60話 三段の烈風
硬い地面の上、赤い月光に照らされ、アステルが起きる。
薄い布を敷いただけの地面、身体が少しだけ痛い。
固まった身体をほぐすように、背中を伸ばした。
パチパチと爆ぜる焚火の前に、案の定ラセツが佇んでいた。
「おはようございます」
そんな彼の元に、アステルが歩み寄った。
「相変わらず早いな」
「見張りなら変わりますよ」
「いや、少し寝たから大丈夫だ」
「……そうですか」
焚火の傍、固い地面へと座る。
パチパチと薪が爆ぜ、崖下から魑魅魍魎の雄叫びが、歌声のように赤い世界に響く。
両膝を抱え、漆黒のローブの襟の中に顔を埋める。
「その服、ずっと着ているな。随分とボロボロだが、大切な物なのか?」
「旅立つ時に、先生が身に纏っていた物を餞別としてくれたものなんです」
二年前、昨日のようにその事を思い出す事が出来る。
当時は身体に全く合わず、ぶかぶかだったこのローブも、身長が伸び、ある程度は身体に合う大きさにはなった。
しかし、糸は解れ、ボロボロになっている。時間の流れを感じる。
「そうか、お前のような奴を育てたんだ。きっと、いい先生なのだろうな」
「まあ、……そうですね。術者としては尊敬はしています」
濁すような言い回しに、ラセツが首を傾げた。
「この服は確かに餞別としてくれましたが、ただ用意していなくて、他の先生がシリウスとフェリスに渡していたのを見て、ただくれただけなんです」
「そうか……。それでも、大切なものなんだな」
「……はい」
ローブに顔を埋め、アステルが頷いた。
暫くして、シリウス達、みんなが起きてきた。
焚火を消し、出立の準備を整えた。
「で、どうやってここから降りるんですか?」
カインが崖下を見つめた。
「何を言っている。飛び降りればいいではないか」
スズカが当然のように言った。
「いやいや、死ぬって……」
「ぬはは。この程度の高さで死ぬ奴などいない」
「いやいやいやいや」
余りの拒絶振りに、スズカがむ? とラセツを見た。しかし、ラセツも首を傾げていた。
「いやいや、俺とアステルさんは人間です。スズカ様やラセツさんみたいな鬼と一緒にしないでください」
「なんだ、人間はこの高さは駄目なのか?」
スズカがアステルを見つめた。「はい」と頷く。
「そうか。……人間は脆いんだな」
スズカは納得したように頷いた。ホッと。カインが胸を撫で下ろした。
「であれば、抱えて飛び降りるか?」
「なんでそうなるんだよ!? ですか!?」
代案として出されたスズカの提案に、カインが声を上げた。
「すみません。私達もこの高さは無理です」
シリウスが言い、その横でフェリスがうんうん。と頷いていた。
「なに? 獣の亜人であるぬしらも無理なのか?」
「鬼の肉体が強靭なだけで、他の種族は無理ですよ。もちろん、あたし達も」
雪女のセツナと送り犬であり、元賊である男も無理らしい。
全員抱えて降りることは不可能だ。
少しだけ残念そうな表情をしているスズカを置いて、アステル達は降りる方法を模索しだした。
周囲を見ても、降りる為の道は無さそうだ。
安全な道を探す時間も惜しい。
「飛び降りようか」
「ええ!? 何言ってるんですか!?」
「時間が惜しいからね」
驚きの声を上げるカインを背に、アステルは崖の淵へと歩き出し、下を見つめる。
何も策なしで飛び降りてしまえば、間違いなく生き延びることは出来なさそうだ。
アステルは黎明色の魔力で短剣を一つ生成した。
その短剣に緑色の魔力、風属性の魔力を込め、それを崖下目掛けて投げた。
落下した短剣は地面へと突き刺さり、緑色の魔法陣が生まれ、突風が吹き上げる。
アステルは振り向いた。吹き上げる風で、漆黒のローブと灰色の長髪がバサっと浮き上がる。
「下で制御してあげるから、私を信じてね」
「え? ちょ、ちょ!?」
アステルは後ろ向きに、倒れ込むように飛び降りた。
落下していく身体を翻し、地面へと身体を向けた。
漆黒のローブと灰色の髪が暴れ、風が耳元で騒ぐ。
二本目の魔力の短剣を作り、地面へと投げる。突き刺さった短剣から魔法陣が生まれ、二つ目の突風が吹き、身体を持ち上げるように落下速度が和らぐ。
そして、三本目を作り、それも地面へと投げた。
あともう少しで地面へと到達する。その瞬間、短剣が地面へと刺さり。突風が吹き上げた。
三つの風がアステルの身体を持ち上げ、ふわりと、地面へと足を着ける。
ふう。と息を吐き。乱れた服と髪を整えた。
遥か上を見上げると、皆が覗き込んでいた。一人だけ、絶望しているような気もするが。
風を二つ止め、崖上へ向かって手を振った。
そうして、皆が一人ずつ降りてくる。
最初はシリウス、そして、フェリス。
自身の時と同じように、落下中に調整した風を追加し、落下を和らげた。
二人を地上で出迎えた。
「大丈夫だった?」
「うん、大丈夫だよ」
「アステルの事信じてるからねぇ」
シリウスとフェリスが乱れた服や髪を整えながら答えた。
上から声が近付いてくる。
見上げると、カインが大口を開けて叫んでいた。
「ぎゃあああああああああ!?」
三つ目の風がカインを受け止め、うつ伏せのままドシャと地面へと落ちた。
「ちゃんと着地態勢取らないと……」
呆れながらアステルは手を差し出した。
「す、すみません……」
カインが差し出された手を握った。
次はセツナが降りてくる。問題なく、地面へと着地した。砂埃で汚れているカインを見つめ、フッと笑った。
「お前!? 押しただろ!?」
「あんたが全然飛ぼうとしないからでしょ?」
ぐぬぬ。とセツナを恨めしそうに睨んだ。
元賊の男が降りてくる。
「大丈夫ですか?」
「ああ、……問題ない」
男は服を整えつつ離れていく。
「ぬははははははははは!」
上を見上げると、満面の笑みでスズカが落ちてくる。
問題なく着地し、赤紫色の髪をバサッと上げ、両手に腰を当てた。
「うむ、もう一度やりたいな」
ええ……。とカインがスズカを見つめた。
そして、最後にラセツが落ちてくる。
無事に着地したのを見届け、アステルは地面に刺さっている魔力の短剣三つを消し去った。
「大丈夫?」
地面にへたり込むカインを見つめた。
「だ、大丈夫です」
足をガクガク震わせながら、カインが立ち上がった。
そんなカインをみんなで苦笑いで見つめる。
しかし、その平穏もすぐに崩れ去る。
ドシドシと、地響きを鳴らしながら何かが近付いてくる。
次第に揺れは大きくなり、足に力が入らないカインが尻もちを着いた。
そして、森の中からその音の正体が姿を現す。
崖上から見えていた。数多くの妖怪の一種、大鬼。それも一匹ではなく、群れをなしていた。
「うげぇ……カインが叫んだから来たんじゃない?」
フェリスがめんどくさそうに呟いた。
「え、俺のせい?」
「まあ、仕方がないよ」
シリウスが優しく言った。
「す、すみません」
カインが立ち上がった。
「うん、代わりにちゃんと働いてね」
アステルは大鬼の群れを見つめ、黎明色の魔力の剣を握った。




