第六話 本日のおすすめ
第六話 本日のおすすめ
「そっちを持て」
「持っています」
「寝るな」
「起きています」
言った直後に、板の角を柱へぶつけた。
大工の親父が、俺の顔を見た。
「いつから起きてる」
「昨日の朝からです」
「板を置け」
今度は、逆らわなかった。
二人で板を壁へ立て掛けると、親父は俺を梯子から遠ざけた。
「下で釘を分けとけ。短いのと長いのだ」
「そのくらいなら」
「そのくらいにしとけ」
俺は箱を抱えて、裏庭の丸太へ座った。
頭上で、屋根を歩く音がする。
短い釘。長い釘。曲がった釘。
曲がったものを別にしていると、屋根から声が降ってきた。
「捨てるなよ。直して使う」
「釘まで直すんですか」
「曲がっただけで捨ててたら、お前の金じゃ足りん」
俺は曲がった釘を、丁寧に揃え直した。
*
屋根は、一度には直らなかった。
傷んだ板を何枚か取り替え、浮いたところを打ち直す。それでも奥の二部屋は、天井と壁が水を吸っていた。
「こっちは乾かしてからだ。窓を開けとけ」
親父が三号室の壁を指で押した。
俺が同じことをしようとすると、手を払われた。
「穴を増やすな」
「まだ押していません」
「押す顔だった」
一号室は、壁際に置いていた寝具が湿っていた。
結局、今夜も確実に使えるのは二号室だった。
昨日と同じだ。
ただ、廊下へ置く桶は一つに減った。
「雨が降るまでは、念のため置いとけ」
「ほかの二つは?」
「お前の好きに使え」
俺は洗濯物の山を見た。
使い道には困らなかった。
親父は昼前に道具をまとめた。
残りの材料と手間を書いた紙を渡される。
数字を一つずつ追っているうちに、急に目が覚めた。
「これは、全部必要なんですか」
「安く済ませるなら、先に屋根へ上がって自分で見てみるか」
「必要ですね」
紙は、帳簿の間へ挟んだ。
見なかったことにしても、雨は遠慮してくれない。
*
二号室に乾いたシーツを掛け、外した足元の板を戻した。
留め具を回す。
昨夜、床へ落ちたそれを、レオンが拾ってくれた。
もう橋を渡っただろうか。
窓からは森の入り口が見えたが、人影はなかった。
しばらく見てから、俺はカーテンを整えた。
今朝出た客を、窓の前で待ち続けるわけにはいかない。
洗濯を済ませ、玄関に『御用の方は鐘を鳴らしてください』と札を出した。
帳場の裏には、俺が使っている小さな部屋がある。
靴を脱いで寝台へ腰を下ろした。
横になる前に、顔だけ洗おうと思った。
次に目を開けたとき、窓の光が床の反対側にあった。
慌てて立ち上がり、裸足で玄関まで行った。
誰もいない。
扉も閉まっている。
鐘を鳴らされたのに寝ていたのでは、と考えて、外をのぞいた。
向かいの粉屋のおばさんと目が合った。
「起きたかい」
「誰か来ませんでした?」
「鶏が一羽」
「お客様は」
「その鶏しか見てないね」
俺は玄関の柱へ手をついた。
ひとまず、助かったらしい。
「ついでに、うちの皿を返しとくれ」
おばさんが言った。
「皿?」
「入口の横」
足元を見ると、布を掛けた皿が置いてあった。
中には卵が四つあった。
「鶏が泊まり賃を?」
「昨日頼んだろ。爺さんの置いてった仕入れの紙、あんたが持ってきたじゃないか」
そうだった。
あの紙には、芋と豆と燻製肉のほかに、卵も書いてあった。
「お代も、頂いてるからね」
「そこは覚えています」
「肝心なほうを忘れたね」
俺は皿を持ち上げた。
卵は割れていなかった。
*
目は覚めたが、昼を食べ損ねていた。
台所で芋を二つ洗い、皮をむいた。
昨日の煮込みは朝で食べきった。燻製肉も、二人の朝食へ挟んだぶんで残り少ない。
同じ鍋を作るなら、肉の捜索が必要になる。
俺は芋を細く刻んだ。
少しの塩と粉をまぶし、油を薄く引いた鉄鍋へ広げる。
じゅう、と音がした。
木べらで丸くまとめ、押さえる。
実家の厨房で、昼の賄いに作っていたものだ。忙しいときは大きく焼いて切り分け、立ったまま食べた。
