100話 夜の訪れ
白い硝煙が昇って行く。それをジッと追っていく、その先には狭いけれど、確かな青空が広がっている。
視線を下せば、灰色の髪の少女が、商人の腕を掴み上げていた。
奴隷と呼ばれた召喚獣が、アステルを見つめる。
「何の真似だ?」
商人の冷たい視線がアステルへと突き刺さる。
「この奴隷、いや召喚獣は私が買います」
「今更買うだと?」
アステルは商人の手を離し、静かに彼を見つめた。
「だが、そいつの値段はもう嬢ちゃんが払えるような金額じゃないぜ?」
商人は忌々しそうに腕を摩りながら、下卑た笑みを浮かべた。
アステルは嫌悪感を抱きつつも、静かにその顔を見つめる。
「消費した弾薬代、そして、こいつ自身の値段を踏まえて千と二十五だ」
金貨千二十五枚。
一年近くは余裕で暮らせる。当然、そんな大金など持っていない。
「そうですか」
しかし、アステルは表情、声音を崩さず静かにそう答えた。
むしろ、その値段に怒りを感じる程に、アステルは冷静だった。
召喚獣だって生きている。
笑い、怒り、泣く。人と変わらない生き物に、値段をつけること自体苛立ちを覚える。
「嬢ちゃんにはとても払えない大金だ。だが、弾薬代の金貨千枚はきっちりと払ってもらう。……嬢ちゃんの見た目なら、三か月もあれば稼げる仕事があるから安心しろ」
商人は舐めるようにアステルの身体、そして顔を見て手を伸ばす。彼の指がアステルの顎を撫でる。
アステルは眉一つ動かすことない。しかし、拳は力強く握られ。
身体から少しずつ魔力が漏れ出る。
「手、出しましたね」
「あ?」
アステルの拳が商人の腹部へと、深く抉る様に入り込んだ。
魔力により身体能力を強化した拳を受けた男は、並べられた商品をまき散らし地面へと転がる。
「がはっ……、て、てめぇ!? 女だと思って優しくしてやってたのに……」
「先に手を出したのはそちらです。正当防衛をしただけです」
アステルは乱れた服を整え、自身が奴隷として売り捌く召喚獣と同様に、地に伏せた商人を見下ろした。
そして、黎明色の魔力の短剣を創り出し、召喚獣の鎖を斬る。
「……立てますか?」
アステルは召喚獣へと手を伸ばす。
伸ばされた汚れの無い白い手を見つめ、自身の汚れた手を見つめる。その手を、アステルは迷わず掴み引き上げる。
「てめぇ!? 俺の商品になに勝手な事してやがる!」
「この方は私が買いました。どうしようと勝手じゃないですか」
「まだ金払ってねえだろうが!?」
「確かにそうですが、……払っても貴方にはそのお金を使う機会は訪れません。払う必要もないでしょう?」
アステルは魔力の短剣を手に持ち、転がる商人へと歩み寄っていく。
男は地面を転がるように、散らばる商品を掻き分け、地を這う。
そして、男は懐からピストルを取り出し、銃口をアステルへと向け、迷わず引き金を引く。
乾いた音が鳴り響く。銃弾はアステルに届く事なく、黎明色をした魔力障壁によって阻まれた。
「くそっ! おい! 出てこい!」
商人が声を荒げた。
その声に応えるかのように、ゾロゾロと銃器やナイフを手にした男達が姿を見せた。
「へへ、裏社会っていうのは横の繋がりが強くてな。信頼が大事なんだ、嬢ちゃんの行いは裏社会において禁忌。信頼をなくすぜ?」
「別に、裏の信頼なんて要らないから大丈夫です」
アステルはおもむろに手を伸ばした。
そして、白い指が弾け、乾いた音が鳴り響く。
緑色の魔法陣がアステルの前方に広がり。幾つもの風の刃が放たれた。
「召喚術師か!?」
男達が遮蔽へと隠れる。逃げ遅れた数人を切り刻み、暗い路地に赤い血が色付ける。
アステルは召喚獣の手を握り。背を向け、走り出した。
