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Sugarless SugarLady  作者: アベシ
第三章
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第8話

 朝、久しぶりにお母さんがいた。

 もちろん夜は一緒に食事をとっていたし会話もしていたけれど、この時間帯に顔を見られるのはいい気分だ。


「ギター続けられてるの?」

「えっ、あ……うん……ごめん、うるさいよね……」


 お母さんは、私がギターを買ってきたのを見て、腰が抜けるほど驚いていた。それが一八万円もしたというのだから、開いた口が塞がらない、そんな風だった。でも、怒られなかった。そのときお母さんが何を感じていたかは、私には読み取れなかった。


「いいの。アヤがあんなに集中して何かに取り組むなんて、お母さん嬉しいんだから」

「でも……下手くそでしょ?」

「ふふっ、そうだねぇ。ステージに立つのは、まだちょっと早いかな?」

「うっ……」


 スバルちゃんに何か吹き込まれたに違いない。


「お小遣いは足りてる?」

「う、うん……大丈夫……」

「困ったら言いなさいね。あと指。無理しちゃ駄目だからね」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ベッドに座ってギターを弾いて、気づいたら朝になる。

 そんな新しいルーティンが日常に加わった。寝不足でひどい中、痛みとともに鳴る音は、真新しい色をしている。

 指の奥で、乾きかけの絵の具を無理やり混ぜているみたい。自分だけの世界が灯った――そんな不思議な感覚があった。

 これがずっと続けられるものなのかは、いまいち判断できない。楽しくて楽しくてやめられないというほどでもない。だから、それが奇妙だった。

 学校でもぼーっとしていることが増えて、クラスメイトに心配される始末だ。


「アヤちゃん、今日はもう帰り?」

「はい。まっすぐ帰ります」


 委員会の仕事終わり――イブキ先輩は、今日も柔らかな表情で私の前に立っていた。


「イブキ先輩も、お帰りですか?」

「ううん、アルバイトなの。だから帰るのはまだあとかな?」

「ああ……」


 知り合った頃、確か札幌駅近くのカフェで働いていると言っていた。迷惑になるのも嫌なので、行ったことはない。


「駅まで一緒に行かない?」

「はい、お願いします」

 お誘いを受けることにして、急いで教室に戻る。

 鞄を手にとって、玄関口へ足早に向かった。


 隣に立つと、イブキ先輩は少し目線が高いのがよくわかる。うっすらと乗った化粧のせいか、それとも私の寝不足のせいか、より遠い存在に感じられた。並んで歩いているのに、歩幅が合っていないみたいだ。


「どうしたの?」

「あっ……いえ……」


 目があってしまって、思わず顔を背ける。

 私の動きにつられ白い吐息が流れていくのが見えた。


「ね、アヤちゃん」

「はい」

「指、どうしたのかな」


 一瞬、何のことかわからず固まってしまった。


「えっ……?」

 イブキ先輩の視線が下に落ちていた。

 恥ずかしくなって、私はポケットに手を押し込む。


「ギターを……はじめたんです」

「へぇ、ギター。なんだかすごく痛そうだね」

「あはは……痛いのは平気なんです。でもまだ弾けるって状態でもなくて」

「そうなんだ」


 笑みを崩すことなく、いつもの包み込むような声色で言った。


「自分が不器用なんだって、痛感したというか……こんなに上手くいかないんだなって」

「ふふっ、最初は誰でもそうなんじゃないかな? はじめから全部できちゃっても、面白くないでしょ?」


 そうなのかな。

 すぐに信じきれないあたりが、たぶん今の私だ。


「でも、どうして右手までそんな――」

「つ、強い音が見たくて、叩くように弾いてたらこうなっちゃいました。うちはマンションなので、アンプっていうのが使えなくって」

「優しくストロークしてあげることも、大切だよ」

「イブキ先輩……詳しいんですね」

「こんなの詳しいうちに入らないよー。だけどね、私、歳の離れた兄がいて、その兄が楽器をやってたの」

「お兄さんが……そうなんですか」

「就職を機に全部やめちゃったんだけどね。ふふ、俺はプロになるんだーって高いものをローン組んでまで買ってたのに、変な話だよね」


 プライベートを聞くのは、もしかしたらはじめてかもしれない。

 こんな私に優しくしてくれるけど、どうして気にかけてくれるのか尋ねたことはなかった。ううん、私からしてみれば、視界が濁らない。

 それだけで、充分だった。


「その……イブキ先輩は、音楽は……?」

「小さい頃に二年だけバイオリンを習ってたよ。先生がスパルタで、嫌になってやめちゃったの。それくらいかな?」


 委員会での先輩は、何でもそつなくこなし、誰にも分け隔てない。そんな人でも、何かが嫌になるんだ。

 親近感を覚え、自然と頬がゆるむ。


「アヤちゃんは、あまり音楽を聴かないって言ってたよね?」

「はい……あまりというか、本当にまったく。なので今も何がなんだか」


 イブキ先輩は相槌を打つ前に、ほんのちょっとだけ間を置いた。


「それなのにギターなんだ?」

「お、おかしいですよね……」

「ううん、素敵なことだよ。続けていれば、アヤちゃんの心をつかむ曲だってあるかも?」

「そうでしょうか……」


 正直、そういうことは未だに理解できていない。がむしゃらに鳴らすばかりで、目指すものがないのが駄目なんだろうか。とはいえ、何も浮かばない。みんなはどういうモチベーションでギターを握るんだろう?


「頑張るのはいいことだけど、ちゃんと睡眠はとること。約束したよね?」

「ご、ごめんなさい……」

「自分の体が一番。でしょ?」


 私は一も二もなく頷く。

 この甘いトーンで諭されると、拒否できない。


「明日は休みだし、ゆっくり休めそう?」

「そうですね――あっ」

 一昨日のことを思い出す。


「土曜はお昼からスタジオに行くんです。スバルちゃ――琴似先輩が、予約してくれて」

「スタジオ?」

「大きな音を出せるらしいです。すすきのの……」

「ピースオブマインドだ?」

「知っているんですか?」


 私に答える代わりに、ふふっと声を漏らした。名前を知っている理由を、先輩は語らない。


 その気持ちは、どうにも読み取れなかった。

「そこで練習するんだね?」

「れ、練習というか……そ、そうですね……私が弾くためだけに予約してもらったというか……」

「ふぅん……」


 立ち止まった先輩が、人差し指をそっと顎に添え、視線を斜め上の宙に向けた。

 そんな姿まで様になるなんて、私とは違う世界の人のように思える。


「ね、アヤちゃん」

「なんでしょうか?」

「私も、行っていい?」


 問いかけとは裏腹に、その声には確認を求める響きはなかった。

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