表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sugarless SugarLady  作者: アベシ
第五章
PR
19/33

第17話

 地下へ続く階段を降りる。

 前よりも、足が止まらなかった。


 はじめてのときも、ちゃんと自分の意志で踏み込んだけれど、今回はもっと……能動的だと思う。たぶん。

 スバルちゃんは驚いていた。でも何かを尋ねられることはなく――三人で扉をくぐった。


「三名で」

「はいよ。それにしてもお前、よく来るなぁ? 暇なの?」

「店長うるさーい。うちら女子高生はガチ忙しいのに時間作って来てるの」

「ほれ、四千五百円な」

「ドリンク代は?」

「奢ってやるよ。可愛い女の子たち連れてきてくれたからな」

「うわ、セクハラ。サイテーじゃん。でもゴチでーす」


 ちょっと頭を上げた。

 カウンターに座る店長と呼ばれた男の人だ。ギターを掻き鳴らし、叫んでいた光景。


「てか店長、このフライヤー、何? イベントやるの?」

「おー、来月末な。かっこいいだろ、TEENS(ティーンズ) RIOT(ライオット)ってイベントだ。未成年バンド限定。持ち時間一〇分。いいパフォーマンスしたら、うちからギャラ込みで今後ライブのオファー出す。肩肘張らずに応募してくれってな」

「FRONTってそんなバンド不足なん?」

「お前みてーな常連きらーい」

「あは、店長キモ。フライヤーもらってきますね」

「おう、遊びに来いよ。当日タダだからよ。まあ、まだバンド集まってねーから、こじんまりしたイベントになるかもしれねーけどな」


 軽妙な会話から戻ってきたスバルちゃんから、ドリンクチケットを受け取る。

 あの人が、ステージに立っていたとは思えなかった。


「アヤ、こっち」

「あっ、は、はい……」


 どことなく後ろ髪を引かれる思いのまま、私はスバルちゃんに続いた。


 フロアはやっぱり暗がりだ。まばらに光るお客さんのスマホの画面が、妙に目立つ。


「イブキ先輩は、ライブに来られたことは……」

「数えられるほどだね。ここも名前は知ってたかな」

「ま、デカいハコじゃないんですけど、プロもやることあるんで設備ガチだし、客の数も悪くないんですよ。常連もいるし」

 ライブハウスにも、常連という概念があるんだ。いや……スバルちゃんがそうなのかな。

「前、行く?」

「いえ……ここでいいです」


 扉の近く。最初に来たときの立ち位置だ。

 靴底がぺたりとくっつく。覚えている、この感触。でも、ぞわっとしない。経験のおかげで、こんなに違う。

「うん、見やすいしいいと思うよ」


 みんなで壁際に並んだ。スバルちゃんはもう爪先でリズムを刻んでいる。

 私はポケットに手を入れた。弦を押さえていた指の跡が、まだ残っている。


 照明が落ちた。


 バンドが出てくる。ボーカル、ギター、ベース、ドラムだ。

 慣れた動きで準備して、スティックでカウントを刻む。

 すぐに音が来た。


 ――強い響きはあるけれど、殴られる衝撃はない。

 このあいだは、壁一枚で全部ぶつかってきた。鉛色の塊。意味も形もない暴力。

 今日は違う。音がばらけているってわかる。

 ギターが上のほうでガシガシ暴れている。ベースはその下を這って、床板を引き剥がす勢いでうねる。ドラムが全部をひっぱたいて、バラバラになりかけた絵を無理やり一枚に押し戻す。


 壁じゃなくて、幾層にも重なったフィルム。うん、そんな感じだ。

 ギターが走って、ベースが追って、ドラムが転ぶ。あの人たちも、技術はまだまだなんだろう。私と同じだ。ぼんやりながらもわかるから、見える。どこでずれて、何が噛み合って、どう崩れたか。


 二曲目へ移って、周りの密度が変わった。

 色が、細かくなった。砂嵐が砕けて散って、粒のひとつひとつが名前を主張しはじめる。茶色になったり柿色になったり、モヤがかかって破片が飛ぶ。

 ひどく多い。

 同時に、そしてめちゃくちゃに向かってくる。ひとつずつ処理できない。瞳が追いつかない。重なって、混ざって、分離して、また一体化する。まぶたの裏側が、絵の具をぶちまけた画用紙みたいになっていく。


 あれ。

 ……ちょっと、しんどい。


 三曲目で、足元がぐらついた。

 視界の端が滲んで、天井と壁の境が溶けている。

 酔ってる。

 車酔いに似ている。目まぐるしい情報のせいで、頭がオーバーヒートしていた。


 最初に触れたときは、どうして平気だったんだろう。よく理解できない塊を、そのまま浴びるだけだったから? 何もわからなかったから……?

