第六話
学校からしばらく飛んで、二人がある程度離れるまではクウリ、アクエリのどちらも話さなかった。
とてもそんな気分ではなかったし、どちらも親しい友人と分かれたばかりなのでそれも無理もない。
しかし、いつまでもそう言う訳にも行かない。逃げると言っても、まずはどこへ逃げるかを決めないと。王都は丁度ミスト西海岸線の中間辺り。国外に逃げるのなら、距離的にはテラ、ラディアント、ゼファーのどの国境もそう変わらない。
それに、この沈んだ空気は嫌だ。
そしてこれをどうにかしたくてアクエリがクウリに話しかけた。
「クウリ、ここからならどの方向でも国境までは同じくらいよ。だから本当ならここでどっちに行きたいかを聞きたいけど、その前に話しておきたい事があるの。」
「話しておきたいこと・・・?」
何だろう、とクウリが考え込むけど、答えに至る前にアクエリが話を続けた。
「ええ・・・私達の行き先の事だけど、私はゼファーを提案したいの。」
「ゼファー? でも・・・」
その名を聞いてクウリが言い淀む。
「ええ、そうね。ゼファーは家の近くだから、追っ手が私達を探しに来るのならその方向が一番危ないかもしれないわ。」
そう。もし軍か騎士隊からクウリ達を探す為の捜索隊が作られたら、一番の数が送られるのは自分達の実家であるリヴァール方面へとではないのか? 確かにそちらへ逃げた方が地の利があって有利かもしれないけど、その分危険も増す。
そんなのはアクエリの先ほどの言葉から彼女も承知の上だと分かる。それでもゼファーへ行く理由がアクエリにあるらしい。
「でも、危険があっても私はそっちに行きたいの。」
「どうして?」
「クウリ、殿下の話だとお母さんはもう捕まってる筈だって覚えてる?」
クウリは首を縦に振り、それに答える。
覚えていない筈などない。その所為で今逃げているのだから。
「その後、お母さんは王都まで護送される事になっているみたいだけど、それはまだの筈よ。だって、もしそうなら私達が捕まっていない事が変でしょう?」
「うん、そうかも・・・」
「だから、多分お母さんはまだリヴァールにいる、もしくはこっちに向かっていると思うの。流石にリヴァールの留置場か王都の監獄からお母さんを助け出すのが無茶でも、護送中なら、私達が待ち伏せして一気にお母さんを助け出せるかもしれない。」
確かに二人で一気に仕掛けたら成功するかもしれない。それに、アクィフォーレを護送すると言っても、相手は襲われるなんで思っていないだろう。襲ってくる可能性がある人など精々自分達だけだ。そしてその自分達はまだこの事を知らない筈。それなら油断しているかもしれない。
考えれば考えるほどアクィフォーレを助けられる要素が出てくる。少し危ないかもしれないけど、何もせずにアクィフォーレが連れて行かれるのを黙って見ているよりは何倍もましだ。
「お願い、クウリ。ゼファー方面に逃げるのは違う国よりは危険かもしれないけど、私はお母さんを助けたい!」
アクィフォーレの事が心配で泣きそうになっているアクエリが叫びながらクウリに懇願する。
しかし、そんな事をされなくてもクウリの心はすでに決まっていた。
「分かったよ、エリお姉ちゃん。ゼファーに逃げよう。」
「クウリ・・・!」
「アクィフォーレは俺にとってもお母さんなんだ。助け出せる可能性があるなら俺はなんだってやるよ!」
「ありがとう、クウリ・・・」
「礼なんていらないよ、エリお姉ちゃん。家族だろ?」
「ええ、そうね・・・それじゃあ行きましょうか。」
「うん、絶対にアクィフォーレを助けよう!」
「ええ!」
これからの行動が決まった二人の顔は先ほどとは違い、生気が溢れていた。境遇はほとんど変わっていないが、アクィフォーレを助け出すと言う目的ができ、未来は絶望ばかりではなくなった。
