第一話
とりあえず分かるのは、ここが実家の近くではない事。家の近くにはこんな深い森は無いし、今は夜のはずだ。森の木達が密集していて太陽がよく見えないが、どうも森の外は昼らしい。みんなはどうしているのだろう。真由との約束の時間はまだだけど、待ってくれるのだろうか。というかこのまま帰れなかったらどうしよう。その考えに到達すると空理は途端にとても恐ろしくなった。
「とにかく今は冷静に考えないと。」
声に出す事で空理がパニック寸前の自分を出来るだけ落ち着かせようとする。
「えっと、今が昼なら時差を考えると、ここは中国辺りか?」
というのが頭の中で一番に思いついた疑問だった。どうしてそんなどうでもよさそうな事だったのかは分からないが、やはり突然の状況に混乱しているのだろう。中国の地理には詳しくないのでここが中国と言われれば反論はできないけど何故かはそうは思えなかった。でも中国とかじゃなかったらいったいどこなんだ?
「ここがどこかで悩むのは後だ。まずは人里を探さないと。近くに山か丘は無いのか? そこから辺りを見渡せればいいんだけど・・・とりあえずそこら辺の木にでも登ってどこか探すか。」
近くで良さそうな木を探すために立ち上がった。そしてふと何かに気づいたように足下を見た。
「しかしまいったな・・・靴がないぞ。」
いちおう走り込みや道場での練習で足の裏の皮はそれなりに厚いけど、さすがに森の中だと足下に気をつけないと怪我をするだろう。
15分ほど歩き回って登りやすそうで、かつそれなりの高さがある木を見つけた。
「よし、こいつにするか。」
ぽん、と木の幹を軽く叩くと空理は木を登り始めた。
この木は他に比べて一回り大きく、40メートルの高さがあった。他の木達は20メートルほどでこの木を登れば余裕で近くを見渡す事ができると思われた。
「よいしょっと・・・さて、どうだろう。」
30メートルほど登って空理を支えられるぐらい太そうな枝を見つけて、それに沿ってはい進みながらゆっくりと他の枝が視界を妨げないところまで行って止まった。
枝に座り直すと木の外に視線を送った。すると空理の狙った通りに辺りを数キロ先ぐらいまで観察できた。
当初の予定ではできればここから人里か丘などを見つけてそこを目指そうと思っていたけど、残念ながらそんなものは見当たらない。かわりに大きな川が南の方に2キロぐらい行ったところに見えた。
「川か・・・大きな川ならばそれを下ればきっと誰かに会えるよな・・・他に妙案があるわけでもないし、今はその川を目指すか・・・」
川までたどり着くのは四時間かかった。森の中に道があるはずもなく、その道のりはとても鈍かった。石や木の根に躓きそうになったのは数えきれないほど、方角を確認するために木に登ったのも何回かあった。おまけに靴が無いせいで足取りも遅くならざるを得なかった。
やっと川のそばに着いた時にはもう空理はヘトヘトに疲れていた。剣術の練習などで体力はそれなりにつけているはずだが慣れない森での歩きが体力を奪っていった。
川の水辺にどかっと腰を下ろすと川の水を手で救い上げ、のどを潤した。
「・・・ごく・・・ごく・・・ぷはぁ。」
ただの水をこれほどおいしく感じる時が来るとは思ってみもなかった。普段なら病気を気にして生水などは決して飲まないけど今はとにかく喉が渇いている。人の姿など見えないし、水を浄化する便利な装置を持っているはずも無い。
のどの渇きを満たし、一息ついた空理は西の空に沈んでいく太陽を見ながらこの後どうしようと考えていた。
「夜も近づいてるし、夜風から身を守れる場所を探さないと・・・」
幸いここは森の中だ。大きな木を見つけてその根の窪みで丸くなれば多分大丈夫だと思う。自分がタバコを吸わないのが悔やまれる。せめてライターかマッチを持ち歩いていれば火を起こせたもの。けれど、今は無い物ねだりをしている場合ではない。とにかく寝る場所を見つけねば。
