65話 顕明連
風のない世界、赤い月に照らされ、石階段を登っていく。左右に柵はなく、一歩踏み外せば地上まで落ちていく事だろう。
後ろの平原では、カイン達と魑魅魍魎の群れとの戦闘が起こっていた。
一歩、また一歩。地を踏みしめる。
遠くから見えていた屋敷が今、目の前にでその姿を現した。
「ボロボロだねぇ」
屋敷を見上げたフェリスが言う。
崩れた門を潜る。
破れた障子、切痕、折れた柱。屋敷の中へと足を踏み入れる。
ギシギシと鳴く、板張りの床を歩く。所々抜けていて、暗い底には土が見える。天井を見上げると、梁の隙間から蜘蛛の巣が覗かせている。
前を歩くスズカが、引っかかる襖を勢いよく開ける。ピシャンと、その音が静かな屋敷の中で響く。
大きな畳の部屋。その中央で、一人の男が瞼を閉じ胡坐を掻いていた。
後頭部が伸びた老いぼれた男。ぬらりひょん。
「あの姿を覚えておけ、そして、見続けろ」
静かに、呟くようにスズカが言い、部屋の中へと足を踏み入れていく。
ぬらりひょんがゆっくりと立ち上がる。その立ち振る舞いは荒々しいものではなく、どこか気品を感じさせる。
瞼を上げる、光のない眼がスズカを見つめる。
「ぬらりひょん、ぬし程の妖怪が……いや、今はやめておこう」
ぬらりひょんが何かを投げるような動作をした。スズカが首を傾けると、背後の壁に何かが刺さる音が静かに響く。
振り向くと、その壁には朧気に揺らめく一本の小刀が刺さっていた。
「視線を逸らすな」
その言葉に、咄嗟にアステル達は視線をぬらりひょんへと戻す。
その姿が揺らめく。辛うじて、その姿を認識出来る。
「すみません」
「いや、……仕方がない」
真っすぐ、ぬらりひょんを視界に捉えたまま、スズカが言った。
ぬらりひょんが地面に何かを放り投げた。
姿が見えない、その何かから白い煙が溢れ出る。
煙はぬらりひょんの姿を隠すように、室内に広がっていく。
アステルが腕を上げ、指を鳴らす。
風が吹き、煙は散っていく。しかし、その場所にぬらりひょんは居ない。
「小癪な……」
スズカの眉がピクッと動いた。
気配も何もない。
シリウスの視線が動き回り、獣耳がピクっと動く。そして、アステルを引っ張る。
その場所で、朧気な刃が空を斬る。
「ありがとう。……わかるの?」
「んー。分かるっていうより……感じてる?」
「感じてる?」
「うん、視界を奪われた時の為の訓練をして貰ってたからね」
なるほど。
アサイラムに居た時、シリウスと彼女達の剣の師匠である、酒童の訓練を見たことがある。
目隠しをした状態で、気配もなく、足音も一切立てない酒童を相手にする。
その時と状況は似ている。
しかし、決定的に違うものがある。
それは、こちらから干渉が出来ないという事。
攻撃も防御もすり抜ける。まるで、そこに存在しないかのように。
アステルとフェリスは、シリウスの援護もあり、何とかその朧気な斬撃を躱していく。
スズカは必要ないらしく、当然のように躱していく。
「動きが単調だな。本来のぬしなら、既に斬れている筈だがな」
本来のぬらりひょん。
スズカの父である前王の臣下であり、スズカの教育係。しかし、その王を斬った男。
涙を流し、何かの力に抗うかのように震えた刀で斬った。そうスズカが言っていた。
恐らくは幻術の類。それに抗いはしたが、それも虚しく王を斬った。
動きが単調で、躱すことが出来ているのは、その幻術のせい。皮肉な事に、前王を斬った幻術が、今の王とアステル達を手助けしている。
「妾の元に戻ってくる気はないか?」
「大嶽丸様を、斬ってしまった」
室内に響くように、どこからともなく、その声がする。
「うむ、ぬしは、父上を……王を斬った。庇うことなど出来ない程の、大罪だ」
「戻ることなど……できはしませぬ」
「だからと言って、幻術を受け入れ。その当たりもしない腑抜けた太刀を続けるか?」
「受け、入れた……? 儂が?」
部屋の中央、黒い靄が揺らめく。
ぬらりひょんが、姿を僅かに見せる。
「妾がその腑抜けた心を正してやる。思う存分、来るが良い」
スズカが三本の内の一つ、打刀をゆっくりと引き抜いた。
「それは……」
「うむ、主が斬った父上、大嶽丸の形見だ」
靄が激しく揺れ動き、そして、ぬらりひょんを包み込むように消えていく。
再びその姿を消したぬらりひょん。その場所を真っすぐと、スズカが見つめていた。