それから、ちょうど王都から充分に離れた二人は段々と高度を上げ、速度も上げ、夜に紛れてリヴァールへと飛んで行った。
* * *
王都を出てから数日。寝る間も惜しんで飛び続けた二人は大分リヴァールに近づいていた。今はリヴァールから普通の馬車で10日ほど離れた森の道から少し外れた木陰で待機していた。
何故ここで止まっているかはこの森はかなり深く、通れる道が限られていて、そして迂回するには森が広すぎるため、アクィフォーレを助け出すのに適していると二人が思ったからだ。
幸い、まだアクィフォーレを護送している一行がまだ現れる様子がしない。ここまでは相当速いペースで飛んだので、二人とも結構疲れている。なので、しばしの休息が出来るのは正直助かる。
しかし、二人で寝てアクィフォーレ達が自分達を過ぎ去っては敵わないので、二人は待ち伏せの計画を立てると交代で休憩することにした。その間にもう一人はアクィフォーレ達が近づいていないかを探る為に偵察に出ていた。
そしてその状態が一日くらい続いた時、事態がついに動いた。
「・・・リ・・・クウリ・・・起きて、クウリ・・・」
休憩する番であったクウリの肩を揺すってアクエリが起こそうとしていた。
「・・・ん・・・エリお姉ちゃん? 交代の時間?」
「違うわ。お母さんを連れた護送隊らしき人たちが近づいているわ。」
「!!」
それを聞いて眠気が吹っ飛び、クウリが跳ね起きた。
「あと数時間でここを通るわ。今の内に作戦の最終確認と待ち伏せの準備をしましょう。」
「分かった。」
それから一度クウリに頷いてから、アクエリが作戦を説明し始めた。
「私が見た時、護衛は馬に乗った兵士が十人ほどいたわ。馬車は一台で、お母さんは多分その中にいる。中に兵士がいるかは分からないけど、いても一人か二人でしょう。隊長らしき人は少し派手な格好をしていて、馬車の横に馬をつけて隊と並走していた。それから、彼らは襲われると考えていないのか、特に警戒している様子じゃなかったわ。これは私達にはかなり有利ね・・・ここまでは私達が知らなかった相手の情報よ。何か質問はない?」
アクエリの説明は分かり易く、クウリは何も言わず、ただ首を横に振った。
「うん・・・それじゃあこれから肝心の作戦の確認に入るわね。」
「うん。」
「作戦と言っても、特に複雑じゃないわね。まず、私達はここでお母さん一行が通るまで待つ。その少し前に私は空気中の水を魔法で集め、気体のままで少し頭上に待機させる。」
「エリお姉ちゃん、魔法を使ったらエーテルの流れで罠が気づかれない?」
躊躇いがちにクウリが聞く。
この魔法が奇襲の要なのだから、気づかれてしまえば作戦は失敗してしまう。
「確かにその危険があるけど、多分大丈夫よ。魔法と言っても気体のままだからエーテルは自然より少し濃くなるだけ。だから注意していないと分からないし、更にそれをあまり気にしていない頭上に置くのだから、余程の偶然が重ならないと大丈夫だと思うわ。」
「分かった。」
「最悪、私が囮になって彼らを引きつけるから、クウリはその間にお母さんを助けて。」
「エリお姉ちゃん?! 囮になるって・・・駄目だよ! 危険すぎる!」
「最悪って言ったでしょう? そんな事にはならないから大丈夫よ。」
「・・・・・・」
クウリが反対しているが、もし奇襲が失敗すればアクエリは言葉通りに囮になるつもりだろう。だが、クウリにはアクエリを説得できる自信はなかった。
罠を仕掛けられる人は二人の内、アクエリだけだった。もしクウリがそんな規模で魔法を使おうとしたら絶対に暴走してしまう。そうなったら全てが駄目になる。そして、その役が固定されているので、もちろん道の側に控えてアクィフォーレを直接助け出す役も固定される。なので、囮役になれる人は離れて魔法を使えるアクエリしかいない。
