75話 スズカ
夜、目が覚める。
部屋の中で、フェリスとシリウスの静かな寝息が聞こえる。
枕元で眠る。アージェントウルフのシルヴィを起こさないように、ゆっくりと身体を起こす。
現世に残していったシルヴィは、アステルを見てすぐに飛び付いてきた。尻尾を目一杯振り、その身体を支える全体重をアステルに乗せてきた。少しだけ申し訳なく感じたが、現世のみんなの為に頑張ってくれたらしい。
そっと、布団から抜け出し。部屋から抜け出す。
月明りが暗い廊下を照らしてくれる。
縁側。月の下で、桜が舞い散る。
それを座り、静かに見つめている少女が居た。
二本の角、赤紫色の髪。そして、小柄な身体。
その少女が、アステルに気付く。
「アステルか。……どうした?」
スズカが微笑み言った。
「目が覚めてしまって。夜風に当たりに」
「そうか。隣、座るか?」
トントン。と静かに床を叩く。
「失礼します」
隣に腰を下ろし。桜を散らす木を見つめる。
「すまんな。茶などあればいいんだが」
「いえ、大丈夫です」
苦笑いを浮かべながら言うスズカに、アステルは静かに答えた。
静寂。風が木を揺らす音だけが聞こえる。桜が散り、地面を染め上げる。
隣に座る少女は、王ではなく。一人の少女。スズカ。そう、感じる。
「妾は、間違ったのだろうか?」
「間違った?」
「幽世に向かう時、ラセツに残るように言われていた。だが、妾は……」
王を敵の最前線まで連れて行く訳にはいかない。
そう言い、ラセツはスズカを残そうとした。
その通りにしておけば、ベンケイを失わなかった。
民と兵が傷つくならば、自身も共に傷つき戦う選択をした。
それはきっと、王として誇り高い選択。だが、結果として、守れたかも知れないものを失った。
「ぬしは、カインの先生なのであろう? 答えをくれんか?」
言葉が見つからず、静寂を貫く、アステルへと言う。
「確かに、私はカインの先生です。ですが、十七歳。スズカ様程経験を積んでいません。そんな私の言葉で良ければ」
「……構わん。今は、ただ。声が欲しい」
アステルは静かに、大きく息を吸い。そして、全てを吐き出すようにゆっくりと吐く。
「タラレバを考えた所で意味はありません。起きた事は戻りません、死者を蘇生する奇跡も存在しません。残るのはそこまで行った過程の結果だけです」
スズカは何も言わない。
ただ、拳を固く握りしめ。唇を噛み締める。
「残れば確かにベンケイさんは生きたかも知れない。だけど、私達が死んでいたかも知れない。ですが、私達は生きています。それは、スズカ様が共にいてくれたからです」
「……間違っていなかったか?」
「わかりません。どちらにせよ、スズカ様の選択はきっと、どちらかを犠牲にする問題です。それに、答えは出せません」
「慰める気は、ないのだな」
「安易な慰めが欲しいのですか?」
トロッコ問題。
どちらか片方しか救えない問題。
一人が救えるのは一人分の力の分だけ。その問題に答えなんて存在しない。
片方に手を差し伸ばせば片方が死ぬ。一人が両手を広げた所で、その手は届くことはない。
一人にその全ての重責を担わせる。その癖、正しい答えなんて存在しない。酷く、醜い問題。
「いや。……そんなものは要らない。一時の安息の為の言葉等、不要だ」
「そうですね。そんな言葉に縋る位なら、亡くなった人の思いを背負い、今ある現実を生きるべきです」
「そう、かもな」
「ですが。今は泣いてもいいと思います。慰めてあげますよ」
「なんだ? 安易な慰めは不要と言った筈だ」
「安易な慰めなどではありません。亡くなった人は戻らない、二度と会えない。その悲しみに暮れるのは当たり前の事です。私がその悲しみ。一緒に背負います」
スズカの声が震え、声にならない声が漏れ出す。
肩を震わせ、握りしめた小さな手を一滴、一滴。濡らす。
震える肩を優しく、抱き寄せる。胸の中に、スズカの頭が埋まる。
胸元を、暖かく、冷たく濡らした。
一通り泣いた後、二人は桜を見つめていた。
「すまんな。醜い所を見せた」
「いえ。女の子らしく、可愛らしいですよ」
「んなっ!?」
幽世でスズカに言われた言葉を返した。
初めて見るスズカの赤面を見つめる。
「もしかして、根に持っていたのか?」
アステルは微笑み、桜を見つめた。
「いえ、思った事を言っただけです」
「可愛いなど。……妾は二百年は生きている。ぬしらにとっては婆だろ」
「鬼の年齢ですよね。人で言えば二十歳くらいですよね」
「だとしてもだ。十七の小娘が、二十の大人に言う言葉ではない」
「十七の小娘に教えを乞うたのはスズカ様ですよ」
スズカは深くため息を吐き、胡坐をかく。そして、膝に肘を乗せ、頬杖をついた。
「それ、やめないか?」
「それって、何ですか?」
アステルは首を傾げた。
「それだ。妾に様も敬語もいらん」
「え? いや。……王様相手にそれは流石に」
スズカは再び大きくため息を吐く。
「妾はカグラの王だ。ぬしの王ではない、ぬしは盟友で友だ。よその王がどうだか知らんが、妾が良いと言っている。友に様をつけるのか?」
アステルを紫色の瞳がジッと見つめる。
「わ、分かりました。スズカ、さん」
「なんでだ!?」
グワッと顔が近付き。二本の角が、アステルの灰色の髪を持ち上げた。
「と、年上に敬語と敬称は当たり前じゃないですか」
「それをやめるまで、これはやめんぞ」
ええ……。
紫色の瞳がすぐ目の前。スズカが吐いた息が、そのまま肺に入る。
「わ、わかりました。と、取り合えず。離れてください」
「う、うむ」
スズカの顔が離れていく。ホッと胸を撫でおろす。
「ス、スズ……カ」
「う、うむ。……こそばゆいな」
「そ、そっちが。言い出したこと……」
顔が微かに熱く感じる。
「そうなんだが、呼び捨てで敬語じゃないのは父上くらいだったからな」
「町の子供達は?」
「あれは、わっぱだからだ。成長すれば、大体は敬語だ」
微笑みはしているが、どこか寂し気な表情をしている。
町の子供達と遊ぶ事が多い。しかし、民と王という事実はそこにあり。成長すれば、その事実が如実になる。
友達だからではなく、子供だから。
生まれた時から王の娘として、敬称と敬語が当たり前。
友達と呼べる存在がいなかった。王としての孤独。
もしかしたら、元賊の男。レンガのぎこちない敬語に対し、無理しなくてもいいという言葉は、そんな理由もあるのかも知れない。だが、忠を尽くすと決めたレンガの心を汲み取り、強要はしなかった。
アステルは深呼吸をする。
「わかった。でも、私でいいのかな?」
「当然だ。むしろ、ぬしが良い」
「そっか」
「うむ」
二人は背を並べ、静かに夜に散る、桜を見つめた。




