第12話
パン、と弦がはじけた。
「うわ、出た。アヤ、久しぶりに弦ぶち切ったじゃん」
「あぁ……一昨日替えたばかりなのに……」
体力が尽きるまでギターを触って一ヶ月が経った。
あまりに手がボロボロになっていたため、ついにお母さんに没収されたりもしたけれど、とにかくずっと続けている。
血豆や水ぶくれもほとんどなくなり、指先は少し硬く、ツルツルしてきた。相変わらずピッキングを注意される回数は多いものの、たぶん上達している……はずだ。たとえばFやBも押さえられるようになった。いつもきれいに鳴るわけじゃないから、音が汚れていることも多い。それとBIGSBYを使う勇気もまだない。
別に私は、完璧で完全な音を目指しているわけではない。私の体をつたって出力される音が、視界を覆ってくれればそれでいいのだ。なので上手くなる速度がどうとか、そういうのは不明だ。理解していないとも言う。
でも続けられたという実感があるのは、それほど悪い気持ちではなかった。
「イブ先輩が言ってたアクセル踏みっぱなし説、ガチで正解だったわ」
「ね。ブレーキがないんだよ、アヤちゃんって。こんな可愛いのに」
ふたりは、今日もスタジオの練習に付き合ってくれていた。
もうひとりで入れるのに、心配性なのか……お目付けなのか、じっと見られるのだけは慣れない。
「血豆とか指の怪我をコストとして割り切ってる感じ。ちょっと駄目なんじゃないかな。行動選択が常にアクセル寄りというか、自分を大事にするって本能みたいなのが後回しになってるの。危ないよ」
「アヤ、やっぱおかしいってさ!」
ケタケタと笑うスバルちゃん。
そうは言われても、だって痛いのは平気だ。そんなの、どうだっていいことだから。
私の生き方に関係ないので、こうして続けられているのかもしれない。正しい色が映るほうへ、何かが起きるほうへ、ノロノロと進んでいるだけ。それをアクセルというのならそうなのかも。だからといって止まる理由にはならない。それだけだ。
「そりゃお母さんにギター没収されるわ。イブ先輩がキレるのも、今なら納得でしかないし」
「怒ってるわけじゃないよ? 心配なの」
「ごめんなさい」
「アヤちゃん、普段は大人しくて真面目だけど、実は前進あるのみなんだって思ったらね?」
「猪突猛進じゃん、アヤ」
監視の目が厳しい以上、静かに弾いているつもりだ。
イブキ先輩の注意とアドバイスもあって、コードを変えるときに前ほど手が止まらなくなり、同じ形でも弾き方ひとつで音の表情が違うことも、わかってきた。
「まあ、アヤ、最初にスタジオ入った日はマジで壊滅的だったし。そう考えたら、上手くなったんじゃん?」
「えっ! 壊滅的でしたか……?」
「や、そんなもんでしょ。今はコードチェンジもできてる感あるし。あのときは結構止まってたじゃん」
「そ、そうですね……」
はじめたてだったこともあるけれど、そんなものを聴かせてしまったのは申し訳ない。
「それに最初に通して弾いたのがディランってのが、エグい。渋い」
「Knockin' on Heaven's Doorは、初心者向けって聞くね」
「曲が短くて、難しいコードがなかったので……」
「ストロークもちょっとずつ安定してきたね」
「あとは立って弾く練習じゃね? アヤ、ストラップ持ってるっしょ?」
私はギターケースから、ペイズリー柄のナイロンストラップを引っ張り出した。ほとんど使用していないが、SAKURA楽器の店員さんがおまけでくれたものだ。
いくら音楽を聴かず、そういった動画を通ってこなかった私でさえ、一ヶ月もギターに触れていればわかる。多くのギタリストは立ったままギターを弾くことぐらい。もちろんチャレンジはした。――うん、難しすぎた。まずTennesseanが大きい。そして重い。
調べたところによると、エレキギターの中では重量はない部類らしい。でも座って抱えるのと、垂れ下がったものを肩で受け止めるのとでは、勝手が違いすぎる。
だから私は、とりあえず立ちながら弾くのを諦めた。戦略的撤退だ。
「弾き語りでいくん?」
「私、う、歌は……歌わないです……」
「スバルちゃんは? ドラムやらないの?」
「えー? この前、スティック借りてやったじゃん? ガチで無理。手足が一緒に動く」
「最初はみんなそうだよ。続けてれば、できるようになるんじゃないかな?」
「イブ先輩が合わせてくれるんです?」
イブキ先輩は、微笑んで返答を拒んだ。
はじめてスタジオに入ってから今に至るまで、イブキ先輩は楽器を持ってくる様子はなかった。ギターの話はしてくれるし、詳しいのは確かだと思うけど……その先に踏み込む勇気はない。
