第八話 一度倒したが、倒しきれていなかった
「だから言っただろ! あまり前に出るなって!」
「し、仕方ないだろ! あんなものが飛んでくるなんて、思わなかったんだよ!」
兵士たちの声が聞こえた。
振り返ると、一人の兵士が、もう一人の肩を支えていた。どちらも若い兵士で、見覚えのある顔だった。
一方は鎧の一部が凍りつき、腕まで氷が張りついている。どうやら、先ほど魔王が放った氷の槍をまともに受けたらしい。
それでも、命に別状はなさそうだった。帝国製の鎧は、期待どおりの働きをしてくれたようだ。
新たな犠牲者を出さずに済んだ。シエンは安堵の息を漏らし、再び魔王の方へ視線を戻した。
そして、気づいた。——先ほど斬り落としたはずの首が、どこにもない。それどころか、倒れた身体までもが消えていた。
「周囲を警戒しろ」
兵士たちに告げる。凍りついた鎧から、ぱきりと氷片が剥がれ落ちた。
「えっ?」
「まだ終わっていない」
シエンは剣を握り直し、魔力探知を行った。広場の周囲に、複数の反応があった。——四体。
姿は見えない。だが、確かに存在している。
四つの魔力が、こちらを取り囲むように配置されていた。いずれも、先ほどの魔王と酷似した反応を示している。
分裂体だろうか。あるいは、すべてが本体なのか。今、判別は難しい。不用意に動けば、背後にいる兵士たちを危険に晒すことになる。
シエンはその場で足を止め、魔力の動きを探った。
兵士たちの呼吸が聞こえる。緊張を押し殺そうとしているのか、どちらも息が浅く、速かった。
——無理もない。シエンも、魔族を実際に見たのは初めてだった。
魔族、か。「魔物」とは、何が違うのだろうか。
この世界には、もともと存在しないとされていた種族だ。古い伝承には幾度となく登場するものの、その実在を確かめた者はいない。
少なくとも、これまでのシエンはそう認識していた。
そして、伝承によれば、魔族は人間とは比較にならない生命力を持つという。
なるほど。首を斬り落としても生きているのであれば、その記述も間違いではなかったらしい。
魔力の流れ自体は、人間や魔物と大きく変わらない。ただ、その量と密度が異常だった。
斬撃で肉体を破壊しても、再生してしまう。おそらく、身体のどこかに核のようなものがあるのだろう。
だが、それがどこに存在するのか、今はまだ分からない。
時間を掛ければ掛けるほど、犠牲者が増える恐れがある。それに、長期戦となれば、こちらの集中力も削がれていく。
早めに決着をつけたいところだった。見た目や魔力の性質は、闇属性の魔物に近い。伝承では、魔族には光属性の攻撃が有効とされている。
生憎だが、シエンが扱える光属性魔法は初歩的なものだけだった。あの再生能力を打ち破るほどの威力は期待できない。
ならば、別の方法を試すしかない。魔王は、先ほど氷の槍を放っていた。
氷を操るのであれば、火属性が有効な可能性はある。たとえ弱点でなかったとしても、高出力の魔力を叩き込めば、相応の損傷は与えられるはずだ。
シエンは、周囲の魔力反応を改めて確認した。四体とも、動く気配がない。こちらの出方を窺っているらしい。
そのときだった。瓦礫の陰から、赤黒いものが飛び出した。
先ほどから街中を徘徊していた、狼型の魔物だった。どうやら、近くに潜んでいたらしい。
鋭い爪を伸ばし、兵士へ飛びかかる。シエンは即座に踏み込んだ。
分裂体へ意識を向けていたが、この程度なら充分に対処できる。
剣を振り下ろす。魔物の身体は縦に裂け、どす黒い体液を撒き散らしながら地面へ転がった。
「す、すげえ……」
