36話 ヒスイ
鬼幻界カグラには鬼や妖怪、そして人が住んでいる。しかし、この世界に住んでいる人はアステル達の世界、フォレスティの人々と違い、無属性の魔力ではなく、鬼属性の魔力を宿している。
農民などの戦闘能力を持たない人もいるが、侍や忍術と言った魔術に似たものを扱う忍者もいる。
そして、そんな彼等を統治するのは鬼の姫。鈴鹿。
以上がナガレから聞いたこの世界のこと。
二人は与えられた寝室で、川のせせらぎを聞きながら、天井を見つめていた。
「鬼属性ってあんまり聞かないよね」
フェリスが言った。
属性魔力は大きく分けて四つ。地水火風の四元素が大半であり、そこから派生するように雷や氷等がある。
つまり、属性魔力とは自然の力であり、神秘だ。
鬼という自然は存在しない。
アステル達が会ったことある鬼属性は、カグラ出身の酒童のみ。鬼属性と契約をした人を見た事がない。
「もしかしたら、私達の知らない属性もあるかもしれないね」
「例えば?」
「霊属性とか」
「ええ……。やめてよ」
フェリスは軽く身震いをして、毛布へと包まった。
そんなフェリスを横目にアステルは軽く微笑んだ。
そして、陽が昇り、眩しい朝焼けを浴びながら、アステルは流れる川の水で顔を洗う。
「冷たい……」
凍える程の冷たさ。しかし、目がよく冴える。
「んー……おはよぉ……」
目を擦りながらフェリスが起きてきた。
「おはよう。顔洗ったら?」
「んー」
フェリスがアステルの横で屈み、白い指を川へと浸す。
「つめたっ……」
指を引っ込め、川を眺める。
ペチン、ペチンと。黒い尻尾が地面を叩く。
そして、意を決した様に頷き、手をギュッと握り締めた。
「今日は、いいかな……」
「ダメだよ」
「うへぇ……」
渋々フェリスは顔を洗い出した。
そうして、凍える様な冷水でアステル達は身支度を整え終えた二人は、ナガレの元へ来ていた。
「おや、もう行かれますか?」
「はい、お世話になりました」
アステルが深々と頭を下げた。
「回廊を抜け、東側に進めば小さな人里があります。まずは、そこを目指してみるとよろしいでしょう」
「わかりました」
「姫様にお仕えする鬼達には重々お気を付けを。彼等はこの世界の秩序を守るもの。揉め事を起こさない限り、何もないとは思いますが」
「揉め事起こす様に見える?」
フェリスがそういうと、ほほほ。と笑った。
しかし、酒童の事を考えると、鬼には気をつけるべきだ。
鬼の亜人である彼が、この世界でどのくらいの強さかはわからない。だか、アステル達の知っている彼は間違いなく剣豪だ。
「じゃあ、私達は失礼します」
アステル達が頭を下げ、ナガレに背を向けると、キュキュッと鳴き声が聞こえてきた。
振り向くと、昨日助けた河童の子供がトテトテと走り、そして、コテッと転んだ。
アステルが歩み寄り、子供を優しく起こした。
「相変わらず鈍臭いねぇ……。河童ってみんなこうなの?」
「この子が特別鈍臭いだけですよ。ほほほ」
「お別れの挨拶に来てくれたの?」
アステルが優しく尋ねると、キュッと鳴き。小さな手で何かの欠片を一つ差し出した。
受け取るとそれは―― 。
「甲羅の欠片?」
「ほほほ、契約を求めているようです」
「だけど、鬼属性って危ないんだよね?」
フェリスがナガレに尋ねると、「ええ」と頷いた。
昨日の夜、この世界の事を教えてもらうと同時に、鬼属性についても聞いていた。
他の属性のように魔術を扱えない、しかし、その本質は身体能力の大幅強化。
この世界の侍や忍者もその、恩恵によるもの。
そして、フォレスティで鬼属性を見ないのもそれが理由だ。
鬼属性自体が珍しいこともあるが、強大過ぎる身体能力強化に身体が保たない。
「ですが、その子は生まれて間もない子です。魔力も多くはない、恩恵も少ないですが、身体への影響も少ないでしょう」
「ええ……、少しでも影響あるならやめといた方がよくない?」
フェリスが心配そうにアステルを見つめた。
「影響と言っても、その子の魔力を考えれば、使い過ぎれば筋肉痛になる程度でしょう」
「筋肉痛程度か……」
「まあ……、その程度ならいいのかなぁ?」
拍子抜けしたようにフェリスが言った。
