第七話
ガサガサ・・・
「!!!」
アクィフォーレがクウリの治療を始めてから数十分。集中していたアクィフォーレの耳に茂みを掻き分ける音が入った。
「だれ?!」
手の中の杖を上げて音がした方を警戒しながら呼びかけるアクィフォーレ。
数秒後、その問いは茂みの奥の人が姿を現したことで答えられた。
「お母さん?」
それは追っ手を反対方向へと誘導してから合流してきたアクエリだった。
「アクエリ! よかった、無事だったんだ!」
「お母さん!」
もう二度と会うことを半ば諦めていた再開を果たした母娘は涙を浮かべながら走り寄って抱き合った。
しかし、クウリの状態を思い出したらアクィフォーレのその感動はすぐに引いた。
「それより、アクエリ、あなた魔導士用の杖、持ってるわよね!」
「お母さん? ええ、持っているわ、ほら・・・でも、魔導士用の杖ならクウリが持って来た練習用のがあったはずだけど・・・」
答えながら先ほどの戦闘で使用した杖をアクィフォーレに渡すアクエリ。
「えっ、そうだったの?! くっ・・・でも、それは今更ね・・・とにかく、ありがとう!」
アクィフォーレは悔しそうに顔を歪めながら出された杖をひったくり、バッとアクエリから離れた。
「ちょっとお母さん、どうしたのよ?! それにその髪・・・そう言えばクウリは? 一緒に逃げたのでしょう?」
アクエリは確かに二人が森に入って行くのを見ていた。なのに、どうしてクウリはここにいない?
だが、そんなアクエリの疑問もアクィフォーレの次の行動で全て晴れた。
杖を受け取ったアクィフォーレはそれを使ってすぐにクウリの治療を始めた。幸い、応急処置はうまく行って、これなら命に別状はないだろう。
そんなアクィフォーレの肩越しにクウリが地面に倒れているのを見たアクエリは何がどうなっているのかが分からず取り乱した。
「クウリ! お母さん、クウリはどうしたの?! もしかして怪我をしたの?!」
「アクエリ! 質問は後でいくらでも答えてあげるから今は静かにしてて!」
「でも!」
「いいから今はクウリに集中させてっ!」
叫びつつ、アクエリに振り向いたアクィフォーレの顔は必死で、アクエリは思わず口をつぐんだ。
「・・・お母さん。」
それ以後、アクエリは黙り込み、クウリを治療するアクィフォーレを心配げに見守った。
** *
それから一時間ほど。
クウリの治療もやっと落ち着き、クウリを寝かせた後、アクィフォーレとアクエリは向かい合って話をしている。
「お母さん、クウリは大丈夫?」
「とりあえず、今は大丈夫。傷は塞がったし、状態も落ち着いている。けど、流石になくなった血は作り出せないから、起きてもきっと弱っているよ。無理はさせられないわ。」
「そう・・・」
クウリの状態はよくはないが、死ぬほどでもない。そう聞いたアクエリは安心し、今後について考え始めた。
今の状況と言えば、アクィフォーレを無事に助け出せて、クウリも怪我をしたが、命に関わるほどじゃない。問題があるとすれば、クウリの怪我の所為で三人の逃亡のペースが落ちることだ。アクエリとクウリの奇襲を免れた二人の斥候は全速で近くの街に戻り、この事を報告しているだろう。そして、ここからは目立つ事を避ける為、大っぴらに空を飛ぶ事も出来ない。
この場所からゼファーの国境までは少なくとも二週間かかる。所々で距離を稼ぐ為に少し空を飛んだとしても一週間に縮めるのが精々だろう。その上にクウリの事があるので、アクエリは逃げ切れるのかを不安に思っている。
「アクエリ・・・」
「なに?」
「髪、少し伸びた?」
「・・・は?」
こんな時に何を言っているのだろう?