男達の罵声が背後から聞こえてくる。
路地を走り続け、アステルの手から召喚獣の手が零れ落ち、召喚獣は力なく倒れた。
「大丈夫ですか?」
アステルが近付くと召喚獣は肩で呼吸をしていた。
随分と鎖で繋がれていた結果。体力と筋力が落ちている。召喚獣と言えど、今は人間よりも身体能力が落ちている。
召喚獣の乱れた呼吸の中に、男たちの足音、罵声が混じる。確実に近づいて来ている。
アステルは懐から甲羅の欠片を取り出し、それを握りしめる。
黎明色の魔力が欠片の中へと入っていく。
やがて、アステルの目の前に朱色の魔法陣が生まれ。そこから、小さな河童の子供。ヒスイが姿を現した。
キュッと鳴き。小さな手で力強く握りしめられたきゅうりを突き上げた。
「力貸してね」
アステルはヒスイの頭を優しく撫でた後、抱え上げてフードの中へと入れた。
朱色の魔力。鬼属性の魔力がヒスイから放出され、アステルを優しく包み込む。
普通の身体能力を凌駕した身体能力の強化。人の身体では耐えられないその力は、持って三分と言ったところだ。
アステルは召喚獣を背負った。確かな重みがある。それでも、ヒスイの力のお陰で背負う事が出来る。
その重みを感じつつ、アステルは地面を蹴る。
地面が割れ、コンクリートが浮かぶ。先ほどよりも速く走る。
地に足が着く度に強い衝撃が足に伝わる。
回り込んできた男達数人がアステルの目の前に立ちはだかった。
それでも、アステルは地を蹴る足を止めない。
朱色の光が飛び上がり、建物の壁に足跡を残す。
ヒスイはアステルにしがみつきつつも、背負われている召喚獣を掴む。大した効果はないかも知れない。それでも、掴んでいた。
再び地面に足を着ける。軋む足で前へと踏み出す。
青い空にオレンジ色が見え始めた頃。アステル達は開けた場所へと出る。
迷路のような路地を駆け巡り、辿り着いた裏路地の広場。
背負っていた召喚獣を地面に下ろし、朱色の魔力がアステルの身体から抜けていく。
気怠さが一気にアステルを襲い、身体の節々に痛みが走る。
両手に膝をつけ、痛みと疲労による汗が地面を濡らす。
少し遅れて、複数の足音が近付いてくる。
もう背負って運ぶ事は出来ない。
身体を起こし、黎明色の魔力で剣を造り、握りしめる。
やがて、息を切らしつつも男達が姿を見せた。
シリウスやフェリスを召喚すべきだろうか。
しかし、二人ともスズカやカイン達を連れて依頼の調査をしている筈。
それにスズカ達はこの世界に来たばかり、フェリスを召喚してスズカ達を放っておく事は出来ない。
シリウスも同様だ。カインと共にシルヴィが居るとしても、狼の子供。一人にするのは少しばかり心配がある。
「はぁ……」
アステルは小さくため息を吐いた。キュッ? とフードの中でしっかりと小さな手で布を掴むヒスイが鳴いた。
「大丈夫だよ」
アステルは男達を見据えた。銃口が金属音を鳴らし、少女へと向けられる。
乾いた音が連なり響く。アステルが手を翳すと、黎明色の壁が生まれ迫りくる幾多の弾丸を四方へと跳ね飛ばす。
銃弾の雨が止まる共に、アステルは魔力の剣を投げ、ただちに短剣を両手に造り投げる。
硝煙が晴れた男達の身体に剣とナイフが突き刺さる。
男達は悲鳴上げ倒れ行く仲間に見向きもせず、その手に持った刀を構え、アステルへと向かい走り出した。
再び剣を生成し、魔力での身体能力を向上させ、無理やり身体を動かす。
男達の斬撃を躱し、手に握られた魔力の剣で受け止める。
そして、蹴り飛ばし、斬撃を入れ返す。
パン。乾いた音が鳴る。
激痛が走り、脇腹を見る。赤い血がゆっくりと流れていく。
音の方向を見ると、ようやく追いついた商人が硝煙を上げたピストルを構えていた。