30分して人が入れるぐらい大きな窪みを見つけた。日はすでに沈んでいて辺りは真っ暗になりつつある。いつもなら夜の十二時ぐらいまでに起きているけど、今日の今までの疲れが溜まっていてすでに限界に近い空理はすぐに窪みに寝転がった。
空理はそのまま寝ようとしたけど、体を動かす事で誤摩化していた恐怖が襲ってきて眠りはすぐにはやってこなかった。体が震え始めていろいろな悪い考えが頭を横切った。
・・・・ガタガタ・・・・・
(うぅ・・・寒いよ・・・家に帰りたいよ・・・)
(腹が減ったよ・・・母さんのご飯が欲しいよ・・・)
ついに我慢ができなくなって涙がこぼれた。一筋の涙が流れるとまた一つ、二つと続く。やがて泣きつかれてやっと眠りにつけそうになる。
最後に思ったのは空理が待ち合わせ場所に現れなかったのを真由がどう思ったかだ。
「まゆ・・・・・・・・・」
翌朝、ちょうど日が昇り始める頃に起きた。昨日の夜に泣いたおかげで心の暗雲は少し晴れた気分になっている。
・・・・・・・くぅ〜・・・・
不意に腹の虫が声を上げた。
「腹、減ったな〜・・・けど食べれそうな実がなってる木は見当たらないし・・・釣りをしようにも道具は無いし・・・近くに街があればいいんだけど。」
昨日の昼から何も食べていないのでお腹が減るのは仕方が無いけど、空腹感を憶えているということは精神状態がある程度回復しているということでもある。それだけでも今の空理に取っては嬉しい事だ。
「もう少しがんばって見るか。せめて人里を見つける事が出来たらここがどこら辺か分かるかもしれないし、食事にありつけるかも。」
そういうと腰を上げて、川辺に戻って水を少し飲んでから再び下流を目指し始める。
4時間ほど歩いて疲れ始めると不意に空理の口から愚痴がこぼれた。
「しかし、この川はいったいどこまで続くんだ? ロープかなにかがあればいかだを作って川を下っていきたいぐらいだ。」
「本当にこのまま川に沿って歩けば街に着けるんだろうな・・・」
「うがあああああ・・・疲れた!・・・足が痛い!」
「あ〜、もういい。休憩だ、休憩!」
延々と歩き続けるのに飽きた空理は近くの石に座り込んだ。
「やれやれ・・・いつまで歩き続ければ街にたどり着くんだろう・・・」
汗を拭って水を何口か飲んで一息をついた空理だったけど、川辺に座っていると後ろから何か音が聞こえた。
・・・・・・ガサガサ・・・ガサガサ・・・
(うん? 後ろになんかいるのか? 音からすると獣かなにかかな? もしかしたら人かも!)
「おい! そこに誰かいるのか? もしいるのなら出てきてくれ!」
一縷の望みにかけて音のしている方にそう呼びかけたが、すぐに人ではないと気がつく。
数秒後、森の陰からいきなりなにかが飛び出した。
「なっ・・・!!」
陰から飛び出たものを見ると言葉を失った。
それは人ではなかったし、獣のようだけど、見た事も無い、怪物としか言い表せないものだった。体のほうは有に5メートルを超していて、体重は1トンがあると言われても驚かないだろう。よく見ればその獣は狼に似ているが、空理の知っているどの狼とは決定的な違いがある。大きさもあるが、もっと衝撃的なのは尻尾が3本もあるみたいだ。そしてその怪物は凶暴そうな目つきで空理の事を見ている。
「うわ・・・」
本能は逃げろと警報を鳴り響かせているが、化け物が現れた衝撃からまだ回復していない体は膠着したままだ。
そんな緊張の糸が張り巡らされている空間の中で最初に動いたのは狼のほうだった。化け狼は良質な獲物を見つけたように空理にむかって走り出した。まるで飛ぶかのように迫ってくる狼をみて空理の体がやっと命令を聞いてくれて空理は途端に逃げ出した。
(やばい、やばい、やばい、やばい。)
パニック状態に陥いながら必死にその場から離れようとするが、当然狼も追ってくる。森の木などを障害物に使って化け狼とできるだけ距離を稼ごうと企むけど、できたのはせいぜい追いつかれない事だけだった。
それでも10分後には化け狼が背後のすぐそこまで迫っていた。
(このままじゃ駄目だ。一か八かで迎え打つか?!)