こちらの芋でもできるだろうと思った。
一枚目は、裏返すときに三つに分かれた。
俺は三つとも、自分の皿へ取った。
表面は香ばしかったが、真ん中が少し硬い。
二枚目は火を弱め、しばらく蓋をした。
縁が色づくまで待ってから、木べらを差し込む。
今度は、丸いまま返った。
卵を一つ、隣へ落とした。
白身が固まるあいだに、粉屋の皿を洗う。
乾いた布で拭いていると、裏口から声がした。
「いい匂いがするね」
おばさんだった。
「お皿、今お返ししようと」
「急いでないよ。何を焼いてるんだい」
「芋です。お一つ、味を見てもらえますか」
丸く焼けたほうを半分に切り、返す皿へ載せた。
おばさんは端を割り、息を吹きかけた。
薄いところが、ぱり、と鳴った。
「うん。塩がもう少しあってもいいね」
「なるほど」
「あと、私に一つくれる気なら、どうして半分なんだい」
「半分でも、形としては一つです」
おばさんが俺を見た。
俺は残りの半分も載せた。
「こちらも、どうぞ」
「ありがとうよ」
あっさり持っていかれた。
俺の皿には、割れた一枚目と、焼いた卵が残った。
黄身を崩し、芋の欠片につけて食べる。
これなら、少し硬いところも気にならない。
今夜の献立にしようと思った。
注文を受けてから焼けば、昨日のように六人前の鍋を抱えずに済む。
卵をつけるかどうかも、聞ける。
俺は帳場へ紙を取りに行った。
*
食堂の入口へ、献立を書いた紙を掛けた。
『本日の夕食 芋の香ばし焼きと豆の汁物』
その下に、小さく書き足す。
『卵つきは銅貨一枚追加』
宿泊代に含む夕食と、追加で頼めるものは、分けておいたほうが分かりやすい。
焼きたての匂いがするうちに客が来ればよかったのだが、玄関は静かだった。
俺は帳簿を開いた。
今日の欄には、まだ何も書かれていない。
昨日は、何も書いていないところへ二人来た。
今日は、何も書いていないまま終わるかもしれない。
どちらも困る。
別の紙を出し、線を引いた。
日付。名前。人数。部屋。食事。
今後、予約を受けたら必ず書く。
最後に、『変更があったら連絡』と添えた。
バルトさんに見せるつもりだったが、帰る頃には、言いたいことを全部書くと一冊になりそうだった。
ペンを置いたところで、玄関の鐘が鳴った。
椅子から立つ。
今度は眠気もなく、足ももつれなかった。
「いらっしゃいませ」
戸口に、白い髪の老人が立っていた。
濃い緑の外套に、革の肩掛け鞄。片手には杖を持っている。
腰に剣はあったが、旅の道具として長く使われてきたような、飾りの少ない鞘だった。
老人は扉を閉め、外の看板を確かめるように振り向いた。
「バルトは、留守かな」
「はい。私が預かっています。ワタルと申します」
「そうか。私はオルセだ。今夜、泊まれるだろうか」
「二号室でしたら、ご用意できます」
老人の顔が、少し緩んだ。
「それはよかった。あの部屋がいい」
「お泊まりになったことが?」
「春に一度、寄ることにしている」
俺は宿帳を差し出した。
老人は杖を帳場へ預け、名前を書いた。
オルセ。
一つ一つ、ゆっくりとした字だった。
「一泊、夕食と朝食つきで、お一人銀貨一枚です」
「二人分、お願いしたい」
俺は玄関へ目を向けた。
外には、誰もいなかった。
「お連れ様は、後からいらっしゃいますか」
オルセは財布から銀貨を二枚出した。
帳場の上へ、並べて置く。
「寝台も、二つとも使えるようにしておいてくれると助かる」
「はい。整えてあります」
「ありがとう」
老人は食堂の献立へ目をやった。
「芋の香ばし焼き、か」
「焼きたてをお出しします。卵をつけることもできますが」
「では、片方にだけ」
「承知しました」
俺は、作ったばかりの紙へ書き込んだ。
二号室。二名分。夕食、卵一つ。
オルセは杖を取り、階段の前で待っていた。
俺は鍵を持ち、帳場を出た。
誰を待っているのかは、聞きそびれたままだった。




