第七話 慰霊広場で見たその姿
探知した魔力の反応は、こちらが近づいても動き出す様子がなかった。
ただ、待ち構えている。よほど、自分の力に自信があるのだろうか。
慰霊広場へ続く道には、複数の兵士の死体が転がっていた。鎧は砕かれ、石畳には黒ずんだ血が広がっている。
折れた剣や槍が無造作に散乱し、辺りには血と焦げた肉の匂いが漂っていた。ほとんど、こいつがやったのだろう。
シエンは周囲を警戒しながら、広場へ足を踏み入れた。
かつて整然と並んでいた慰霊碑の周囲は、無残に踏み荒らされていた。手入れされた芝は所々で剥がれ、花壇の土も散らばっている。
昨日までは、小鳥のさえずりが聞こえる静かな場所だった。だが、今は何も聞こえない。
そして、居た。広場の中央に佇む、人型の異形。
肉体は紺色の鱗で覆われ、背後には竜を思わせる巨大な尻尾が伸びていた。頭部には角のような触角が二本生えており、黒い眼球の中央には、黄金色の瞳が宿っている。
人に似た輪郭を持ちながら、その姿は明らかに人間のものではなかった。
異形はこちらへ顔を向けると、口元を歪めた。
「やっと来たか」
楽しそうな声だった。女のような声色だが、どこか人間離れした響きがある。
「お前を殺せば、ほとんどこっちの勝ちだというのに、のこのこやってくるとは。間抜けか?貴様は」
「…………」
シエンは答えなかった。目の前の異形から、途方もない魔力が感じられる。
先ほど戦った魔物たちとは、比較にならないほどの濃密さだった。
——魔王。しづの説明が正しければ、目の前にいるのがその存在なのだろう。
異形は、シエンが黙っていることなど気にする様子もなく、さらに話を続けた。
「そうそう。この国を手始めに支配しようと思ったのじゃが、近くに勇者めがいるではないか。撒くのに苦労したわ」
どうやら、一人語りが好きな性格らしい。シエンは口を挟まず、その様子を観察していた。
魔王は巨大な尻尾をゆっくりと揺らしながら、何かを考えるように顎へ指を添えた。
「ふむ。これで終わりと言うのも、なんとも面白くないのう」
黄金の瞳が、こちらを捉えた。
「そうじゃ。貴様、我の傘下に下らんか。それなりに腕が立つようじゃし」
魔王は、さも名案を思いついたかのように笑った。
「心配は要らぬ。簡単な契りを交わせば、貴様も魔族の仲間入りができる」
そう言って、改めてこちらへ向き直った。
この魔王は、裁定者に関するルールをよく知っているようだった。
だから、少し喋らせた。だが、これ以上は有益な情報も得られそうにない。
「それだけか」
「はえ?」
魔王から、少し間抜けな声が漏れた。一言だけでは、理解できなかったらしい。
シエンは、もう一度繰り返した。
「言いたいことは、それだけか」
その瞬間、魔王の表情が変わった。
先ほどまで浮かべていた余裕のある笑みが消え、黄金の瞳が鋭く細められる。背後で揺れていた尻尾が、ぴたりと止まった。
『馬鹿にするのも大概にしろ、ニンゲン』
声が響いた。だが、魔王の口は動いていない。
直接、頭の内側へ言葉が流れ込んでくる。「念波」というものだろう。
空気が震えるような圧迫感とともに、魔王の全身から魔力が溢れ出した。紺色の鱗が鈍く光り、両手の爪が音もなく伸びていく。
次の瞬間、魔王の姿が視界から消えた。速い。横合いから鋭利な爪が迫る。
シエンは僅かに身体を傾け、その一撃を躱した。続けて繰り出されたもう片方の腕も、剣の腹で軌道を逸らす。
魔王の攻撃は速く、連続していた。だが、すべて対処できる。
爪が頬のすぐ傍を通り過ぎた瞬間、シエンは踏み込んだ。銀色の柄を握る手に力を込め、剣を振り抜く。
硬いものを断つ手応えがあった。魔王の片腕が、宙を舞った。
切断された腕が地面に落ち、遅れて紺色の鱗を纏った身体からどす黒い体液が散る。
「ぐぬ……!」
魔王は苦しげな声を漏らし、大きく距離を取った。だが、これで終わるわけではないだろう。
切断面から、すでに魔力が漏れ出していた。
肉が蠢き、傷口を覆うように新たな組織が形成され始めている。骨らしきものが伸び、その周囲へ筋肉と鱗が次々と生まれていった。
再生能力か。厄介な相手だった。だが、再生の隙を与えるつもりはない。
シエンは迷わず距離を詰めた。
魔王は残された腕を突き出し、迎撃しようとしたが、その動きよりも剣の方が速かった。
「クッ……!」
防御に使ったもう片方の腕も、肘の辺りから斬り落とした。だが、最初に切断した腕は、すでに再生を終えていた。
新しく生えた腕が持ち上がる。その手元に、冷気が集まった。
空気中の水分が凍りつき、鋭い氷の槍が形作られていく。直後、氷の槍が放たれた。
シエンは身を翻してそれを躱した。
背後で、氷が石畳に突き刺さる音が響く。砕けた氷片が周囲に散り、地面を白く染めた。
「厄介だな」
そう呟きながら、七歩ほど距離を取った。
斬り落としたばかりのもう片方の腕も、再生を始めている。
このまま四肢を斬り続けても、いずれ元に戻ってしまうのだろう。
魔王は荒い息を吐きながら、こちらを睨みつけていた。先ほどまでの余裕は、もはや見当たらない。
「き……貴様、それでも人間か!」
どういう意味だろうか。人外に人間性をどうこう言われる筋合いはない。
それに、これ以上会話を交わすつもりもなかった。
相手の弱点は、まだよく分からない。だが、おおよその生物は首を落とせば死ぬ。
再生能力を持つ魔王にも通用するかどうかは不明だが、試す価値はあるだろう。
シエンは剣を構え直し、魔王の首元へ狙いを定めた、そのとき。
近くから、金属が擦れ合う音が聞こえた。
複数の足音。帝国軍の鎧が立てる、聞き慣れた音だった。
どうやら、兵士たちが広場へ入ってきたらしい。
その音に気づいた魔王が、ニヤリと笑った。視線が、シエンの背後へ向けられる。——まずい。
「こっちに来るな!」
シエンは叫んだ。だが、すでに遅かった。
魔王の再生した腕が、兵士たちの方角へ伸びていた。
その手元で冷気が渦巻き、先ほどよりも鋭い氷の槍が形作られる。狙いは兵士だった。
シエンは瞬時に距離と位置を測った。
今から兵士たちのもとへ向かい、すべての攻撃を防ぐのは難しい。
帝国製の鎧の防御力を信じた。魔王の手元から、氷の槍が放たれる。
ほぼ同時に、シエンは地面を蹴った。魔王との距離が、一瞬で縮まる。
伸ばされた腕の内側へ入り込み、身体を傾けながら剣を振り抜いた。
刃が、魔王の首を捉える。硬い鱗を断ち、その奥にある肉と骨を斬り裂いた。
手元に感じた抵抗は、ほとんどなかった。そのまま、人外の首を斬り落とした。
——呆気なかった。
切り離された頭部が宙を舞い、重い塊となって地面に落ちる。鈍い音が響いた。
そして、立っていた身体も均衡を失い、ゆっくりと倒れ込んだ。石畳に鱗が擦れ、巨大な尻尾が地面を打つ。
シエンは息を吐いた。剣を握ったまま、倒れた魔王の身体を見下ろしていた。