クウリにできるのは罠が気づかれないことを祈るだけだ。
「それじゃあ続けるわね。」
「うん・・・」
「お母さん達が私の集めた水の下を通った時、私はそれを一気に氷に変えて兵士達に降らせる。運が良ければ、それで彼らを無力化しつつ、お母さんの護送車も壊せるわ。私の魔法が終わったらクウリの出番よ。」
「俺は横から飛び出してアクィフォーレを助けるんだね。」
「ええ、そうよ。できれば他の人に構わず突っ込んで。もしまだ起きている人がいれば私は後ろから魔法で援護するわ。クウリは直接邪魔になる人だけに注意して。」
「分かったよ、エリお姉ちゃん。」
「お母さんを助け出したらクウリ達はすぐに合流地点まで逃げて。私は逃げるのを助ける為に魔法で援護しているから。私は少し追っ手を撹乱した後に合流するわ。そしたら三人でゼファーまで逃げましょう。」
「・・・うん。」
クウリはまだ納得していないらしく、その同意は少し間を置いてからされた。もし罠が気づかれなくても、アクエリは殿をつとめると言っているので、やはり危険が多い。しかし、アクィフォーレを助け出す役を担っているクウリがそれをできる筈もないし、うまく行けば、逃げるまでアクエリの居場所がばれないので彼女の方が安全かもしれない。それでも危険に違いないので、クウリはそれを分かっていても、納得できなかった。
だけど作戦はこれしかない以上、クウリは反対する気持ちを押し殺して従うしかない。
「分かってくれて嬉しいわ。それじゃあ、私は少しだけ休むわね。一時間くらいしたら起こして。彼らの行進速度からしたら、ここまではまだ2時間以上かかる筈だから一時間くらいが丁度いいわ。」
「うん、およそ一時間後だね。分かった。」
「お願いね・・・」
クウリに後を頼んだら、アクエリは横になり、すぐに寝息を立て始めた。
偵察で疲れていたのだろう。
クウリはそれを見ながら作戦を自分で考え直していた。どうにかアクエリの危険を減らしたかったが、どうしても思いつけない。
やはり作戦はこのままで行くしかないだろう。それに、土壇場で作戦を変えてしまえば余計に混乱して、却って作戦が失敗する可能性が上がるかもしれない。
そこまで考えると、クウリは悩むのを諦め、静かに時が過ぎるのを待った。
** *
そして一時間後。
そろそろアクエリを起こす時間だ。太陽は沈み始めていて、辺りがオレンジ色の光に包まれている。この調子なら護送一行が通る時には完全に夜になっているだろう。
「エリお姉ちゃん、起きて。」
ゆさゆさとクウリがアクエリの体を揺する。
「時間だよ、エリお姉ちゃん。起きて。」
「クウリ?」
むくりと起き上がりながら自分を起こした人の名を呼ぶアクエリ。
「うん。一時間経ったよ。」
「分かったわ。起こしてくれてありがとう、クウリ。それじゃあ、私は隠れ場所に行くわね。クウリも少ししたら準備して。いつ、彼らがここを通るかは分からないからいつでも行けるようにしていて。」
「分かった。」
「あと、残念だけど、作戦開始の合図は送れないわ。だから、クウリは私の魔法が当たった後にすぐ飛び出せるように注意していて。」
「うん・・・エリお姉ちゃん?」
「なに?」
「アクィフォーレを絶対に助け出そうね。」
「そうね・・・気を付けなさいね、クウリ。」
「エリお姉ちゃんも。」
「ええ。じゃあ、また後で会いましょう。」
アクエリはそれだけ言うと、自分の杖を拾い上げて森の中へと姿を消した。
魔法で援護することが役割であるアクエリは姿を見せる必要はないので、彼女は隠れた場所から魔法を使う手筈になっている。それでも、現場が見られないと魔法の当てようがないので近くにいるだろうけど。