スバルちゃんは受付でスティックを借りてボコボコとドラムを叩いていたときもあったものの、飽きてしまったのか最近は椅子に座って私の練習を聴いているだけになった。
ひまわりみたいな明るい彩りとは違って、スバルちゃんのドラムは、こぼしたインクが繊維の奥まで染み込んでいくような、取り返しのつかない色をしている。それがいいことなのか悪いことなのか言葉にできない。ただ不快ではない。そんな感じだ。
「……スバルちゃんもやればいいのに」
ぽろっと口をついて出る。
「なに? アヤ」
「あ、いえ……何でもないです……そろそろ片付けなきゃって……」
「もうかー。時間過ぎんの早いなー。ラーメン食べてく?」
「ごめんね、私これからアルバイトなの」
「駅前のカフェでしたっけ?」
「うん、今度遊びに来て。サービスしてあげる」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「私もアルバイトをはじめようと考えています」
「は? アヤが? ガチ?」
「その……お小遣いばっかりじゃ大変なので。弦も高くて……」
「てか、弦切らなきゃよくね?」
「か、返す言葉もない……」
私が使用している弦は、『SIT Strings』だ。楽器屋の店員さんが、張っておいてくれて袋ごと渡してくれたため、同じものを選び続けている。もう少し安くて、なおかつメジャーな弦もあるみたい。わかってはいるものの、見えるものが変わってしまうという恐怖のせいで試せていない。
「切るたびに買いに行ってんの?」
「あの……ネットでセールがあって、たくさん買ったんです」
「アヤってさ」
「え?」
「普段、金使わんなぁって思ってたけど、スイッチ入ると散財エグいって」
「…………」
二度目の返す言葉もない、だ。いっぱいあったお年玉も、お小遣いも、いよいよというところまで来ている。
お母さんにねだるものじゃないし、そうなるとアルバイトしか選択肢はなさそうだ。
スバルちゃんがハンバーグステーキをフォークで丁寧に切りわけ、口に運んだ。
わざわざ未使用の箸に持ち替えて、付け合わせのサラダに乗ったトマトをこちらに放ってくるのだけは、ちょっとやめてほしい。
「うちのラーメン屋、バイト募集してるよ?」
「接客……私に、できるでしょうか?」
「無理じゃね」
じゃあ、どうして提案したんだろう?
「やりたいバイトがあるなら別――や、てか、ガチで困ってるわけじゃないっしょ?」
「うーん……」
スマホ代と通学の定期券代を除けば、私のお小遣いは同年代の平均よりもちょっと低い。クラスの友達と遊びに行っても散財しないし、今までとにかく必要ではなかったから不便もしなかった。
お母さんは「もう少し上げるよ」と言ってくれるけど、いらないと拒んでいるのが私だ。
「アタシは週二、三のシフトで、月六万くらいってとこ。夏休みとか冬休みはもうちょいいく」
「おお……」
「コスメとか服とかさ、髪もあるし。ライブ行ったりもするし、アヤとも普通に食べるし。ま、残んないよね」
化粧っ気のない私には、そのお金の使い方はわからない。でも、スバルちゃんは充実しているように見える。羨ましくもあり、私には合わない世界と思うこともあり。
結局、私は踏み込めない人間なんだと自省する。
「アヤさ、楽しいん?」
「え?」
「楽器」
「どうでしょう……考えてないというか……」
「変なの」
「そうですか?」
「そう」
スバルちゃんがいちごミルクを飲み干し、
「なんかさー、前に雑誌で読んだんだけど、バンドマンって基本、成功体験とか成長とか、あと承認欲求? そういうので伸びるらしいわけ。でもアヤ、それじゃなくない? 指やばくなっても、弦切れても、体調死んでてもさ、普通に止まんないじゃん。イブ先輩じゃないけど、アタシも正直ちょい心配。アヤ、ブレーキ壊れてる感あるよ?」
じっと私の目を見つめて、諭すように漏らした。
声音は明るい色を帯びていない。いいや、そんなのなくても、強い配慮がその表情でわかる。
申し訳ない、とも言えなかった。
「アタシさ、アヤとどんだけ一緒にいると思ってんの? 最近マジでおかしいって気づくわ。てか、ぶっちゃけ責任感じるし。ライブ見てからじゃん、そのモード入ったの」
「それは……」
「だから決めたわ」
「……は?」
「アヤが満足するまで、アタシも乗っかる。自分の機材買うとか逆立ちしても無理だけど、ドラムなら別にところにあるやつ叩けば解決だし」
――そんな会話の飛躍は、さすがの私も想定外だった。




