メルディからの依頼
アランがメルディに会う機会は、存外すぐにやって来た。
ミサから三日も待たずに、アランの両親がロックベル親子を昼餐会に誘ったのだ。
先日のミサの件で娘が世話になったのもあり、ロックベル伯爵はメルディと共に快く訪ねてくれた。夫人は体調が優れないらしく、今回は遠慮するという。
「よく来てくれたイヴァン。昔を思い出すようでうれしいよ」
「こちらこそお招きありがとうアジル」
父親たちは互いをファーストネームで呼び合い、親密そうに挨拶を交わした。
「暫くは疎遠になっていたが、メルディが無事戻って来たのだ。また昔のように顔を出してくれ」
アランとメルディの会話は初めの挨拶だけで、食事中は父親たちの思い出話を聞き入った。
アランは何度かメルディの方に視線を移すが、彼女は終始俯いて薄く微笑んでいるだけた。
前に言っていた、ボロが出るというのを警戒しているのかもしれない。
そう思うとアランから話しかけるわけにはいかなかった。
「たしか三十一勝三十一敗で決着がついていないままだったな」
「いいや。三十一勝三十敗一分けで私がリードしていたはずだ」
「む。そうだったか?」
「あなた。殿方の昔話なんて若い二人には退屈ですわよ」
母が急にアランとメルディに話を振るので、アランは「そんなことないですよ」と話を続けてもらおうとした。
しかし父は大げさに今気づいたかのように謝って、アランとメルディにそれならば二人で庭を散策してはどうかと提案してきた。
テーブルではデザートが下げられ、後は場所を変えてゆっくりと紅茶を飲みながら歓談するだけだ。
「メルディ嬢はガーデニングが趣味だそうだね。我が家の庭も王都では広く今は薔薇が見頃だ。そうだアラン、案内してあげるといい」
アランは先にメルディの父親であるロックベル伯爵の返事を待った。
「メルディ。侯爵のせっかくのご厚意だ。アラン君に案内してもらいなさい」
「はい」
「ゆっくりしてきなさいね」
「ありがとうございます」
「ではご案内します」
二人は立ち上がる。両親が、退出するアランに向かって身を乗り出した。
「?」
目が合うと、何度も大きく頷いてくる。
その下心に気付いたアランは、知らぬ振りをしながら部屋を後にした。
「姉に続き両親まで……本当にすみません!」
二人きりになると、頭を抱えたアランはすぐにメルディに謝罪した。
両親の、明らかな下心に穴があったら入りたいほどだ。
「ご家族に勘違いされているようですね」
アランに女っ気がないので、家族が過剰な反応をしているのだろう。そうなのだが、メルディに説明するには恥ずかしすぎた。
「でも、こうして素敵なお庭を拝見できたので良しとしましょう! いい香り……今が見頃ですね。アラン様、あちらの方も見ていいですか? そうだ、私のテーブルマナーはおかしくなかったですか? おいしかったのに緊張で食べられませんでした!」
あらかじめ使用人を下がらせていたので、外に出た途端にメルディは堰を切ったように話し始めた。
その姿にアランはホッとし、笑みがこぼれた。
暖かな日差しの中を二人で歩く。開けた場所で立ち止まると、腰に手を当ててメルディに提案した。
「お茶の用意のついでに、簡単なサンドイッチでも作らせましょう。折角ですから、外でいただきませんか? 相手が私だけなら気兼ねなく食べられるでしょう? それに、父親たちの思い出話はまだ長引くでしょうから」
メルディは食いつくように賛成した。
「いいですね! なんて素敵な提案でしょう! 私、ピクニックは初めてです!」
「ピクニック、ですか!?」
満面の笑みで答えるメルディに、アランは複雑な顔をする。庭には屋根付きのテーブルセットがあるのだが、メルディの外で食べるというのはそれとは違うらしい。
「えーと、それじゃあ向こうにシートと日傘も用意してくれ」
遠く離れた使用人に声をかけたが、メルディに止められてしまう。
「だめですよアラン様」
「だめ?」
「自分たちでやるんです! その方が絶対楽しいですから!」
「は、はあ……」
自由に動くメルディのドレスが汚れないかハラハラしながら、アランとメルディはピクニックの準備に取り掛かった。
『私邸の庭でピクニックなんて、滑稽ね』という姉達の幻聴を無視し、二人は相談しながらシートを敷く場所を決め、荷物を並べて完成させた。
「たのしいー! 気持ちいいー!」
敷物の上に大の字になって寝転がるメルディに、アランの方が慌てて顔を背ける。
日焼けをしないように傘の位置をずらしながら、メルディとサンドイッチを頬張った。
「「おいしい!」」
一口かぶりついて二人は顔を見合わせてた。
「え? すごくおいしくないですか? 侯爵家のシェフって天才?」
「天才かどうかは分からないけど、彼の料理は素晴らしいと自慢できます。だけど今日のサンドイッチは、今まで食べた中でも特に美味しい」
メルディは瞳を輝かせ、「それはほら、外で食べるから! 楽しくておいしいからですよ!」と身振り手振りで得意げに教えてくれた。
