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Sugarless SugarLady  作者: アベシ
第二章
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第7話

 目が覚めたとき、やけに白く眩しかった。

 カーテンの向こうが明るすぎて、朝だと理解するまでしばらく動けずにいた。

 体が重く、眠った記憶もない。いつの間に寝ちゃったんだろう。

 少し身じろぎして、起き上がろうとした瞬間――


 熱い。


 指先が、じわりと痺れている。熱を持ったまま、逃げ場を探すみたいに疼いていた。

 左手を見る。指の腹が赤い。皮膚が浮いて、ところどころ白くめくれていた。右手より、ずっとひどい。触れるだけで、ひりひり、と痛みが走る。

 何をしたのかは、すぐには思い出せなかった。


 視線を落とすと、ベッドの脇に黒い箱があった。昨日、部屋の隅に置いたはずのギターケースだ。知らないうちに、足元まで来ている。

 床には、弦の切れ端が落ちていた。

 何時まで、触っていたんだっけ。まったく覚えてない。

 考えようとすると、指が脈打つ。答えは、全部ここにある気がして、目を伏せた。


 喉がカラカラだ。廊下に出るためにドアノブに手をかける。ぎゅっと力を入れただけで、指先が悲鳴を上げた。


 ……そっか。

 初心者って、こうなんだ。


 誰に向けたわけでもない言葉が、胸の奥で転がった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「寒い! 寒すぎ! アヤもそう思わん!?」

「はい……」


 この時期、当然のことだけど、それにしても一際冷える日だった。

 二、三歩進んではスバルちゃんが同意を求めてくる。こういうときは、こんなものだ。長くダラダラと話していられない。「寒い」「冷える」「今日ヤバい」この三語で一時間は持つ。


 今日こそはスバルちゃんに耳栓を返却しようと連絡した。

 駅チカのカフェで話そうと提案されたので、こうして歩いているのだけど……


「寒くね……?」

「スバルちゃんはスカートが短すぎると思います……」

「膝上で決めるのは、地元の意地だから」

「意味がわかりません……」

 この時期に生足を晒す意地を、きっとこの先も理解できない。


「アヤも巻いてけー?」

「む、無理です……」


 八〇デニールですら限界なのに、これよりさらにスカートを巻けだなんて。その発想は常軌を逸している。スバルちゃんの脚は防寒を度外視しているためか、隣に並び立つと、私が間違っているとさえ錯覚する。


「おっ、あっこでいいじゃん。入ろ。もー、足もげるわ」

 ……やっぱりおかしいのは、スバルちゃんのようだ。


 自動ドアが閉まった途端、急に喧騒が遠ざかった。さっきまで内側にまとわりついていたざらざらしたものが、輪郭を失って薄れていく。空気は静かで、外で固まっていた感覚が、ゆっくりほどけていった。

 客席は棚や仕切りで区切られていて、隣の様子が直接流れ込んでこないのがいい。話し声も足音も丸くなって、色になる前に消える。完全な個室じゃないのに、ここだけ世界がぎゅっと狭まるみたいだ。


 椅子に腰を下ろすと、呼吸が楽になっていることに気づく。この場所なら、ちゃんと息ができる。

 店員さんに注文を済ませたあとで、スバルちゃんはややオーバーサイズの中綿ダウンと、口元まで覆っていたロングマフラーを外した。ブレザーの下には明らかに校則違反の、だぼっとしたカーディガンが見える。


「や、エグい。タクシー案件じゃん」

「はぁ……」

「上は決まってんのになぁ。マフラー可愛くない?」

「下のガードの話なのでは?」


 そっちを徹底しても、防御力ゼロの脚をどうにかしないことには、解決しない。意地なんて捨てちゃえばいいのにっていうのは、ちょっと野暮だろうか?