 今は、音が見えるようになった。そのせいかもしれない。鍵の壊れた部屋に、次々と誰かが押しかけてくるように。


 閉められない。

 閉め方を忘れた。

 あの灰色のほうが、よっぽど静かで安全だった。


「アヤ?」

 ……くらくらする。

「大丈夫?」


 大丈夫じゃない。壁に背中ごと預けて、全部の体重をそこに渡した。骨まで壁に沈めたかった。イブキ先輩の手が、そっと肩に触れた。何も言わずに、ただ支えてくれる。その手が体温を持っていて、ほかの全部が冷たい。

 音が、遠くなったり近くなったり、まるで水の底で聴いていると錯覚する。泡になって、浮き上がっては割れる。


「外で休んできます……」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 バーカウンターの椅子に座る。他には誰もいない。ドリンク交換もできない。

「うぅ……」


 足に力が入らない。眼球の奥が焼けている。さっきまでの残像が、まぶたの裏にこびりついて、爪で剥がしても取れない落書きみたいに残っている。

 あっ、スバルちゃんが言っていたバーカンって、バーカウンターのことだ――まったく関係ない思考が割り込んでくる。

 ここまでの症状は、小さい頃以来かもしれない。

 我が物顔でギターなんて弾いていて慣れたつもりになっていた自分が、とてつもなく情けない。


 あのときは、殴られた。

 今日は、溺れかけた。

 どっちがましなんだろう。だけど確実に、これまでとは違うことが起きている。

 まだ頭の中がぐわんぐわんだ。荒くて、バラバラ。理解したぶんだけ、影が残る。お土産なんていらなかったのに、勝手に詰め込まれた。

 冷たい空気を肺の底まで吸い込んで、ゆっくり吐いた。


「水、飲みなよ」

「あ、ありがとう……ございます……」


 無造作に差し出されたペットボトルを受け取って、口をつけた。冷たさが喉を落ちて、胸の底にたまる。少し揺れが収まった。


「……あれ?」

 顔を上げる。


 知らない人が、バーカウンター奥の棚にもたれて立っていた。

 背が高い。私よりずっと。視線の位置がひとつ上にある。

 黒い髪が光を吸う。額にかかる前髪が目元の影を深くしているせいか、眼差しが鋭い印象だ。男性か女性か、すぐにわからなかった。骨ばった印象もあるのに、線は細い。曖昧で、なのに整いすぎている。


 まだ酔いが抜けないから、輪郭がうまく掴めない。それでも、ひとつ見えたものがある。

 この人の周りに、色がない。

 灰色や砂嵐ではない。

 何もない。ただ透き通ったまま、そこに立っている。


 体温を測られたわけじゃないし、値踏みされたわけでもない。ただ確認された、という余韻が残る。嫌じゃないのに、逃げ場を失う。お客さんではなさそうだ。とはいえ、店員さん……ううん、バンドマンでもない……そんなイメージ。


「えと、どちらさ……」

「ただの客。気にしないで」


 声が低い。けど冷たくない。温度がないだけ。水を飲んだときと同じ感覚が、耳から入ってきた。

 彼女が、私を一瞥する。


「……君、前も来てなかった? ここに」

「え……」

「見覚えがある気がした。違うならいい。で、どうしたの? だいぶぐったりしてるけど。うるさすぎた?」

「私、その……」


 どう言葉にしたものかと考える。

「お、音に酔っちゃって……」

 嘘で逃げることもできたのに、正直に吐露した。

「今のバンド聴くに堪えないからね。耳障りなのは理解できる」


 そう言って、彼女は私から視線を外した。カウンターから離れて、フロアに続く扉のほうへ歩いていく。

「音に酔う、か」


 後ろ姿を追いながら、ペットボトルの蓋を握った。プラスチックがみしっと軋む。

 あの透明が、指先にまだ残っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