも知れんな」
「厳しい?」
ラセツの返答に、アステルは首を傾げる。
「東方浄土までは、陸が繋がっていないんだ」
「峠を越えた先に港町がある。そこから船での移動になるな」
ラセツが答え、続けるようにスズカが言う。
「船かぁ……乗ったことないなぁ」
「私達もないなぁ」
カインの言葉に、フェリスが続いた。
「ぬはは。船酔いなどしないよう、気を付けるんだな」
スズカは酒を飲み、ぷはぁーと息を漏らし。酒瓶を逆さまに振った。
「明日も早い、今日はもう休むとしよう」
スズカの酒がなくなったのを見たラセツが提案した。
その言葉にアステルは頷き、身を横たえた。
翌朝。葉に溜まった朝露が、地面を濡らす。
アステル達は峠を再び登っていた。
依然、肌寒さは残り、視界も微かな霧が埋め尽くす。
峠道に阻まれ、未だに陽は見えていない。
「なんか、匂い変わった?」
フェリスが首を傾げた。
確かに、土の匂いの中に微かに塩気を感じる香りがある。
潮風だ。
アステル達は登っていく、徐々に目の前に青が広がっていく。
地面の向こうから光の輪郭が姿を見せ、一歩、また一歩と踏みしめるとその本体を見せる。
そして、二つの青がアステル達の前に姿を現した。
朝陽、青い空。そして、青い海。
どこまでも続く青い空と水平線の彼方まで続く海。
その海の上に一つ、島が見える。
「あの島が?」
「うむ。東方浄土だ」
島には天を貫くような、切り立った山が聳え立っていた。
霊峰、東方浄土。それが、ついにその姿を見せた。