「それは、数ヶ月も学校にいたから、家にいた頃よりも長くなってるけど・・・それが何?」
クウリは怪我をしていて、その上、自分達は追われている。それなのに、どうしてこの母は暢気に髪の話などしているのだ?
その気持ちが表れてか、アクエリの顔はアクィフォーレの狙いから外れ、苛立ちを見せていた。
「うっ、何さ、ちょっとした質問じゃない。そんな顔をしなくてもいいじゃない?」
「お母さん!」
「アクエリ、あなたの焦る気持ちも分かるよ。でもね、今あたし達にできる事なんて待つくらいだし、これから皆で逃げないといけなくなるのに、何も生まない心配で疲れるのはまずいでしょう。」
「そうかもしれないけど・・・」
「だから軽い話題で気を紛らわそうとしたんだけど、ちょっと失敗しちゃったみたいね。」
「・・・・・・」
「とにかく、アクエリは少し落ち着いて休みなさい。あたしがクウリを見守ってるから。」
休めと言われたアクエリは最初、異議を唱えようと声を上げそうになったが、同時にここ数日、碌に休めずに溜まった疲労を感じて母の指示に従うことにした。
「分かったわ、お母さん。私は少しだけ眠るわ。クウリのことをよろしく。」
「任せなさい。あと、見つかるといけないから、たき火は我慢して。」
「分かってるわ。少し寒いかもしれないけど、仕方がないわ。」
「何だったら、クウリと一緒に毛布にくるまって寝てもいいよ。」
「なっ!・・・そ、そうね。弱ったクウリが体を冷やして風邪でも引いたらいけないし、そ、そうしようかしら?」
からかうようにアクィフォーレが提案したが、まさかこう返されるとは思っていなかった。どうやら二人が学校に行っていた間に二人の関係に進展があったらしい。それはアクィフォーレにとっては嬉しい限りだ。
「そう・・・じゃあ、おやすみなさい、アクエリ。」
「ええ、おやすみ、お母さん。」
「それと、アクエリ・・・」
「なに・・・?」
毛布を片手にクウリに向かったアクエリをアクィフォーレが呼び止める。
「助けに来てくれてありがとう。どうやってあたしの事を知ったかとか気になるけど、それはまた今度聞くよ。」
「お母さんを助けるのは当たり前じゃない。クウリも言ってたわ。『アクィフォーレは俺にとってもお母さんだから』、って。」
「クウリが?」
そう聞いてアクィフォーレが嬉しそうににやけた。クウリとの絆を疑っていた訳ではないが、言葉にしてくれたのはすごく嬉しいのだ。
「そうよ。だからお礼なんていらないのよ。」
「ふーん、お礼はいらないって言うんだ・・・だったら、危険を冒してまで助けに来た馬鹿な子達を叱る事になるけど、いいの?」
「うっ・・・それは嫌。」
「なら素直に受け取りなさい。」
「はい、はい。素直に受け取りますとも。」
「うん・・・いい子だね、アクエリは。」
小さな子供のようにアクエリの頭を撫でるアクィフォーレ。
「もう、やめてよ、お母さん!」
アクエリは恥ずかしそうに頭を振ってアクィフォーレの手を退けようとしたが、それには力が籠っておらず、形だけの抵抗だった。
このアクィフォーレの行為はまるで家でいつも通りにいるようで、アクエリはもしかしたら二度とこうされる事がなくなっていたかもしれなかったと考え出し、少し恐くなった。
「アクエリ?」
いつまでもなすがままの娘を不思議に思い、アクィフォーレは手を止めて名前を呼ぶ。
「なんでもないわ。それじゃあ、私は今度こそ寝るわね。」
「はいよ。数時間後に見張りの交代に起こすと思うけど、いい?」
「もちろん構わないわ。」
「うん。じゃあ、お休み。」
「お休み。」
「あと、クウリが温いからって襲っちゃ駄目よ。」
「お母さん!」
