彼女は偽者か、本物か
ラングロンド王国の国教であるモルド教は、信者に毎日のお祈りの他、特別な理由がない限り週に一度のミサへの参列を義務付けている。だから週末のミサは大勢の人で混雑する。
アランは焦っていた。こんな事ならば、断られていてもメルディの屋敷に迎えに行くべきだったと。未だ合流できていないメルディを探しに人混みを掻き分けていく。
「!」
やっとの想いで見つけたメルディは、やはり人に囲まれているのだが、よく見ると彼女を囲んでいる一際華やかな者達に見覚えがありすぎて足を速めた。
「何をしているんですか!」
メルディを囲んでいたのはアランの四人の姉達。
「何って、話をしていただけよ」
「挨拶もないの? アラン」
「エスコートも忘れてほったらかすって、再教育が必要ね」
「取り乱すんじゃないの。スマートになさい」
嫁いでいった姉達との久々の再会にも関わらず、相変わらずの口撃である。
「お久しぶりです! 取り乱してすみません! まさに今、彼女を一人にさせて後悔している所ですよ! メルディ、両親が待っているので、行きましょう」
姉達を避けさせ、メルディを救出する。
「姉さん達も、身重の身体なのですから、人込みで無理をしてはいけませんよ」
四人のお腹はふっくらとしていて、現在四人同時に懐妊中である。そのせいで夜会やミサにもあまり顔を出さなくなっていたのだが、どうして今日ばかりは四人も揃っているのか……。早く夫のマイクランジェロ―リーの元へ戻れと言うと、尚も文句を垂れてくる姉達を簡潔に受け流し、メルディを連れて前の道を確保しながら進んでいく。
「すみませんでした」
姉の事、配慮が足りなかったこと、全てひっくるめてアランの落ち度である。
「いいえ」
メルディはそう言うが、お付きの侍女は額をハンカチで拭っていて、疲弊していた。
「……すみません」
再度項垂れて謝るアランに、メルディはくすりと笑った。
「驚きましたけど、とても楽しかったので謝らないでください」
微笑んで告げるその表情は、あの天真爛漫な彼女ではなく、周囲を気にした令嬢メルディだった。一体どんな会話をしたのか、気にはなるが彼女を不快にしたわけではなさそうだととりあえずは安堵する。
「まさか私達が許嫁だったとは知りませんでした」
「すみません! 姉達の話はすべて忘れてください! きっと私をからかいに来ただけですから」
いきなりの爆弾を投下済みだった姉達。メルディが知らなかった事をわざわざ教えなくてもいいものを。許嫁だなんて関係性をこれから互いに意識してしまっては気まずい事この上ない。他にも絶対余計な事を言ったに違いない。
「私があまり女性と親しくすることが無いものですから、姉達は面白がってからかったのでしょう」
今度はアランが額の汗を拭う。
「そうでしょうか? 私には、お姉様方があなたを心配されているように見受けられました」
「心配? 姉が?」
意外な見解に眉間を寄せてメルディを振り返った。生まれてこの方、心配された記憶は一度もないが。
「どちらかというと、お姉様方は私を疑っていたと思います。あなたに近づいた私がどんな女か、言葉の端々で探っている、そう感じ取れました」
「そ……うなのですか? それは姉が失礼をしました」
メルディとは別に特別な仲を疑われるような間柄ではない。それなのに姉ときたら何を勘違いしているのか。
「いいえ。私は気にしておりません。アラン様がいらしたら直ぐに表情を崩され、あなたをからかっておりましたのが可笑しかったものですから」
「やはりからかわれていたじゃないですか……」
メルディは笑いを堪えているのか、下を向いて肩を震わせている。
「ふふ……でも、羨ましく思いました。お互いを大切に思いやる、その関係が。アラン様も、お姉様を心配して、大切になさっておいででしょう?」
「そうですね」
「即答ですか。……貴族の中にも、いるんですね。そういう方々が……」
急に表情に影を落とし、聞き取れるぎりぎりの声でメルディは呟いた。
「もっと殺伐としたものをイメージしてた」
二人が両親の元に到着したことで会話はそこで途切れる事になるが、まるで自分は貴族ではない、外から見る様な物の言い方に、アランは引っ掛かりを覚えた。
両親にメルディを紹介し、事前に祖父の事も伝えていたので話はすんなりと進んでいった。
「ニーベルグ伯の夜会以来かな」
「はい。その節は貴重なお話をありがとうございました」
メルディと両親は既に顔見知りのようだった。
簡単な挨拶を終えるとメルディはブライトン家と並んで着席し、ミサが始まるまでの間、四人で談笑した。
司祭の登場に会場は静まり返り、アランも姿勢を正して前を向く。
その時、隣に座るメルディが斜め向こうの一点を見つめていたのが気になり、アランもその視線の先を辿った。
彼女は他所の教会から応援に来た数人の神父をじっと見つめていた。それから目を閉じて前を向き、皆と同じように深く祈りを捧げた。
「今度はご両親と共に我が家にも遊びに来るといい」
