第19話
私にできることはなんだろう? と思いながら、お刺身に箸を伸ばす。
「どうしたの? アヤ。考え事して」
「えっ? そ、そんな風に見える?」
「そうだねぇ、顔に書いてあるから。アヤはわかりやすいもん」
「うん……」
ご飯を口いっぱいに詰め込んで、返答を誤魔化した。
お母さんは私に肯定的だけれど、作曲しますとか、作詞しますと吐き出しても困るだろうし。自分自身が未整理なまま、あれこれ話すのはやっぱり躊躇われる。結局、最後は私が解決しなくちゃいけないのだから。
部屋に戻ってベッドにダイブした。
反発に押し戻され、すっと冷静になる。
――どうしてあんなことを口走ってしまったのか。
灰色に溶け込むように生きてきたのに、自己主張なんかしちゃ駄目じゃないか。
「うぅぅぅ~~~~っ……!!」
枕に頭を押しつける。
自分は何がしたいんだろう。
こんな真似をしていたって、あの発言は消えない。それなら、寝ている暇もないはずだ。動かなくちゃ。亀の歩みでも、ひとつずつやらなくてはいけない。
作曲ってどこから手をつけるのか、わからないなら調べよう。
スバルちゃんは、パンクロックが好き。イブキ先輩は? 私は?
ちゃんと整理していかなくちゃ。油断していたら、灰色に覆われるより早く、情報の海に溺れてしまうかもしれない。
スマホを取り出して、「ロックンロール」と打ち込む。画面に並ぶ文字が、黒い紙に赤いインクを撒き散らしたみたいで拾えない。
私は、私の価値観をアップデートしなければならないのに。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
授業が終わり、教科書を抱えて廊下を歩いていると、覚えのある背中が視界に入った。
こっそりと近づき、声をかける。
「スバルちゃん、お疲れさまです」
「お、アヤ」
振り返ったスバルちゃんに見えるように、やや前かがみになった。
「ん?」
これみよがしに髪の毛をはらってみる。
「髪ボッサボサ。てか伸びすぎじゃん。切りに行きな」
「ち、ちが……」
窓際を確認する。陽の光が差すところへ移動して、再びスバルちゃんに向き直った。
「気づきませんか……?」
「んー?」
訝しげなスバルちゃんの視線。
「ああ!」
「わかりましたか?」
「おっぱい大きくなった? や、そんな感じしてたわ」
「違います……! が、学校で変なこと言わないでください!」
だいたいおっぱいが大きくなったとして、そんなの伝えるわけがない!
「やー、なんだろ? うちのアヤちゃん、今日も可愛いよ?」
「そ、そうではなく……髪の毛を染めてみました」
「は?」
「私、この前おかしな空気にしちゃったと思って、ロックについて勉強したんです。知らないまま、流されるままじゃ駄目だって。だから……染めてみました。ドラッグストアで買って……」
「ふーん……んん……?」
正面から受け止められると、恥ずかしい。
「や、ガチでわからん。変わってなくね」
「えっ!」
「どう見ても一緒だわ。カラー剤、何使ったん?」
「……校則違反になると怒られてしまうので、あまり派手じゃないのを」
「はみだせ! もっと!」
「えぇ……」
「ロックはルールに縛られない! 巻け! スカートを! 抜け! 髪の色を!」
声が大きい。
そしてスカートは今、関係ない。
「アヤ、ガチでおかしなことするし、これ以上はやめとくわ。イブ先輩にも聞いてみな? 絶対にわからんって返されるから」
「そんな……」
「そういや、アヤさ。なんか好きなもんある? あとでグループチャットに送っといてくんない?」
……確かに、クラスメイトにも触れられなかった。その時点でおかしいと察するべきだったんだ。
わざわざドラッグストアに駆け込んでチャレンジしてみたものの、失敗したみたい。いや、イブキ先輩ならきっと――
「うーん……わからないかなぁ? ごめんね」
私としては、もうとてつもない勇気だったのに。
放課後、イブキ先輩に連絡をしてちょっとだけ時間をもらった。
今日はアルバイトの日らしく、駅まで一緒に歩いていたのだけど……髪の毛を見せても、スバルちゃんと同じ反応だった。
冬の風が、一段と冷たい。
「アヤちゃんはそのままでいいんだよ。下手に色を入れると、傷めちゃうから」
「私……」
「コピーが嫌だって言ったのを引きずってるんでしょ?」
「うっ……それは……」
まったくどうして、私はこんなわかりやすいんだろう? いや、イブキ先輩が鋭いのかな。
「アヤちゃんの決断は、間違いじゃないから安心して。確かにちょっと……簡単じゃないから、不安なのはわかるけどね」
「じ、自分でできそうなのを、ひとつずつやろうって……髪の毛を……」
「ふふっ、スバルちゃんの言う通り。突き進んじゃうんだ?」
「へ、変でしょうか?」
「そうだねぇ」
柔らかな声音に、否定の色はない。先輩は優しい。だけど嘘はつかない。
いくら鈍い私でもわかる。誤ったことをしているって。
「アヤちゃんはさ、何をどう調べたの?」
「えっと……ロックを知るべきだと考えたんです。あの、スバルちゃんがパンクロック好きって聞いていたので、そういうのを調べました。……でもモヒカンとかトゲトゲみたいなのは無理かなって。だからせめて色ぐらいはと……」
「そっか、ふふ、すごいバイタリティというか、エネルギッシュというか……衝動だけで走れちゃうんだねぇ、アヤちゃん」
「うぅ……」
別にそんな大層な名前がつけられる行動ではないと思っていた。
立ち上がって走り出したら、ちょっと踏み外しただけ。
……こんな失敗は取り戻さなくちゃいけない。
「イブキ先輩」
「うん?」
「さ、作曲ってどうやればいいんでしょうか?」
「…………」
私を優しく包むように向けていた目が、大きく開かれた。
また間違った。どうにか取り戻そうとしたのに、
「あは……あははっ……!」
「えっ……?」
笑われてしまう。
「ふふっ、ご、ごめん……ごめんね……」
そこまでおかしかったのか、イブキ先輩は苦しそうにお腹を抱える。
こんなに笑う姿を、私ははじめて知った。
先輩の輪郭が、いつもよりぼやけて淡く揺らぐ。きちんと整った線が、笑うたびにほどけていって、澄んだ声音が柔らかくにじんだ。
光の当たり方が変わったみたいに、焦点が合わない。
それが私のせいだと思うと、胸の奥が静かに熱を持った。
「せ、先輩……あの……」
声をかけしようとして、もうそこが駅前だと、いまさら気づく。
「あ、私……こっちだから。アヤちゃん、またね」
「えと、は、はい……」
答えを聞けず、イブキ先輩を困らせてしまったまま別れた。
私は小さくなっていくその背をしばらく眺めていた。