最後に娘をおちょくることを忘れずにアクィフォーレがそう言うと、後は若い二人に任せるとでも言いたげに手を振り、少し離れた場所にあった木に背を預けて周囲に意識を向けた。
それから数時間、アクィフォーレは警戒しつつ眠る愛しい我が子達を眺め、何があっても二人を助けて見せると決意を新たにした。
** *
「・・・うぅん。」
アクィフォーレを助けた翌朝。クウリは頭に心地よい感触を感じながら重たい瞼をゆっくり上げた。
「クウリ、おはよう。」
「おはよう、アクィフォーレ・・・アクィフォーレ!? 痛っ!」
怪我の影響で昨夜の記憶が曖昧なクウリは助けた事を忘れたアクィフォーレを見て跳ね上がろうとしたが、やはり怪我がうずいてしまい、うずくまった。
「クウリ! いきなり動いちゃ駄目よ。傷は一応塞がったけど、完璧に治っていないし、血を多くなくしているからいきなり起き上がろうとしない方がいいよ。」
痛がるクウリの背をさすり、クウリをまた寝かしつける。
「ありがとう、アクィフォーレ・・・よかった。助けたのは夢じゃなかったんだ。」
「あたしは無事よ。クウリ達のおかげでね。」
「うん・・・よかった・・・エリお姉ちゃんは?」
「アクエリは寝てるよ。けど、そろそろ起きるんじゃない? と言うか、そこにいるんだけどね。」
そう言いながらクウリの側を指すアクィフォーレ。
クウリがそっちを見ると、なんとアクエリが一定の調子で胸を上下させているではないか。何故すぐ隣にいたのに気づけなかったんだろうとクウリは思ったが、それほどアクィフォーレの事で驚いていたわけだ。
「とにかく、起きたんなら、これを食べなさい。」
そう言ってアクィフォーレが渡してきたのは湯気が上がっているスープ。器はどこから出て来たのかとか、香辛料なんて持っていたかとか、近くに水場はあったっけとか、色々聞きたい事はあったけど、それよりもクウリは自己主張をするお腹を宥めたくて椀に手を伸ばした。だが、そこでクウリはまだ起き上がるのが億劫と感じ、その手を下ろした。
「どうしたの、クウリ?・・・って、一人じゃまだ無理か。じゃあ、ちょっと失礼するよ。」
それからアクィフォーレはクウリを起き上がらせ、食べるのを手伝った。
「ふふ・・・」
そして、食事が半分ほど過ぎた時、アクィフォーレはふと笑った。
「何、アクィフォーレ?」
「いや、こうしているとクウリが家に来た頃を思い出して。あれから大分たったわね。」
実際、クウリがアクィフォーレに拾われてから一年半くらい経っている。出会った頃を懐かしく思うのも仕方がない。
一方、クウリも感慨深い気持ちになっていた。アクィフォーレの料理を最後に食べたのは夏の終わり頃に学校へ行く前。今食べているこのスープはそれから始めての料理だけど、アクィフォーレの腕は落ちておらず、むしろ逃亡中で森の中で見つけた材料だけでこれほどの物を作れた事に驚いている。
「アクィフォーレの料理、久しぶりだなあ・・・」
「味はどう? 森で見つけた物だけで少し味気ない?」
「ううん、すごくおいしい。」
「そう? ならよかった。おかわりもあるから遠慮しないで。どうせ一緒に持って行けないし。」
「うん、分かった。」
クウリはアクィフォーレの言葉に頷き、食事が終わるまで三回ほどおかわりした。それでもアクエリの分は充分に残っていたが。
* * *
「・・・うーん、お母さん・・・? なんかいい匂いがする・・・」
クウリの食事が終わる頃、アクエリがそんな声を上げながら起きてきた。
「今頃起きてくるなんて暢気な子ね。太陽はとっくにあがってるよ?」
「ごめんなさい、お母さん・・・」
申し訳なさそうに謝るアクエリ。確かに今は暢気に寝ている場合ではなかった。アクィフォーレが叩き起こしていない事から彼女の言葉は半分冗談だろうけど、気を引き締めようとアクエリは頭を切り替えた。
