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第九話 終 焉

 残されたのは、黒く焼け焦げた肉体だった。兵士たちも、何も言わなかった。

 先ほどまで人の言葉を話していた存在が、目の前で焼かれている。


 それをどう受け止めているのかは分からない。

 ただ、辺りには肉が焼ける臭いが漂っていた。


 シエンは手を下ろした。今度こそ、終わったのだろうか。

 念のため、魔力探知で確認しておく必要がある。そう考えた、そのときだった。


 背後で、小さな物音がした。誰かが石畳を踏んだような音。兵士たちとは、違う方角だった。

 シエンは振り返り、そして、見た。

「……キア?」


 そこに居たのは、白銀色の髪をした少女だった。紫色の大きな瞳が、見開かれている。

 ——どうして、ここに。


 リリアに預けたはずだった。キアは何も言わず、ただ、シエンの向こう側にある焼け焦げた身体を、じっと見つめていた。

 顔色が悪く、唇が僅かに震えている。

 そして、身体から力が抜けたように、その場へへたり込んだ。


 当然の反応だった。まだ幼い少女に、こんなものを見せるべきではない。

 まして、目の前で人間の女性のような姿をした相手が、炎に焼かれていく光景など。


 一番、見せてはいけないものだろう——。胸の奥が、僅かに締めつけられた。

 キアは、シエンを見上げていた。その瞳に何が映っているのか、わからなかった。


『ようやく、隙を見せたな』


 声がした。その瞬間、腹部に熱を感じた。

 何かが、身体を貫いていた。視線を下ろす。腹から、鋭く尖ったものが突き出している。


 竜の尾のような形。先端は巨大な槍の穂先のように鋭く、腹部を背後から貫通していた。

 尾が乱暴に引き抜かれた。身体の奥で、何かが裂ける感覚があった。

 遅れて、激痛が走った。


「……ッ!」

 息が詰まる。足元から力が抜け、身体が傾いた。

 シエンは片膝をつき、地面へ手を伸ばした。何とか倒れるのを堪えたものの、手元が震えていた。


 指先に力が入らない。腹部から、生温かいものが溢れ出している。

 傷口を押さえようとしたが、手の中には収まりきらない。

 石畳に、赤が広がっていった。呼吸を整えようとしても、思うように空気が入ってこない。


 兵士たちの鎧が鳴る音が聞こえた。誰かが叫んでいる。

 だが、何を言っているのか、うまく聞き取れなかった。


 ……駄目だ。このままでは、全員殺される。


 身体を動かそうとすると、腹の奥が焼けるように痛んだ。出血量が多い。そう長く動けないだろう。

 ならば、残された手段は一つだった。シエンは詠唱を始めた。


「万象に宿る火よ。始原より燃え続ける不滅の焔よ——」


 言葉を紡ぐたびに、身体の内側から魔力が引き出されていく。

 出血が止まらない。手足の感覚も、徐々に鈍くなっていた。それでも詠唱を続ける。


「——散りゆく熱を束ね、荒れ狂う炎を鎮め、その力を我が掌中に収めよ」


 地面についた手に力を込め、何とか身体を起こした。

 前方では、一人の兵士が血まみれになりながら、何かに立ち向かっていた。もう一人は、すでに地面へ倒れている。息があるのかどうかは、分からない。

 視界が揺れた。何度も焦点が外れ、目の前の景色がぼやけていく。それでも、詠唱を止めるわけにはいかなかった。


「拡散を許さず、消滅を拒み、幾千の灼熱をただ一点へと凝縮せよ」


 魔力が、翳した手のひらへ集まっていく。周囲の空気が熱を帯び、揺らぎ始めた。

 小さな炎が生まれる。それは次第に密度を増し、眩い光を放つ球体へと姿を変えていった。

 魔力を、さらに注ぎ込む。手のひらの前に浮かぶ炎の核が、激しく脈動した。周囲の熱が、その一点へ吸い込まれていく。

 視界が、狭まっていた。意識を保つことさえ難しい。それでも、詠唱は途切れなかった。


「あらゆる生の営みに終止符を打ち、——避け得ぬ終焉をここに示せ」


 最後の言葉を紡ぐ。凝縮された炎が、一際強い輝きを放った。


「《 終 焉 炎 核(イグニス・フィニス) 》——」


 術式が完成した。翳した掌から、炎の核が解き放たれる。——その瞬間だった。


『気が合うな』

 直接、頭の中へ流れ込んできた声だった。


 シエンは、別の熱源を感じた。《終焉炎核(イグニス・フィニス)》とは異なる、強大な火属性の魔力。

 視線を上げた。そこに、異形の身体があった。


 首から上は見当たらず、鱗の色が変わっている。紺色だった鱗は、燃えるような赤へと変じていた。

 背後には、巨大な竜の尾が伸びている。その先端から、赤黒い血が滴っていたのが見えた。


 頭部を失っているにもかかわらず、その身体は動いていた。そして、片腕をこちらへ向けている。

 翳された手のひらには、火のように赤い魔素が集まっていた。

 それは渦を巻きながら凝縮され、《終焉炎核》にも劣らないほどの熱量を帯びていた。


 どうやら、選択を間違えたらしい。


 シエンが放った炎の核と、魔王の手元から解き放たれた赤い核炎。二つの魔術が、互いに向かって突き進む。

 時間が、ゆっくりと流れているように感じた——。眩い光が視界を埋めていく。

 すぐ後ろから、少女の声が聞こえた気がした。何か言葉を発していた。だが、その声を聞き取ることはできない。


 二つの炎の力が込められた圧縮体が、衝突した。凄まじい轟音とともに、膨大な熱と光が広場を呑み込んでいく。

 そこで、シエンの意識は一度途切れた。

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