そして、増援が来る。
「随分と、必死なんですね……」
血を流したアステルを見て、男が笑みを浮かべる。
「当たり前だ。金貨千枚だ。千枚も失ったに等しい。その奴隷はくれてやる。だが、弾薬代はきっちりと稼いでもらわなければ困る」
「撃っておいて働けって事ですか?」
「安心しろ。腕のいい闇医者を知っている」
「……そうですか」
アステルは静かに呟く。
「その女を生かして捕まえた奴にはそいつの売り上げの半分。殺したものには、金貨二百枚くれてやる。傷物になっても構わねえ。そいつを捕まえろ!」
男達の攻撃が激化する。
撃たれた銃弾を黎明の壁が弾き飛ばす、その隙を狙い斬撃を入れてくる。
刃を躱し、指を鳴らす。風の刃が、次のマガジンを装填しようとする男達を切り裂いた。
それでも、男達の猛攻は止まらない。
銃弾の数は減っていても、銃を持つ男達を全員無力化した訳ではない。
アステルは再び指を鳴らし、斬りかかってくる男達は風で吹き飛ばす。そして、弾丸の雨を壁で防ぐ。
夜が近付く。夕暮れの陽が建物に遮られ、薄暗い路地を更に暗くする。
吹き飛ばされた男達が立ち上がる。その目は未だに諦めていない。
銃口も向けられる。アステルの足元に、赤い血痕が残る。
足が震え、支える事が出来なかった身体を、地面に剣を刺し、何とか立ち上がった。
男達の指が引き金を引く。
同時に、アステルの足元が少しだけ盛り上がり、前方に黄色い魔法陣が描かれ、石の壁が生まれ、銃弾を全て防いだ。
「土属性……?」
アステルが首を傾げた。
シリウスとフェリスは風属性。倒れている召喚獣は火属性だ。
困惑するアステルの耳に、静かな足音が近付き、声が聞こえる。
「窮地の少女の元に颯爽と現れ、鉛の雨をいとも簡単に全てを防ぐ。儚くも美しい夜空のような黒髪を靡かせる美女は誰?」
アステルは聞き覚えのある声に、ゆっくりと振り向いた。
「せん、せい……?」
「そう、私です」
黒い長髪を靡かせたライラがそこには立っていた。
その隣には赤い髪のエドナと鬼の老人シュドウが呆れたように溜息を漏らしていた。
役目を終えた土の壁が音を立てて崩れ落ちる。
ライラは男達が見えていないかのように、ゆっくりとアステルの元へと近付いた。
「久しぶり、アステルちゃん。……髪切った?」
「……切ってないです。お久しぶりです」
「冗談だよ。背、伸びたね」
ライラの手が優しく、アステルの頭をぽんぽんと叩いた。
アステルは何も応える事なく、静かにその優しく暖かい手を受け入れた。
「エドナ」
「大丈夫?」
エドナはアステルに肩を貸し出し、倒れた召喚獣の元へと運んだ。
そして、地面へと座らせ、銃創をじっくりと見始めた。
「弾は抜けてる。大丈夫、すぐ治るわよ」
そういうと、エドナは傷に手を翳し、赤い魔力がアステルの傷を覆う。
それを見届け、ようやくその存在を認識したかのように、ライラが男達を見た。
手を組み、前方へ声を微かに漏らしつつゆっくりと伸ばした。
「何者だ?」
ライラは聞こえていないかのように、何も応えない。
「手を貸そうか?」
「んー、要らないかな。久し振りの愛弟子の前だからね。カッコいいところ見せないと。……それに、この程度の雑兵。私一人でも勿体ないレベルでしょ?」
シュドウはその言葉を聞き、ほっほっほと笑いながらアステル達の元へと歩み寄った。
「雑兵だと? 随分と舐めてくれるな?」
ライラは応える事なく、欠伸を漏らした。
その様子を見た男達の一人が苛立ちを見せる。
「無視してんじゃねえぞ!」
銃の引き金が引かれようとした瞬間、ライラは指を弾く。乾いた音と共に、男の足元に黄色い魔法陣が生まれ、細い石の柱が銃口を持ち上げその男の顎へと向けられる。