「まあ、いいさ。ほら、あんたの分も残っているからちゃんと食べな。その間にこれからどう行動するかを話し合うけど、大丈夫? ちゃんと起きた?」
「ええ、私は平気。クウリは起きてて大丈夫なの?」
「ご飯を食べてから少しよくなってる。それに、この話は聞かなくちゃ。」
「それはそうかもしれないけど・・・」
無理を押し通す覚悟のクウリをアクエリが心配そうに見るが、クウリの言う通り、いざと言うときの為にこれからの話はみんなが聞いておくべきだ。
「さて・・・」
皆が落ち着いて聞いているのを確認してからアクィフォーレが話を切り出す。
「昨夜、アクエリから少し聞いたけど、あんた達はあたしを助けた後は国境を越えてゼファーに逃げようと考えているんだろう?」
そう聞かれ、クウリとアクエリが頷く。
「ここからならあの国が一番近いし、あたしもそれに賛成よ。問題はクウリが異邦人だと言うのを隠していたのが皇国の法に触れるから国境を越えても追ってくる可能性がある事だけど・・・彼らが手続きやらで、もたついている間にどれほど距離を稼げるかが鍵ね。幸い、クウリは人間と区別できないから大きな街などで他の人達に紛れてしまえばかなり見つけにくくなると思う。」
なるほど。アクィフォーレの考えはクウリ達の、とほぼ同じだ。昨日の救出が何の問題もなく成功していたのならそのままでもよかったのだろう。だが、クウリが大きな怪我をするという事態が起きた。その所為で逃げるスピードが遅くなり、追いつかれる可能性がぐっと大きくなった。それを誰も言わないが、全員考えている。
しかし、いつまでもその事を無視する訳にもいかないので、一番迷惑を掛けている当人のクウリがどうするかアクィフォーレに聞いた。
「アクィフォーレ、もし国境を越える前に見つかったら、それは多分俺の所為だよね・・・もしそうなったら・・・」
「よしなさい。クウリが何を考えているかは分からないけど、どうせ自分が犠牲になるとかくだらない事でしょう? そんな事あたしもアクエリも許さないからね。」
「でも・・・」
「でもも、何もない。誰かが犠牲になる選択は最初から却下。もし囮が必要な時が来れば、あたしが囮になる。」
「お母さん!」
「うるさいよ、アクエリ。これは決定事項だ。それに、理由はちゃんとある。」
「理由?」
「そうよ・・・この中ではあたしが一番戦いの経験があるから、あたしが囮になったほうが全員助かる可能性が高い。」
「・・・・・・」
その理屈は分かる。全員が生き残る為にはそれが一番の方法だ。だが、やはりと言うべきか、クウリとアクエリは納得していなそうな顔をしていた。
「何にせよ、見つからずに国境が越えられるのに越した事はない。」
沈んだ空気を払拭するようにアクィフォーレが明るくそう言い足す。そして『これで話は終わり!』とでも言うように手を叩く。
「さ、あたしから言いたい事はとりあえず、これだけ。二人は他に何かある?」
首を横に振るクウリとアクエリ。
「無いようね。それならアクエリが食べ終わったら行きましょう。その間にあたしは荷物をまとめるからクウリは休んでなさい。分かった?」
「うん。」
「分かったわ、お母さん。私も五分くらいで食べ終わるわ。」
「あと、移動している時、周りの警戒はあたしがやるから、アクエリがクウリを支えていなさい。」
アクィフォーレは最後にそう言ってから二人から離れ、アクエリは朝食を急いで食べ、クウリはできるだけ体力を回復させる為に地面に寝転んだ。
国境までの道のりは長い。出撃される捜索隊の規模にもよるが、見つからずにそこまで逃げるのは難しいだろう。三人はそれが分かっており、それぞれの表情は少し暗かった。