クウリの側で待機しないのは、その場所からクウリが飛び出せば、兵は皆その方向を警戒してアクエリが危なくなるから。
とにかく、クウリ達が今離れるのはそう言った理由からである。
* * *
クウリは茂みの奥へと消えて行く姉をじっと見つめ、やがて完全に見えなくなってから自分も前もって決めた待機場所へと移動した。
今持っているのはアクィフォーレにもらった刀と剣士用の杖だけ。クウリはまだ剣で戦いながらエレメント魔法を使えるほど器用ではないが、それをアクィフォーレに渡せば彼女も戦えるようになる。
他の荷物はここから数十分離れている合流地点に置いてある。そうした方が現場から逃げるときは身軽になれるし、後に必要になるかもしれない物を逃走中に身軽になるために捨てずにいられる。
ガサガサと茂みを掻き分けること数分。クウリは道の側にある隠れ場所に到着し、道が見える場所に身を潜めた。
「・・・・・・」
一人になり、ただアクィフォーレを連れた兵達が通るのを待つしかなくなったクウリは落ち着く為に目を閉じ、実家の道場での練習のように瞑想を始めた。それは自分の中を見つめる為の瞑想ではなく、むしろ外側の世界を意識する為の物。やがて、クウリの存在は周りの自然と同化し、風に乗ってくる微かな匂いから木の葉が擦れる小さな音まで感じるまでになった。
そしてクウリが瞑想を始めてから数十分。クウリは頭上でエーテルの動きを感じ、アクエリが罠の準備を開始したと分かった。
(エリお姉ちゃんが動き始めたってことはあいつらが近づいて来たってことか。)
・・・ガタ・・・ゴト・・・
クウリのそんな考えを肯定するように、数分後遠くから馬車の音が聞こえてきた。それと同時に、何頭の馬の蹄が地面を踏み散らす音とがちゃがちゃと言う鎧の金属音も聞こえてきて、クウリは自分の剣を取り出してゆっくりと自分の力を高めていった。
少しして音だけでなく、馬に乗った二人の護衛の姿も見えた。しかし、護送車はまだ離れているのか、まだ見えない。この二人は斥候か何かだろう。けれど、これはちょっと困った。二人がこれほど離れていると、彼らはアクエリの罠にかからない可能性が大きい。そうしたら、異常に気づいた彼らは戻って来てクウリの邪魔をするだろう。
つまり、作戦が成功するかはますますクウリ次第だ。
偵察の二人がクウリを通り過ぎてから十分後。今度は護送車を含めた10人弱の本隊が現れた。
(いよいよだな・・・エリお姉ちゃんももうすぐ罠を発動させるだろう。)
激しく鼓動する心臓を感じながら、クウリはゆっくりと近づく一行を見ていた。
アクエリの報告通り、いずれも特に警戒している様子はない。
これなら、彼らがアクエリの魔法で混乱している間にアクィフォーレを助け出せる。
「・・・すぅ〜〜〜・・・はぁ〜〜〜・・・すぅ〜〜〜・・・はぁ〜〜〜〜〜〜・・・」
深呼吸を数回している内に護送一行はクウリの前に差し掛かった。
馬蹄はもう音だけではなく、地面に伝わる振動でも感じ取れた。
そして、護送車がクウリの目の前を通った時——
ドドドドドドドドド!!
まるで大砲の雨のように降り注ぐアクエリのアイスボール。槍ではなく、球状なのは殺傷力よりも護送車を壊しやすい形を求めたから。
「な、なんだ!!?」
「うわあああああ!!!」
「て、敵襲〜〜〜〜〜!!!!」
「どこにいる?!?!!」
「ぐあ〜〜!!」
突然の襲撃に兵士達は戸惑い、何も出来ないまま何人も倒れて行った。魔法で倒れなかった者は暴れだした馬に放り出され、すぐに戦えるような状態ではなかった。
(今だっ!!)
アクエリの魔法が収まり始めた時、クウリは隠れ場所から一気に飛び出て、アクエリの魔法を避けながらぼろぼろになった護送車へと直行した。
「何奴?!」
「くっ・・・!」
誰かに気づかれたみたいだが、もう遅い!
