95話 東方浄土
アステル達がシリウス達の方へ、赤黒い防御壁へと近付くとカインがその防御壁を壊そうと、何度も剣を振り下ろしていた。その剣の柄は血塗れになっているが、カインの手は傷を負っていない。
負った傷がすぐに再生される彼の再生能力が、その傷を消し去っていた。
防御壁の中、青い花の中に犬耳が生えた少女シリウスが静かに眠り、その傍では仮面の男がシリウスに手を翳し、赤黒い魔力を放出していた。
「アステルさん、すみません。……俺じゃ壊せなくて」
カインがアステルに頭を下げた。
しかし、アステルはカインの言葉に首を傾げる。
「どうして謝るの?」
「え? いや、だって……シリウスさんが……」
「よく見なよ?」
フェリスが呆れたような声音で言った。
その言葉に従い、カインは寝そべるシリウスを凝視する。
仮面の男との戦いで負っていた筈の傷が治っている。
男の赤黒い魔力が、シリウスの怪我を治療していた。
「どうして、シリウスを助けてくれたの?」
アステルが仮面の男に聞いた。
しかし、男は何も答えない。ただ、静かにシリウスの身体へ治癒魔術を掛けていく。
カインの攻撃が止まった事により、防御壁が消えていく、同時にシリウスが静かに目を覚ました。
仮面の男は、静かに立ち上がり、一瞬だけよろめきを見せる。
深く切り裂かれた腹部を抑え、今度は自身に治癒魔術を掛け歩き出した。
「待って」
自身を通り過ぎ、後ろへと歩いていく仮面の男をアステルが呼び止めた。
男は振り返る事なく、立ち止まった。
「何のつもりかは分からないけど、シリウスを治してくれた事にはお礼は言う。……ありがとう」
応えることはなく、再び歩き始めた。
「……アステル」
シリウスは掠れる声でその名を呼んだ。
アステルはシリウスの視界に入り込むように、その顔を覗き見た。
「……おはよう」
「うん、……おはよう」
差し出されたアステルの手を、シリウスの手が握りしめる。
そして、アステルは彼女を引き起こす。
「む、ラセツよ。随分とだな?」
スズカが歩き近付いてきたラセツの存在に気付きそう言った。
アステル達がその言葉を聞き、ラセツを見る。
その身体は傷だらけで、血塗れだった。
「ちょっとした掠り傷です。この程度問題はございません」
「そうか?」
ラセツの言葉にスズカが首を傾げた。
「駄目だよ。感染とかしたら面倒だし、治してあげるから座って」
フェリスが言った。
「いや、大丈夫――」
「座って」
フェリスがラセツの言葉に被せ、睨むようにそう言った。
渋々とラセツは青い花畑の中へと腰を下ろし、フェリスは治癒魔術を掛けていく。
「普段は気だるげだが、怪我となるとすぐに動くのだな。フェリスは」
アステルの隣で関心するようにスズカが言う。
「フェリスは私達の中で一番治癒魔術が得意で支援役だからね」
「アステル達も治癒魔術が扱えるのか?」
「私とシリウスは応急処置程度しか出来ないけどね。治癒魔術を扱うには医学的な専門知識が必要だから、ちゃんと修行しないと出来ないんだ」
魔術は魔力を扱う術。魔術において最も大事なのはイメージ。イメージが出来なければ、魔術は扱えない。
治癒魔術等の専門的な魔術は、その知識がなければイメージすることすら困難だ。
「……そうか」
スズカは誇らしげにフェリスを語るアステルを見て、微笑みながら頷いた。
「おーい、サタン……大丈夫か?」
後ろの方で声がし、アステルは振り向いた。
倒れた黒龍、サタンの顔をぺちぺちとラースが叩き、その傍には仮面の男が静かに立っていた。
ラースはため息を一つ吐き、サタンへと手を翳した。
赤黒い魔力がサタンから放出され、ラースの身体の中へと入っていく。
傷だらけだったラースの身体が徐々に治り、やがて黒龍の姿が消え去る。
そして、一人の男が花畑の中から立ち上がった。その男を見て、ラースが言う。
「俺たちの負けだ、サタン」
「ほざけ、我は負けてなどおらんわ! 第一にだ、一対四等卑怯ではないか!?」
サタンと呼ばれた男が声を上げた。
「いやいや、龍化してんだから寧ろ少ない方だろ?」
「いいや、認めん。認めんぞぉおお!」
サタンはグワッとアステル達の方へ顔を向けた。
そして、腕を大きく振り、のっそのっそと歩き出す。
その腕をラースが掴む。しかし、そのラースを引きずりながらも、サタンは大きく腕を振り歩き続ける。
「力強すぎだろぉ!? おい、新人も手伝ってくれよ!?」
必死に静止しようするが、一向に止まる気配がない。ラースは仮面の男に助けを求めるが、仮面の男は動じる事なく、そんな二人を見つめていた。
サタンは立ち止まり、アステル達へビシッと指を差した。
「これで勝ったと思うなよ。我は、まだこれぽっっっっっちも本気を出してなどいないからな」
サタンは限りなく指を離していない手を見せた。
「やめろよ!? 俺は本気だったから!? 恥ずかしい事すんなよ!?」
ラースはサタンの手を無理やり下げた。
今度はラースがサタンを引きずりアステル達から離れていく。
引きずられるサタンの口から色んな言葉が出てくる。
「いいから! 黙ってろ!? さっさと帰るんだよ!?」
「帰ると言っても、帰れないからここにいるのではないか」
「確かに」
二人は冷静になり、立ち止まった。
そんな二人を見て、仮面の男はため息を吐き、空間へと手を翳した。
すると、赤黒い魔力が集まり、やがてそれは楕円状に広がる。
「ええ!? 転移門開けるのかよ!?」
ラースは大袈裟な程に驚いてみせた。
しかし、驚くのは無理もない。転移魔術は太古の魔術。それも、転移紋章もなにもない所で生み出した。
「なんでもっと早く門を出してくれなかったんだよ!? めちゃくちゃ痛い思いしたんだぞ!?」
ラースは仮面の男へと詰め寄った。だが、男は何も答えない。
ラースはため息を吐き、まあ、いいや。とアステルを見た。
「じゃ、また会おうぜ。おじょ……アステル」
ラースは赤黒い魔力の中へと消えていく。
そして、そのあとに続きサタンも入っていく。
「我は負けていないからなぁ!」
徐々にその声音は遠くなっていく。
残された仮面の男がジッと、アステル達を。いや、カインを見つめていた。
カインは気付く事なく、シリウスの事をひたすらに心配し、謝罪をしていた。
少しだけ顔を俯かせ、赤黒い魔力の中へと消えていく。
男が消えると、赤黒い転移門は消え去り。静けさが、青い瑠璃草を青い空の下に残した。
「うへぇ……疲れたぁ」
ラセツの治療を終えたフェリスは獣耳と尻尾を垂らし、アステルにもたれ掛かるように抱き着いた。
「お疲れ様」
フェリスの頭を撫でると、静かに尻尾が揺れ動く。
「……帰ろうか」
アステルが静かに呟く。
皆が頷き、歩き出す。
その背を追い、アステルも歩き出した。
不意に振り向く。東方浄土、瑠璃草が咲き乱れ、大地を青く染めていたその戦場には、戦いの後が残っている。
綺麗だったものを壊してしまった。
風が吹き、瑠璃草が揺れ動く。
アステルは再び歩き出した。




