35話 カグラ
何かに突かれ、アステルは目をゆっくりと開け、起き上がった。
アステルを突いた小さな影は、慌てて茂みの中へと走り去って行く。
周りを見ても、誰もいない。
目に映るのは、綺麗な紅葉と青い空。
「魔界……?」
想像していた魔界とは、あまりにかけ離れた景色。
しかし、魔界にしては無属性の魔力はそこまで濃くない。
魔界ではない、別の世界。
周りに誰も居ないとなると、みんな同じ状況だろう。
シリウスのチャームをカインに渡しておいて正解だった。忘れずに召喚してくれると良いが、とりあえずカインの事はシリウスに任せよう。
となれば、呼び出すのはフェリスとシルヴィだ。
「おいで……」
アステルはローブの胸部をギュッと握った。
シリウスとフェリスは魂で繋がっている。故にアステルが彼女達を呼び出す際、チャーム等の道具は必要ない。
アステルの目の前に、緑色の魔法陣が出現し、光り輝く。やがて、ゆっくりとその光が収まると。黒髪に猫耳が生えた亜人、フェリスが召喚された。
「ここが何処かわかる?」
「んー、呼ばれる前に少し歩いたけど、魔界じゃないのは確かだよね」
つまり、何処かはわからないという事か。
次はシルヴィを呼び出す。
シルヴィの毛から作られたチャームを握り、魔力を込める。すると、蒼白い魔法陣が出現し、そこからアージェントウルフの子供。シルヴィが召喚された。
シルヴィがアステルを見るや否や、尻尾を振りながらアステルに飛び付く。アステルの腰程まで大きく成長した身体を受け止め、少しだけ倒されそうになる。
「わっ……と……」
アステルはシルヴィの頭を撫でた。
それを見ながらフェリスが口を開く。
「シリウスとカインを探さないとだね」
「うん、あとここが何処か把握しないと」
アステルはシルヴィを降ろし、乱れた服を整えた。
「そういえば」と、ある事を思い出した。
「向こうの茂みに何か走って行った気がする」
アステルは一つの方向を指差した。
木々から紅葉が降る茂みを、二人は見つめた。
「手掛かりないし、行ってみる?」
「そうしようか」
そして、二人と一匹は紅い茂みの中へと入って行った。
乾いた紅葉を踏み締める音が、静かな森の中に響く。
茂みを掻き分けて行くと、水がせせらぐ音が、聞こえて来た。
アステル達は、その音の方向へと歩いて行く。
茂みを抜けると、小さな川。
静かに流れる、透き通った水が落ちた紅葉を運んでいく。
流される紅葉を目で追って行くと、下流で小さな影が水浴びをしていた。
小さく、その背中には亀のような甲羅がある。二足歩行の小動物。その小さな身体の手にはきゅうりが握られている。
「見たことない魔物だね」
フェリスが囁いた。
「うん、ちょっと可愛いかも」
「弱そうだけどねぇ」
確かに、ギュッと小さな手で鷲掴みにしている、きゅうりと大きさがほぼ変わらない身体と、愛くるしい見た目。とても、戦えるとは思えない。
「どうするの?」
フェリスが首を傾げた。
姿を見ればどんな世界か分かるかも。と思って追って来てみたが、初めて見る魔物で何もわからない。
「楽しそうだし、放っておこうか」
アステル達が立ち去ろうとした時、川の対岸の茂みが地を鳴らしながら、大きく揺れ動く。
そして、紅葉を掻き分け、大きな鬼。オーガが姿を現した。
キュッ!?っと小さな動物は驚き、走り出した。しかし、石に躓き、コテッと転んだ。
オーガは川底を踏みしめ、ゆっくりと近付いていく。
そして、転んだ小さな身体に狙いを澄ませ、大刀を振り被った。
「フェリス! シルヴィ!」
「しょうがないなぁ」
アステルが指をスナップさせ、乾いた音が鳴り響く。
足元で風が爆ぜ、ブーストによって加速した。水飛沫の中、 凄まじい衝撃音が走り、驟雨のような飛沫の中で、アステルが黎明色の魔力の剣で大刀を受け止めていた。
そして、アステルの後ろではシルヴィが優しく、魔物を抱え走り去り。オーガの側面から放たれた、フェリスの魔術がオーガへと直撃した。
強い衝撃を受けたオーガはよろめいた。その隙を逃さず、アステルは足を切断した。