予め力を蓄えていたクウリは数歩で護送車に接近して中のアクィフォーレに呼びかけていた。
「アクィフォーレ!!」
「クウリ?!」
こんな場所で会う筈のない人に出会い、アクィフォーレの顔が驚きに染まる。
「まさかクウリがこれをやったの?!」
「エリお姉ちゃんもいる! そんなことより早くここから逃げないと!」
「駄目よ。鎖で護送車に繋がれていて、とても逃げられる状態じゃない。」
「これを使って!」
そう言って杖をアクィフォーレに渡すクウリ。
「杖! 確かに魔法を使えば鎖を壊せるよ!」
「早く!」
急かすクウリの声にアクィフォーレは一度頷き、エレメント魔法で拘束を外す。
「よしっ! 外れたよ!」
笑いながらクウリに言うアクィフォーレ。
「うん、それじゃあ、逃げよう!」
そのアクィフォーレに笑顔を返しつつ、逃走を促すクウリ。
「分かったよ、クウリ!」
それからクウリはアクィフォーレの手を取り、アクエリと決めた逃走ルートに向かった。
「おのれ・・・逃がすものか・・・!」
クウリ達がちょうど森に入ろうとした時、まだ意識が残っていた兵士達の隊長は二人を逃がすまいと杖を掲げ、何か魔法を使おうとした。
それに気づいたアクエリは咄嗟にその隊長に向かって魔法を放ったが、僅かの差で間に合わず、アクエリはクウリ達を追うように一つの氷の塊が森の奥へと飛んで行くのを見た。
隊長はその後に気を失ったのか、それ以降は魔法を使う様子を見せず、アクエリもクウリ達と合流すべくその場から逃げた。
** *
「はあっ・・・はあっ・・・」
「はあっ・・・クウリ、アクエリもいるってどういうこと?」
森に入り、クウリの先導のもと、しばらく走り続けていたアクィフォーレがクウリに聞いた。
「二人、で、学校から、はあっ、逃げて、アクィフォーレを、助けに来た。」
「そう・・・まったく、馬鹿な子達ね。」
「ははっ・・・文句は、エリお姉ちゃんと、合流してから、言って。」
「ああ・・・合流地点はもうすぐ?」
「うん、もう、みえて、くる、はず・・・ほら、あそこ、の、ちょっと、あけた、ばしょ・・・」
百メートルほど先の場所を指すクウリ。けど、その言葉に少し違和感があった。まるで、無理して話しているように。
「ちょっと、クウリ、大丈夫?」
クウリを心配し、アクィフォーレがクウリの顔を覗き込んだ。
その顔は汗だくで、アクィフォーレは最初、それが走りながら出た汗だと思っていたのだが、よく見るとクウリの顔色は悪く、その汗が脂汗だと分かった。
「クウリ! 大丈夫?! しっかりして!」
「うん・・・だい、じょう・・・ぶ・・・もう、すぐ・・・つ・・・」
「クウリ!」
走りながらクウリは意識を失い、転びそうになった寸前にアクィフォーレが抱きとめた。その勢いを押し殺せず、アクィフォーレまで転びそうになったけど、彼女はギリギリで踏ん張った。
「これは・・・血?」
完全に止まり、アクィフォーレがクウリの状態を見ようとした時、ふと手にべっとりとした感じをした。暗闇の中でアクィフォーレが視線を落とし、僅かな月明かりを背に手を見ると、その手は赤黒く染まっていた。
それはアクィフォーレもよく知っていた血だった。
誰のかは聞かれずとも、クウリの血だと言うのは明らか。
アクィフォーレは気づかなかったが、モエラが最後に放った魔法はクウリの背中に命中し、怪我をさせた。クウリはアクィフォーレを心配させてペースを落とさせない為に敢えてそれを隠し、ここまで走って来た。
ここで気を失ったのは合流地点を見て緊張の糸が切れたからだろう。
「くっ! 待ってて、クウリ! すぐにあそこまで連れて治療するから!」
アクィフォーレはそのままクウリを抱き上げ、最後の何十メートルかを走り抜けるとすぐにクウリを下し、クウリの杖を取り出して傷の治療を始めた。
しかし、クウリの杖は剣士用の杖。この杖で出来ることは応急処置の様なものだけ。結構深手のクウリを本当に治療するにはアクエリが持っているだろう、魔導士用の杖が必要だ。
「アクエリ、早く戻りなさいよ!」
必死にクウリの怪我を治療するアクィフォーレは、ただ娘が早く合流してくれることを祈っていた。
そのアクエリがそこに現れたのはアクィフォーレが治療を始めてから更に数十分後で、その時まで見えていたのは淡い水色の燐光を放っていたアクィフォーレの長い髪だけだった。