楽しそうなメルディにアランも笑顔があふれる。
「うん。メルディと一緒だからだね!」
「ーーっ」
動きを止め、ほんのり顔を赤らめるメルディは、何故か膝を抱えて小さくなってサンドイッチを頬張った。
「……無自覚は罪に問われるのかしら」
「え?」
急に言葉も仕草も落ち着いたメルディは遠くの方を眺めた。
「何でもないです……よっと。それにしてもブライトン家のお庭は広いですね。向こうには何の花が咲いているんですか?」
メルディは立ち上がって西の庭園を指差した。
「ええと、たしかアマリアの花が植えられています。行ってもまだ蕾ですが」
「アマリア……?」
表情に影を落とすメルディに、アランはどきりとする。
「どうかしましたか?」
「……ええ。親友が、一番好きな花でした。私も一番好きな花です」
顔は笑っていても、揺れる瞳に彼女の憂いが感じ取れた。
「……そう、ですか」
メルディは再び座り、黙々とサンドイッチを口に運んだ。
親友ということは最近できた令嬢の友人達のことではないと思う。〝でした〟という過去形の言葉と表情に、もしかしたらその親友は下町時代の平民で、彼女が伯爵家に迎え入れられたことで、離れ離れになってしまったのかもしれないと察した。
「アラン様に、お願いしたいことがあるのです」
食事を終えたメルディは、改まると侍女を呼び、一冊の本を受け取った。
「お呼ばれの会機にアラン様にお願いしたく、この本を持参しました。ニーベルグ様に渡していただきたいのです」
「本を、フレッド=ニーベルグに?」
頷くメルディは、経緯を説明してくれた。
この本は、元々マリアという少女の物だったという。マリアはロースリ通りにある孤児院で暮らしていたが、ニーベルグ伯爵の好意で使用人として引き取られ、院を去って行った。
その最後の日、マリアは大切にしていたこの本を置いて行ってしまったという。孤児院の仲間がずっと持っていて、貴族となったメルディに託したという。
「孤児は貴族にお会いする機会も、声をかける機会もないですから。私はお世話になっていた教会に今でも足を運んでいるので、声をかけやすかったようです。マリアが大事にしていた本だから、渡して上げてほしいと……」
そこで、アランがニーベルグの子息と旧友であったと聞き、頼むことにしたという。
「私はニーベルグ様とは面識がないもので。この本をニーベルグ伯の屋敷で働く、マリアという使用人に渡していただくようお願いできませんか?」
何という事のない願いに、アランは「引き受けましょう」と本を受け取ろうとした。
しかし、受け取るよりも早くメルディが手を離してしまい、大事な本が地面の上に落ちてしまった。
「すみません!」
「いいえ。私が放してしまったから――」
拾い上げて汚れを軽く払う。開いたページの中ほどで、数枚が重なっている部分があり、そこも確認しようと手をかけた。
「……あれ?」
そのページには赤黒い何かを溢したような跡があった。
これは、血の跡ではないだろうか。
「どうかなさいましたか?」
「怪我をーー、どこか怪我をしていませんか!?」
慌てて顔を上げたアランは、メルディの手を確認した。
「……いいえ。私は怪我などしておりません」
勢いで手に触れてしまったことに驚いて、すぐに離す。
「乾いた血の跡は、時間が経ったもののように見えます」
たしかに。血は黒く変色し、へばりついた紙同士は、乾いて剥がすのが不可能なほど密着していた。
「それに、滲んだというよりも、開いていた本に鮮血が飛び散ったようですね」
大小さまざまな大きさの斑点がいくつも文字の上を汚している。メルディの言う通り、飛び散った後に本が閉じられたように思えた。
少し恐怖を感じながら、本の背表紙を開いてみる。そこには持ち主のサインがあった。
「モリソン=ニーベルグ……」
フレッドの父親のサインだ。
「マリアのものではなく、ニーベルグ伯爵の本だったのでしょうか」
「おそらく」
「いつこの血が付いたのかは分からないですけど、マリアが大事にしていたのなら、申し訳ないですね……」
そう言うメルディだが、勿論彼女は預かった時点では大事に保管していただろう。
「少し、気になるのでフレッドに話を聞いてみます」
お願いしますとメルディは頭を下げ、アランも本を閉じて背表紙を撫でた。
その後、メルディと庭で過ごし、陽が落ちる前に屋敷に戻った。
両親が満足そうな顔で二人を出迎えた。
「フッフフ」
俯いて笑うメルディに、アランは視線を前に向けたまま謝った。
「……すみません。後で誤解を解いておきます」
尚もこちらの様子をちらちらと伺う両親に恥ずかしくなる。
「それではよろしくお願いします」
そう言って父親の元に戻るメルディの背を見て、少し寂しくなった。
次の約束を取り付けるのを忘れてしまった。
メルディの〝お願いします〟とは、マリアの本を返すことだろうか。それとも誤解をしっかり解いてほしいということだろうか。
後者ならば、自分から言った事なのにはっきりと肯定されることに、少なからず胸が痛むアランだった。