「この子が成長したら、身を滅ぼす程の魔力にはなりますが、今の少量の時期から慣らしておくことで、それはなくなるでしょうし、契約してあげては?」
ナガレがアステルと、河童の子供の契約を促した。
しかし、契約する事をあんまり良く思っていないと思っていたが、長が薦めるとは意外だ。
「ナガレさんは、この子と私が契約を交わす事に反対じゃないんですか?」
アステルからの質問に、ナガレは頷き、微笑んだ。
「召喚術師と召喚獣の間に隷属契約と呼ばれる物があるのは、当然我々も存じております。もし、この契約がそれならば、反対するでしょう」
ナガレの言葉に、アステルは息を呑んだ。
「しかし、この子が提示しているのは友愛の契約。そして、アステルさんとその狼、シルヴィもまた、友愛の契約で繋がっています。フェリスさんは少々違うようですが、そのような契約をするお方なら、問題はないでしょう」
シルヴィはアステルの隣で尻尾を振っている。優しくその頭を撫で、手に持つ甲羅の欠片を見つめた。
鬼属性による身体能力の大幅強化。
魔力による身体能力強化自体はあるが、それを遥かに凌駕する、この属性は魅力的ではある。
ギュッと欠片を握りしめた。
「契約しようか」
そうアステルが優しく言うと、河童の子供は飛び跳ねて喜んだ。
そして、アステルの手が河童の子供の頭上に掲げられる。瞳を閉じ、集中すると。河童の子供から朱色の魔力が現れ、アステルを優しく包み込む。
やがて、魔力は全てアステルの中に入り込み、瞳を開けた。
「よろしくね」
アステルは頭を撫でた。
「では、その子に名前を付けてあげてください」
ナガレの言葉にアステルは首を傾げた。
「名前ないんですか?」
「ええ、魔物は本来名前を持ちませんから」
確かに、魔物は名前を持たない。そして、召喚獣として隷属契約しても、名前を貰えないものも多くいる。
「ナガレさんが名前を持っているから、あると思ってました」
「私の名前は代々受け継がれた、長の名前です。力ある者に名付けて貰うか、自然とそう呼ばれるようになるか。それでしか、我々は名前を得ません」
ほほほ。と笑いながら答えるナガレにアステルは首を傾げた。
「力ある者?」
「はい、この世界では姫様等、代々統治してきたお方ですな」
「自然と呼ばれるって?」
フェリスもまた首を傾げた。
「畏れや敬い、色んな感情を含まれ自然とそう呼ばれる魔物もおります。俗にいう名持ちです。この世界では、鬼神、酒呑童子が有名です」
「酒呑童子……?」
なんか聞き覚えあるような響きに二人は首を傾げた。
「ええ、刀一つで幾千の鬼を切ったと云われ、やがて鬼の神。鬼神と呼ばれるまでの存在になったお方です。隠居してからは現在の姫様、鈴鹿様の指南役をしていた。と言われていますが、数百年前に姿を消した。とも言われています」
「ええ……、そんな存在と会いたくないね……」
フェリスが身震いをした。
刀一つで幾千の鬼を切った。そんな恐ろしい存在とは、会わないに越したことはないだろう。
「ほほほ、この世界にはもう居ないと思うので、安心してください」
ナガレが二人の不安な気持ちを悟ったのか、宥めるように言った。
しかし、名前だ。どんな名前がいいだろうか。
「名前どうしようかな……」
鬼幻界カグラらしい名前がいいだろう。
河童の子供、きゅうりが好きなのか、ずっときゅうりを握りしめている。
その姿を見て、おもむろにアステルが呟く。
「翡翠……」
「ヒスイ?」
少しだけ緑色を帯びた身体、そして手持つ緑のきゅうりと、緑色の瞳。
その鮮やかな色の重なりを見て、ふと、思いついた。
そして、フェリスがその音を繰り返す。
本人はその名が気に入ったのか、飛び跳ねて喜んでいる。
気に入って貰い、アステルはホッとする。
「ほほほ、よかったなヒスイよ」
「キュー!」
ヒスイが飛び跳ね、元気よく返事をした。
「召喚されていない時はこの里にいます。送還もこの里に送られるので、いつでも呼んであげてください」
「はい、お世話になりました」
アステル達は頭を深々と下げ、新たな仲間を迎え入れ、河童の里を後にした。
背後にはキュッキュと鳴き、小さな身体で精一杯飛び跳ねながら手を振る、ヒスイの姿があった。




