契約
『貴方は、日本人よね?清浄無垢や無味無臭といった言葉を知っているんだから……お願い、助けて』
お、おう?……え?マジに日本人ですか?何でこんなとこに居んの?あ、聞くまでも無いですね。彼女も飛ばされた被害者か。マジかー。
『……違うの?日本人じゃない?……そう。やっと、会えたと思ったのに……』
俺が返事をしないので勘違いと思われてしまった。どこか暗く深い底を覗き込むような瞳に、ワタワタ狼狽えて慌てて返事をする。
『ごめん!いきなり日本語が聞けたもんだからビックリしてしまって……。はい。俺は……いえ、俺も、日本人です』
その言葉に目を見開き、それからうっすらと涙を湛え、ゆっくりと微笑ってくれた。
『……ええ、ええ。……私も、久し振りに日本語を聞いた気がする。……そうね。確かに、いきなり聞くと、ビックリするわね』
余韻を噛み締めるように目を閉じて、震える声で言葉を紡ぐ。
作業の手を止めて見つめ合う俺達を見つけ、旦那さんが声を掛けてきた。
「……トオル君?どうしたね?その子が何か粗相でもしたかな」
「あ、いえ。どうやら彼女は俺と同郷のようでして。ついつい声を掛けてしまいました。申し訳ありません」
ここは立場的に俺が非を被ろう。もしこれで彼女が折檻を受けるとなったら気まず過ぎる。
「……ほうほう。言われてみれば確かに顔の雰囲気が似ているね」
「ええ。……あの、お願いがあるのですが。作業の後で個人的に彼女と話す時間をもらっても良いですか?」
「ああ、構わないよ。でも、もしかしてあの子を買うつもりかい?こんな事は言いたくないが、あの子は犯罪奴隷だからなあ。トオル君が望むなら、もっと素行の良い子を紹介するよ」
犯罪奴隷?彼女が?
納得ができずに首を傾げると、堪らずといった感じで、彼女の声が割り込んできた。
『違うわ。私は何もしていない。……信じて』
力なく項垂れて首を振りながら、か細い声で身の潔白を訴える彼女。どうやらこの件でだいぶ理不尽な目に遭ったようだ。
そんな彼女の態度に、旦那さんの眉間に困ったような皺が寄る。
「これ。会話に割り込んできてはいけないよ。失礼な態度に受け取られてしまうからね」
「…………はい」
日本語では何を言っているか解らないだろうが、雰囲気で何を言ったのか判るのだろう。(旦那さんにしては)厳しめの声を出して不作法を窘める。
「よし!そんじゃ張り切って仕事を済ましてしまおうか」
気が逸って扱いが雑にならないよう気を付けながらも、先程よりは二割増しの速度でチャッチャと残りを終わらせる。
まさか日本人と出会えるとは思ってもみなかった。詳しい事情も聞いてみたいし、ここで見捨てるのも薄情な気がする。あんまり気乗りしないけど、お買い上げという手を取らざるをえない、か。
それにリオ達にどう説明しよう。話の順序を間違うと軽蔑されそうな内容だし、心して取り掛からなければ。
さて、何から話したものか?
天幕の一つを借りて、向かい合っていざ話を!となると頭がこんがらがって纏まらない。聞きたい事は山程あるが時間は有限だ。
入り口には見張りが立っているし旦那さんの姿もあるから、あまり込み入った話も出来ないし、だからといってずっと日本語で話をするのも不審に思われるかもしれない。
……よし。とりあえず買おう。その後で詳しい事情を聞こう。そうしよう。
スッと背筋を伸ばして口を開く。
「君は俺に『助けて』と言った。だから俺は君を買い上げようと思う。だけど幾つか条件がある」
そこで一旦言葉を切り、一つずつ指折り、条件を提示する。日本語で。こんな内容は旦那さん達には聞かせられない。
「『一つは、買い上げに要した代金は無利子で貸付という形をとる。その他にも必要な経費があれば、その都度上乗せしていく。
二つ目は、君の人権は保障される。もし衣食住に不足を感じたり、俺がパワハラやセクハラ紛いの言動をした際は、遠慮せずに不快を訴えて欲しい。出来る限り善処する。
三つ目、この条件の下、君は自分を買い戻す努力を怠ってはいけない』
……これらの条件を受け入れるなら、俺、亘理透は君を買い上げる。どうだ?」
こんなものは法的効力もない只の口約束だ。だけど俺と彼女が交わす契約には必須の条件でもある。
俺も彼女が日本人と知らなければ、こんな甘々な条件など口にしない。さっさと倫理観をかなぐり捨てて、心の赴くままに振る舞っていただろう。
だからこそ俺には彼女が必要なのだ。
条件と聞いて身構えていた彼女も、俺の求める役割に気付いたのだろう。瞳に理解の色を浮かべ、力強く頷いた。
「ええ。その条件の下、私、奥戸唯は貴方の奴隷となる」
こうして俺達は契約を交わした。