父と母はメルディを大変気に入ったようで、ミサが終わっても別れを惜しみ、そう告げた。
「それではメルディ嬢を送ってきます」
帰り足で混雑する中メルディを背にして進んでいく。
人込みの向こうに、先程メルディが気にかけていた神父の一人を見つけた。あちらもアラン達に気付き、驚いた顔で声をかけた。
「メル?」
反応したのは、自分の後ろにいたメルディ。
神父は人込みを掻き分け、こちらにやって来ると微笑んで待っていたメルディに、一瞬怯んだように驚いて立ち止まる。
「神父様。ご無沙汰しております」
優雅にお辞儀をし、満面の笑みで挨拶するメルディに、神父も慌てて礼を取る。
「そうだったね。君が伯爵家のご令嬢だった事を失念していたよ」
相好を崩して謝る人の良さそうな神父に、メルディは優しく微笑んで「あの頃は本当にお世話になりました」と礼を告げる。
やはり、この神父はメルディが孤児の頃に世話になった教会の関係者らしい。懐かしい相手との話もあるだろうと、アランは二人から一歩下がったところで待った。
神父とメルディは互いの健康を気遣い、近況を報告し合った後、神父はアランに視線を移し、話は終わったと合図を出す。
「それでは体に気を付けて、元気に過ごすのですよ、ルディ」
「はい。神父様も」
空中で印を結び、神父は去って行く。その背をアランは目で追っていた。
「……」
何か引っかかるものがある。
神父は初め、彼女を『メル』と呼んだ。しかし帰りははっきりと『ルディ』と呼び変えた。
メルと呼び止めた後、神父は彼女を見て驚いた顔をしていた。伯爵令嬢になったメルディに驚いたのだと思ったが、名前を言い換えたのは、人まちがいをしたからではないかと考えが過る。
――『時止まりの令嬢』メルディが、偽者だという。
アランは先を進みながら振り返る。神父の背を目で追い、あの神父にもう一度話を聞く必要がありそうだと思った。
メルディを馬車まで送り届け、自分も両親の待つ馬車に乗り込む。するとアランの到着を待ちに待っていた二人から怒涛の質問攻めに合った。
「いつの間に」「何がきっかけで」「どんな話を」――メルディとの仲を勘繰る二人は二十一歳の息子に対して恥ずかしいまでの過剰な反応をし、アランは呆れながら彼女の名誉を守るためにも、やんわりとその関係を否定してから、話を逸らした。
「ニーベルグ伯の夜会ではメルディとどんなお話を?」
先程『貴重なお話を――』と礼を言われていた件だ。
「慈善事業の話だよ。中でも孤児院や労働者の子供に対しての支援にメルディ嬢は興味があるようでな。話はローチェスタークラブの活動やレントン商会の支援に終始した。ロックベル伯は自分がそういった件に係わることを良く思わないらしく、私に相談してきたのだ」
ロックベル伯としては娘にこれ以上孤児の印象を植え付けたくないのではという父の見解だった。
「メルディ嬢は実際に孤児の過酷な暮らしを経験し、現場の実態を分かっているからこそ貴族となった今、自分にも何かできるのではないかと、子供達の力になりたいのだと言っていた」
母が隣でメルディの考えに感嘆し、「なかなかできる事ではないわ」と褒める。
「それならば、私よりも孤児の支援に力を入れているレントンに聞くといいと紹介した。レントン商会の息子は、確かお前と同い年だったな」
「ええ」
レントン商会の嫡男キース=レントン。先日会ったキースの態度には余裕がなく、学生時代の旧友であるアランに失礼な態度をとっていた事を思い出し、再び苦い気持ちが蘇る。
「父上は、メルディが誘拐される以前にも彼女と面識があるのですよね」
「ああ。デビューをしていなかったが、お前も知っての通りロックベル家とは父の代から親交が深い。私も先代の頃から何度も伯爵家に伺ったことがある。お前も幼い頃にメルディ嬢と会っているはずなのだが、覚えていないか」
それは初耳だし、アランは覚えていない。
「その、メルディは、事件が起こる前からあのような美しい少女だったのですか? 金の髪に赤みがかかって、菫色の瞳はとても魅力的に思えるのですが……」
「そうだな。最後に会ったのは彼女が十一歳の頃だろうか。金の髪と紫の瞳は、その頃から彼女の愛らしさを引き立てていたよ。お転婆な所は年齢と共に落ち着いたものの、あの頃の面影も残しつつ、更に魅力的に成長したな」
父の話を真剣に聞いていたアランは、メルディが格段に容姿を変えて戻って来たのではないのだと知る。性格も、落ち着いていたのは演技であり素のメルディはどちらかというとお転婆に近そうだ。メルディが誘拐されたのは十二歳。生まれたての赤ん坊ならまだしも、ある程度大きくなった子供を、家族や周囲が見間違えるだろうか。父もそうだが、それ以前にロックベル伯爵夫妻が実の娘を間違えるとも思えず、今の父の話と総合しても、やはりメルディは本物なのではないかと思えてくるのだった。
この時、メルディを探って真剣に考え事をしているアランを、両親が温かい目で盛大に勘違いしていることに、彼が気づくことはなかった。