そう決心した空理は辺りを見回して木刀に使えそうな木の棒を見つけて構えた。
「さぁ、来やがれ、化け物!」
声だけは威勢良かったけど、内心では怖じ気づいていた。背中からあふれる冷や汗を感じながら化け狼が襲ってくるのを待った。そして数十秒後に出来れば聞きたくはなかった化け狼が茂みを掻き分けてやってくる音がしてきた。
「来たか!」
足が恐怖で震えるのを必死で押さえ込んで、化け狼をギリギリまで引きつけて空理が木の棒を振り上げた。
「ヤーーーーーーーーーーー!」
化け狼の突進をギリギリで避けて、空理が木の棒を狼の額へと振り下ろした。
「オオオオオオオオオオオオーーー!」
と化け狼が咆哮を挙げてのたうち回った。これがチャンスと思い空理は再び走り出した。
「ハァ・・・ハァ・・・」
木の棒でなんとか追い払う事が出来たものの、そんなものでは化け狼を完全に追い払う事が出来ず、しばらくしたらまた狼の追ってくる足音が聞こえ始めた。
そんな追いかけっこが10回になった頃には空理の体はぼろぼろになって、体力も限界に近づいていた。
「ハァ・・・ハァ・・・もう、だめ・・・かも・・・」
必死に息を吸い込みながら空理が諦め寸前まで追いつめられていた。それでも逃げ続けられていたのは死への恐怖と生きてまた家族や真由と会いたいという思いがあったからだ。しかし、体力は無尽蔵にあるわけではない。そしてついに化け狼に追いつかれ、前足の爪で胸を大きく引き裂かれ、空理の体が吹っ飛ばされた。
「がはっ・・・」
吹っ飛ばされた体は後ろにあった木に当たり、衝撃で咳とともに血を吐いた。木に当たった事で頭を揺らしたようで、空理はもう立ち上がる事も出来なかった。
(ここまでか・・・こんなところで死ぬのは嫌だなぁ・・・)
もう動かない体を見て、朦朧としている意識でこの絶望的な事態で何も出来ないと悟って空理はもう諦めていた。
(ちくしょう・・・体がいてぇ・・・)
空理がもう動かないのを見た化け狼は止めを刺すためにゆっくりと空理が倒れている場所へと近づいた。いよいよその大きな口の無数の牙に貫けられそうになったとき----
「キャイン!」
いきなり化け狼の体がまるでトラックに跳ね飛ばされたかのように横に吹っ飛んだ。空理がついに意識を失う直前に見た光景は化け狼に刺さっている無数の氷柱のようなものがはじけて水に変わっていく様だった。
(たす・・・か・・・った・・・のか・・・?)
* * *
氷柱が飛んできた方向から出てきたのは腰まである長い水色の髪をした30代の女性だった。どこかの兵士の様で軽鎧を着ていた。倒れている人を見つけた彼女は空理に駆け寄って胸の傷を発見してびっくりした。ちょっと困ったような顔をしながら何かをつぶやいて誰かを探すように辺りを見回したが、誰もいないと見ると諦めるように傷に手をかざした。彼女が目を閉じて集中すると不思議な青い光が傷口に入り込んだ時、突然流血が止まり、傷口もみるみる小さくなった。光が消えた時、傷はなくなってはいなかったけど、明らかに死ぬくらいの傷だったそれは軽傷と言ってもいいくらいには小さくなっていた。
「ふぅ・・・」
一仕事を終えた彼女は大きくため息をついて額の汗を拭った。そしてまるで鱗粉をまき散らすかのように水色の髪の毛から光が流れていった。その現象が収まると残っていたのは太陽のような黄金色をした髪の毛だった。