兵士が呟いた。感心している場合ではない。
その兵士は、魔物の体液をまともに浴びていた。鎧から顔に至るまで、黒い液体が飛び散っている。
毒性があるかどうかも分からない。もっとも、今は気にしている余裕がなかった。
周囲の魔力が、一斉に動き始めたからだ。
それぞれ異なる方向から姿を現した。どれも、先ほど首を斬り落とした魔王と同じ姿をしている。
紺色の鱗に、黄金の瞳。こちらを取り囲むようにぴったりと動きを合わせ、距離を詰めてくる。
人を守りながら四体を相手にするのは、さすがに難しい。
——とでも、思っているのだろう。
シエンは剣を構えたまま、動かなかった。四体の魔王が、さらに距離を詰める。
それぞれの爪が伸び、周囲には冷気が漂い始めていた。——あと少し。
そして、四体すべてが、狙っていた範囲へ足を踏み入れた。シエンは片手を地面へ向けた。
「《 炎 環 列 柱 》」
短い詠唱とともに、魔力が地面を走った。直後、四本の炎柱が一斉に噴き上がった。
凄まじい熱が広場を包み、周囲の空気を激しく揺らす。炎は四体の魔王を、それぞれ逃がさぬように取り囲んでいた。
『ギィアアアアアッ!』
断末魔のような悲鳴が重なった。
紺色の鱗が熱に晒され、次々と剥がれ落ちていく。炎柱の内部では、人型の影が苦しげに身を捩っていた。
詠唱を短縮した分、威力は多少落ちている。だが、これだけの熱量を浴びせれば、生命力も相応に削れるはずだった。
兵士たちは、呆然と炎柱を見上げていた。
「付いてこい」
シエンは短く声を掛けた。兵士たちが我に返り、慌てて後に続く。
炎に閉じ込められた四体の包囲を抜け、シエンは距離を取った。
振り返る。炎柱が徐々に弱まり、赤く照らされていた広場に、再び薄暗い煙が漂い始めた。
四体のうち、三体は姿を消していた。残されたのは、一体だけ。
どうやら、こいつが本体らしい。だが、その姿は、先ほどまでとは大きく変わっていた。
紺色の鱗は部分的に失われ、代わりに人間のような白い肌が露出している。
長い黒髪が肩から背中へ流れ、顔立ちも人間の女性に近いものとなっていた。
まだ鱗の残る部分はあるものの、先ほどの異形とは随分と印象が異なる。
若い女性に擬態したつもりなのだろうか。何とも浅ましい。
女を模った異形が、こちらを見た。怯えたような表情だった。
「こ、ころすと言うのか!」
人の声だった。先ほどまでの、獣じみた響きはない。
まるで、普通の女性が命乞いをしているかのようだった。
だが、シエンは答えなかった。会話をするつもりはない。
人間を殺しておきながら、よくそんな台詞が吐けるものだ。
シエンは手のひらを魔王へ向けた。
大技を使えば確実性は高まるだろうが、詠唱に時間が掛かる。その間に逃げ回られる可能性もあった。
ならば、詠唱は必要ない。手のひらに魔力を集中させる。そして、放った。
圧縮された炎が、女の身体を打った。
「ぎゃああああああっ!」
甲高い悲鳴が響く。だが、シエンは構わず次の炎を放った。
一発、二発、三発。間を置かずに炎弾を叩き込む。
無詠唱では、複雑な術式を扱うことは難しい。それでも、魔力を炎へ変えて放つ程度なら問題なかった。
女の身体が炎に包まれる。紺色の鱗が焼け落ち、露出した白い肌が黒へ色を変えていく。
そのたびに、人間の女性と変わらない声で悲鳴を上げた。精神を抉る狙いなのだろうか。
だが、こうした声は、戦場で既に聞き慣れていた。相手は人外。何も感じない。
シエンは淡々と魔力を放ち続けた。やがて、悲鳴が途絶えた。
燃え盛る炎の中で、女の身体が崩れ落ちる。それきり、動かなくなった。