「アイスキャラメルラテ頼んじゃった」

「どうして暖かい場所にいると、冷たいものをとりたくなるんでしょう? 外はあんなだったのに」

「ね」

「寒いのは外だけですもん」

「あはー! 家、ガチで半袖短パンだよ。暑いまである」


 ひと息ついたころには、スバルちゃんはらしさを取り戻してきた。

 別のことに意識をとられていたけれど、私は耳栓を返却しに声をかけたんだった。


「スバルちゃん、これありがとうございました。使ってないので、そのままお返しできるかと思って……」

「おー、いいのに。うるさかったでしょ、ライブハウス。アヤは嫌がると――何!? アヤ、指どしたん!? これ!」


 私の手首を掴んだスバルちゃんが、声を張る。


「いじめられた!?」

「ち、違います……! な、なんですか指先のいじめって……陰湿すぎます……!」

「わからんて。あるかもしれん」

「少なくとも私は違います。あの……」


 ちょっとだけ躊躇ってしまう。昨日の今日で言えるようなことか、と。


「えっと……」

「いじめ?」

「ですから違います。その……ぎ、ギターをはじめてみたんです……」

「へぇ、ギター。アヤがギターね――えぇっ!? アヤがギター!?」

「しっ……静かにしてください……」

「だってアヤだし! アヤだよ!? アヤなのに!」


 立ち上がるほどに驚かれるとは考えもしなかった。

 というより、落ち着きのある店内で自分の名前が連呼される恥ずかしさ。


「え、嘘? ガチ?」

「本当です。昨日買ってきたばっかりで、まだほとんど……」

「えぇ、すご。ガチじゃん」


 ガチガチ言いながら、スバルちゃんがようやく私の手を離してくれた。


「エレキ? てかライブ行って影響されたんだ? 音楽聴かないアヤがねぇ」

「自分でもよくわからなくて。でも気づいたらギターを買っちゃってました。まだなんにも弾けないんですけど……」

「いいんじゃね。やりたいって思ったんでしょ。じゃ、あとはやるだけだ」

「……そう、かもしれません」


 あとはやるだけ。ものすごくシンプルでスバルちゃんらしい言葉だ。


「それでギター練習してて、指がこんなことに……」

「はじめのうちは大変だって聞くね。アタシはやったことないからわからんけど。や、でもアヤがなぁ」

「でもって……」

「だけどアヤ、急に変なことするし。まあ、ありっちゃありか」


 変なことすると思われてたんだ。ほんのりショック。

 ひっそりと運ばれてきていた飲み物に口をつけて、スバルちゃんが言う。


「バンドやるんだ?」

「えっ!? ば、バンドですか!?」

「声でか」

「あっ……」


 思いがけない問いかけに、つい――こればかりは、スバルちゃんの飛躍のせいにしたくなる。

 バンド……バンドなんてそこまで私は思い至らなかった。


「ギターはじめたんなら、バンドやるんじゃないん?」

「えっ、あの……ひ、ひとりでやるのは無理なんですか?」

「や、そんなことないけど。この前行ったFRONTも、ひとりで出る人いるし。アヤもひとりでやるん?」

「ひ、ひとりで……え? あれ……私、ライブやるんですか……?」

「あは、知らんし。でもギターやってたらさ、誰かに聴いてもらうもんなんじゃないの? アタシ、聴く専だから実際のとこはわからんけど。そういうもんかなって」

「そうですか……」


 温かなカフェラテが入ったカップを、両手でぎゅっと握る。指先が赤くなるまでずっと。

 誰かの前で何かをするなんて――ハードルが高すぎる。


「そういや、アヤと仲良いイブキ先輩いるじゃん。あの人、小さい頃バイオリンやってたって。アヤのバンド活動手伝ってくれるかもよ」

「私のバンド活動は確定なんですか?」

「ツギハギだらけの犬飼ったり、撃たれた跡のあるギター買ってたら確定だね」

「つ、ツギハギ……?」

「てか、アイスキャラメルラテって氷溶けたらまずくね」

「う、薄くなりますからね」


 そんな益体のない受け答えをしながらも、私の混乱は続いていた。

 バンド……誰かに聴かせる、ライブ……ライブ……?

 衝動的に買ってしまったギターと、一日しか練習していない自分。

 大それたことを、私はできるのだろうか。


「アヤん家、デカい音出せるん? マンションでしょ」

「いえ……さすがに大きい音は……なので、ギターしか買ってないんです。スタジオ行きなって、お店の方に言われました」

「あー、なんか聞くね。バンドのスタジオ練習って。見たことないなー」

「私もありません……」

「おー、アヤのスタジオデビューじゃん。ヤバいね」

「や……ヤバいですね……まだ行ってもいないのに、心臓が破裂しそうです」

 早鐘が視界をボヤけさせるほどに。


「――えっ? あれ? どうして私、スタジオに行くことが決まってるんですか……?」

「や、アヤ。見てほら」


 私の話を聞いてか聞かずか、スバルちゃんはスマホを見せてきた。


「すすきのの近くにスタジオあるわ」

「……ありますね、これ」

「デビュー不可避じゃん」

「あっ、えと……ええ……?」


 最大限の困惑が絞り出した弱々しい声。きっと顔は青ざめている。スバルちゃんは見てないけれど。


「あの……! す、スタジオはひとりで入れるのでしょうか……? バンドなら、私だけじゃ無理なのでは……?」

「んー? アタシも行く感じ? いいよ。暇だし」


 その言葉は、冗談みたいな調子で投げられたのに、私の中では、まだ意味の形をしていなかった。


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