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第三十九話 強者が認めた強者

 これぞう、みさき、土上、そしてあかねの四人がベンチで談笑していると、カキン!の気持ち良さには届かないカンッという音が聞こえた。バットにイマイチな当たりの音だった。そんなイマイチな当たりはファール玉となってあかねに迫っていた。彼女からすると真後からその球は迫る。このままでは避けられずに体に当たってしまう。

 あかねは後ろから迫りくる打球に気づかないが、他の選手達はそれに気づいていた。しかしバッターボックスとあかねとの距離は短く、その打球にはそれなりの速度があった。だから皆には危険を告げる暇がなく、誰もが危険を分かっていながらも、あかねに届く警告の声はなかった。

 その球は、あかねと対面するこれぞう、みさき、土上にも見えていた。これぞうはこちらに向かってくる球に気付くと、驚いて口を開けるだけだった。まさかその打球があかねに当たる前に処理することなど彼には不可能なことだった。

 土上は打球の軌道を読み、それが少女に確実に当たると理解した。その瞬間彼女は地面を蹴って宙に浮いた。その後の姿は常人の動体視力では追えなかった。土上は打球があかねに到達する前の一瞬であかねの背後に回り込み、全開状態の日傘を盾にした。これで待っていれば球は傘に当たって地面に落ち、無事に事が終わる。しかし、土上が傘の向こうから伝わるはずの衝撃を待っていても、それが一向にやってこない。どういうことだと思って彼女が傘を下ろして前を見ると、そこにはみさきの姿があった。なんとみさきは、あの間で瞬時に移動した土上よりも更に前に立ち、素手で球を掴んでいた。

 さすがにこれに驚いた土上は「みさき……」と一言漏らした。

「良かった。ドニーの傘が傷まなくて」みさきは笑顔で言うと、ピッチャーに球を投げ返した。

「わぁ、びっくりした。ボールのこともだけど、二人だよ。いつの間にそこに立ってるの?」これぞうはあかねが無事だったことに安心したのと、二人の超人的立ち回りに驚いて尻もちをついた。

「ありがとう。気づかなかった」あかねは知らぬ間に助けられたことを感謝した。

 事が無事に済んだ時、選手達はあかねを心配してベンチに集まってきた。そして、ここに集まるもう一つの目的はみさきと土上のアクションを称えることだった。

「なんだ今の動き!」「お姉さんたち、何者なの?アクションスターなの?」「テニスのお兄ちゃんは何か出来ないの?」などなど、二人とおまけにこれぞうも皆の注目の的となった。


 子供達によるしばしの騒ぎの中、みさきは「これは退散ね……」と判断した。三人はあかねとその他のちびっこに別れを告げると、広場を離れて土手の上に登った。それからは、土上がポイズンマムシシティに帰るための電車に乗る駅に向かうことになった。流れでこれぞうも同行した。


「いや~お二人ともすごいなぁ。僕なんて二人よりも三歩程あかねちゃんの近くにいて、この心強いテニスラケットまで持っていたのに、驚いて一歩も動けなかったよ」これぞうは二人の後ろからついて歩き、ヘラヘラして喋っていた。

「もうっラケット持って後をついてこないでくれる?」みさきは振り返って言った。

「仕方ないじゃないか。そんなことを言ってもこいつを収めるものを持ち合わせていないよ。いいじゃないか、廃刀令のご時世だけど、こいつは刀には数得られないだろう?捕まりはしないさ」

 土上は黙って歩を進めた。先程の事、みさきのあの立ち回りについて考えていた。少女を庇った自分を更に庇ったあのスピードには多くの興奮と少しの恐怖も目覚めた。

「ドニー、どうしたの?」みさきは土上の顔を覗き込んで尋ねた。

「いえ、みさきはやはりすごいと思っていました。子を身ごもっていながら、あの一瞬で私よりも先に立った。今日は来て良かった、あなたの強者たる所以を再びこの目にすることが出来た」

「そんな、ボールを掴んだだけで強いとか……」みさきは謙遜して言うが、それは謙遜の余地なく超人的行いだと誰にでも分かるものであった。

「いやいや、みさきさんは実際大したものだよ。絶対に強いよ。あんなに速く動けば、お腹の赤ちゃんも時間を越えたような気分になっているだろうさ」またもこれぞうはヘラヘラしながら言った。

「もう……」みさきは困った顔でこれぞうを見た。

「ふふっ、そう言えば……」土上はとあることを思い出して笑った。

「何?どうしたのドニー」

「いえ、私といる時には一度も旦那様の名前を呼ばなかったのに、先程は一度『これぞう君』と呼びましたね。普段はああ呼んでいると想うと、どうにも笑いがこみ上げてきて」

「ちょっと、ドニー、そういうからかいは止めてよ」みさきはこれぞうがいる後ろをチラチラ振り返ると、顔を赤くしてまた土上を見た。

「仲がよろしいようで安心しました。だってみさきが男性とお付き合いするという経験があまりにも珍しいので、現状はどうなのかと、友人として少し心配にもなっていたのですよ」

「土上さん、それなら安心してよ。僕たちは仲良しだし、これからだって喧嘩の三つくらいはするかもしれないけど、最後にはやっぱり仲良しだ。そういう二人だからさ」

「みさきは良い旦那様を選ばれた。今日は安心して帰れます」

 友人の幸福を確認すると、土上は満足して電車で乗り込んだ。


「いや~派手な格好をして街を歩く人だな。しかし、あの衣装はいい……どうだろうか、みさきさんもたまにはああいう洋式のフリフリなのをだね」

「着ないに決まってるでしょ?」これぞうが喋る途中でそう答えると、みさきは駅に背を向けて歩き始めた。

「あっ、ちょっと待ってよ。みさきさん、今日こそちょっとそこらで牛丼かお茶を飲むかしない?」

「もうお好み焼きを食べたし、お茶も飲んだ。それにこんなテニス男とどこに入れるって言うのよ」

「ああ~またもやこいつが邪魔で振られたよ。みさきさんと駅前に来る時にはどうしてテニスラケットが手の中にあるのだろうか」

 それは全部これぞうのせいだが、みさきはそれを指摘せず、微笑んでまた歩き出した。夫婦は仲良く家までの道を辿った。

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