膝を地に着け、悶えるオーガの首をアステルが、剣から変化させた、魔力の斧で断ち切った。
「綺麗な所の割りに危険なんだねぇ。ここ」
沈黙したオーガを見つめながらフェリスが言った。
赤い血が、水に混じり流れていく。
ワンッっと声がし、振り向くと先ほどの魔物を背に乗せた、シルヴィが戻ってきた。
シルヴィが姿勢を低くすると、魔物がその背中から降り、アステルに走って近づいてくる。
キュッっと短く鳴き、手に持つきゅうりを差し出してくる。
「くれるの?」
アステルが屈み、差し出されたきゅうりを受け取った。
受け取ってもらえて嬉しいのか、アステルの前で飛び跳ねる。
「ありがとう」
お礼を言うアステルの裾をひっぱり、その小さな手でどこかを差している。
「ついてきて欲しいのかな?」
フェリスが首を傾げた。
ついていけばこの世界の事がわかるかも知れない。
アステルはひんやりとした、小さな頭を撫でた。
「行ってみようか」
小さな魔物は歩き出した。小さな歩幅、どこまで歩くか分からないが、時間が掛かりそうだ。
少しだけ不安に思っていると、再び小さな魔物は躓き転んだ。
アステルが優しく持ち上げ、シルヴィの背中へと乗せた。
ワフッ。
キュキュ。
ワンワン。
シルヴィがアステルを見つめた。
「通じてるのかなぁ?」
フェリスが苦笑いした。
魔物の言葉はわからないが、多分通じているだろう。
「案内できる?」
アステルが優しく問うと、二匹は同時に声を上げた。
その光景を見て、二人は微笑んだ。
歩いてから一時間もしない頃、川の下流、紅葉が生い茂る回廊を歩く。
空気が少しだけひんやりしている。
そして、回廊を抜け、無数の清流が入り混じる岩場へと出た。
そこには小さな集落があり、小さな魔物と同種がそこにはいた。
キュウっ!っと魔物がどこかを差した。
その方向をアステル達が見ると、同種の魔物。しかし、大きさはアステルの腰程の魔物がゆっくりと近づいてきた。
「ようこそ、おいでなさった」
「え、キュッキュ言わないんだ」
フェリスの言葉に、ほほほと笑う。
「何百年も生きておれば、人の言葉も話せます」
「何百年? 随分なおじいちゃんだねぇ」
フェリスの言葉にアステルが苦笑いするが、目の前に立つ魔物は再びほほほと笑う。
「わしはここの長を務めさせて貰っている。ナガレと申します」
ナガレは深々と頭を下げた。
「アステルと言います。こちらはフェリスとシルヴィです」
アステルは名乗り、頭を下げた。そして、遅れるようにフェリスも頭を下げる。
「随分と聞きなじみのない名前ですな。格好も見慣れない」
「はい、私達は他の世界から来ました。つかぬ事をお聞きしますが、ここは魔界ではないんですよね?」
川のせせらぐ音だけが響く。
「ここは鬼幻界、カグラです」
「鬼幻界……カグラ?」
どこかで聞いた気がする。
アステルは記憶の底を掻き分け、必死に思い出そうとする。
やがて、答えは出る。
ライラとの修行で一緒に稽古をしてくれていた、アステル達の剣術の先生。鬼の亜人、酒童が元いた世界だ。
鬼や妖怪が存在する世界。アステル達の世界では、二つを含めて魔物と呼ぶが、この世界ではその二つに分類されている。
「ナガレさんは魔物……、妖怪ですよね?」
「はい、我らは河童。水辺に住む妖怪です」
シルヴィの背中に乗る、小さな魔物を見る。
この子は河童の子供という訳だ。
「どうやら里の子が世話になったようで。その子も、あなた達を気に入ったようだ」
そう言いながらナガレは、アステルの手に握られたきゅうりを指差した。
「今日はここで休んでいってください。この世界の事をお話しましょう」
気付けば夕暮れ、紅い森が更に紅く見える。
シリウスやカインの事が気がかりではあるが、闇雲に探す訳にもいかない。
知らない世界の夜の森を歩くのは避けるべきだろう。
「ぜひ、お願いします」
そうアステルが答えると、ほほほとナガレが笑い。こちらへ。と歩き出した。
鬼幻界、カグラ。鬼と妖怪が住む世界で、アステル達は歩き出した。