そして、撃鉄が下され、火薬が爆ぜる。
弾薬は顎を通り、脳を突き抜けていく。
引き金を引いたまま男は倒れ、マガジン内の弾薬を全て撃ち尽くす。
飛び散った血痕の中に、白濁とした何かが混じり、やがてそれは破損した頭部から静かに流れ落ちる。
「私も弱いやつ相手にしてやれる程、暇じゃないんだよね」
その声音はアステル達に話していた時とは打って変り、酷く冷たいものだった。
「ひ、ひぃ……」
男達はライラに背を向け、走りだそうとした。しかし、その先に大きな壁が生まれ、逃げる先を失う。
「どこいくのさ? 私の可愛い、可愛いアステルちゃんを傷つけたんでしょ? その落とし前付けなよ。そうだなあ……金貨一万枚とか?」
「そんな大金はら ――」
パチン。指が鳴る。
商人の傍に居た男が突如として燃え出す。
男は苦しみの声を上げ、その炎をかき消そうと首を掻きむしり、地面を転がる。
やがて、黒く燃え尽き、周囲に焦げた臭いを残したまま静かに炎は収まる。
「わ、わかった。好きなだけ奴隷はくれてやる! 土属性と火属性が扱えるなら、次は水か? 風か?」
パチン。再び指鳴る。
男の一人の全身を水が覆い尽くす。
藻掻き苦しみ、灰から空気を漏らし男は倒れる。そうして、地上で男は水に溺れていく。
「み、水も扱えるのか? じゃ――」
パチン。三度目の指が鳴る。
アステルのものよりも数の多い風の刃が、残りの男達全員の首と手足を撥ね、商人の手足をも撥ね飛ばす。
「あ、あ、ぎゃあああああっ!?」
ライラがおもむろに手を伸ばすと、商人の切断された箇所を焼く。流れていた血が、肉が焼かれ止まる。
手足があったその断面が、炭化し黒くなる。商人の聞くに堪えない絶叫が空間に響き渡る。
「うっるさいな……」
ライラが迷惑そうに耳を塞いだ。
やがて、商人の絶叫は止み。白目を剥き、泡を吹きながらカチカチと口を動かす。
「おっ……生きてる? 死なれたら困るんだけど?」
ライラは歩みより、しゃがみ込んだ。
「おーい。今度はそっちが無視? ……酷いな」
手を耳に当て、商人に向けた。
当然、何も返事はない。
「はあ……まあ、いいや」
ライラは膝にパンと手を当て、立ち上がった。
そして、クルッと軽やかに黒髪を靡かせ、身体をアステル達の方へと向けた。
ルンルンとした足取りでアステル達の元へと近付いた。
「改めまして。久しぶり、アステルちゃん。アステルちゃんの大好きな、綺麗なライラ先生だよ」
「……今でも、自分の事綺麗って言ってるんですね」
アステルは呆れたように、苦笑いを浮かべ応えた。
「事実だからね。久しぶりの私、かっこよかったでしょ?」
ドヤッと、ライラが胸を張った。
「……はい。かっこよかったですよ」
ライラはうんうん。と頷き、え!? とアステルを見た。
「二年前に比べて素直になった?」
「アステルちゃんは昔から素直よ?」
「ほっほっほ。そうじゃな」
「あーれぇ……そう、だったか……な?」
ライラは手を顎に当て、首を傾げた。
そんなライラをアステルはジッと見つめる。
おちゃらけてて、常に自分自身に強固な自信を持っている。二年前から一切変わらないその姿を見て、心が休まる気がする。
「来てくれてありがとうございます。助かりました」
その言葉を耳にしたライラ達は静かに微笑んだ。
「うん。アステルちゃんも色々大変だったでしょ? ……よく頑張ったね」
ライラの手がアステルの灰色の髪をなぞるように、頭を撫でる。
アステルは目を伏せ、静かにその手を受け入れる。
夜が近付き行く、薄暗い裏路地。
アステルを優しく夜が包み込んだ。




