↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/7

第五話 朝食はお持ち帰りで

第五話 朝食はお持ち帰りで


 地図を広げると、ヴァルドが指を置いた。


「この丸は何だ」


「粉屋です」


「こちらは」


「石鹸を高く売る店です」


 魔王の指が止まった。


「道以外の情報が多いな」


「買い出し用ですので」


 レオンは笑わなかった。


 街道から分かれ、宿の裏を通って森へ入る線を見ていた。


「この道は、どこへ出る」


「炭焼き小屋を通って、川へ出ます。歩いて半刻ほどです。その先に、人が一人ずつ渡れる橋があります」


「馬は?」


「無理です。途中に階段もあります」


 薪が届かなかった日に、俺は一度、その道を歩いた。


 空の背負い籠を持って行き、帰りには半分だけ薪を入れてもらった。それでも二度休んだので、距離より坂のことをよく覚えている。


 ヴァルドが地図を回した。


「橋を渡れば、西へ抜けられるのか」


「そこまでは行っていません。炭焼きの方は、街へ出る道につながると」


「西か」


 レオンがつぶやいた。


 俺は彼を見た。


「行きたい場所はありますか」


 返事は、少し考えてからだった。


「西の街に、知っている医者がいる。前は、俺たちの部隊にいた」


「診てもらえそうですか」


「ああ。あの人なら、駄目なときは駄目だと言う」


 レオンは包帯の巻かれた手首を見た。


「そのせいで、軍を辞めた人だ」


 俺は地図の端に、西の街、と書いた。


 ようやく行き先ができた。


「ここを出て、その人のところへ行くんですね」


「ああ」


「では、迎えの方にも、そう伝えましょう」


 レオンが顔を上げた。


「道を教えるのか」


「道順ではなく、行き先と、ご自分で決めたということを。いなくなっただけだと、あの方たちは、ずっと捜すでしょうから」


「伝えたところで、追ってくる」


「来るかもしれません」


 俺は答えた。


 あの三人を、言葉だけで帰せるとは思っていなかった。


「でも、今夜は戻らないとしか伝えていません。明日、どうしたいのかは、まだ聞いてもらっていません」


 ペンと紙を出した。


 レオンはしばらく、紙を見ていた。


 やがてペンを取った。


     *


 手紙は短かった。


 負傷の診察を受けるため、西の街へ向かうこと。


 次の出発には加われないこと。


 誰かに連れ去られたのではなく、自分の意思で宿を出ること。


 医者の名を書いたあと、レオンの手が止まった。


「隊にも、伝わるだろうか」


「もう一通、書きますか」


 俺が紙を出すと、彼は受け取った。


 今度の手紙は、最初より時間がかかった。


 途中で一度、顔を上げた。


「俺がいなければ、別の誰かが前に出る」


 何と答えればいいのか分からなかった。


 俺は戦場を知らない。


 休めばいいと簡単に言えるのは、代わりに出る人の顔を知らないからかもしれなかった。


 ヴァルドが地図から目を上げた。


「今のお前は、どのくらい剣を持てる」


 レオンは答えなかった。


「帳場で俺を斬ろうとしたあと、その手を隠していたな」


「見ていたのか」


「目の前にいた」


 レオンは左手を開いた。


 閉じる。


 親指だけが、少し遅れた。


「……長くは持たない」


「それも書け。来ると思って待たせるよりはいい」


 レオンは魔王を見た。


 何か言い返しかけて、やめた。


 紙へ向き直る。


 俺はランプの芯を少し上げた。


 二通を書き終え、名前を記した頃には、外の雨がやんでいた。


「これを預かります」


 紙を乾かしながら、俺は言った。


「出発までは、寝てください」


 レオンが玄関を見た。


「見張りなら、俺も――」


「階段の灯りはつけておきます。何かあれば呼びます」


「お前は」


「朝食の支度があります」


 普段より、だいぶ早い支度になる。


 それでも、やることが決まっているのはありがたかった。


 ヴァルドが地図を持って立った。


「俺もこの道を使う」


 レオンが眉を寄せる。


「ついてくる気か」


「街道に出れば、俺も見つかる」


 角に触れて、魔王は言った。


「説明するのが面倒だ」


 あの三人が勇者を迎えに来て、魔王を見つける。


 面倒という言葉で足りるのかは、分からなかった。


「俺を追ってくるかもしれないぞ」


「そのときは、そのときだ。少なくとも、お前は今、走れん」


 レオンの顔が険しくなった。


 俺は二人の間から地図を取り、折り目をつけた。


「渡る橋は細いそうです。一人ずつでお願いします」


     *


 夜明け前に、パンが届いた。


 裏口を叩いたのは、いつものパン屋の娘だった。


 籠を受け取ると、まだ布越しに温かかった。


「表に馬がいるよ」


「ええ」


「粉屋のおばさん、怒ってた。戸を開けるところに繋ぐなって」


 俺は思わず、表のほうを見た。


 こちらは一晩、鍵を握ったり地図を広げたりしていた。


 粉屋はもう、いつもの朝を始めていた。


「お客さん?」


「お迎えだそうです」


「朝から大変だね」


 娘は空の籠を受け取り、次の家へ向かった。


 俺は戸口から外を確かめた。


 裏庭には誰も見えなかった。井戸と薪置き場の向こうで、森へ続く道が白く明るみ始めている。


 見えないところまでは、分からない。


 部屋へ二人を起こしに行くと、レオンは眠っていた。


 窓側の寝台で、横向きになっていた。剣は手の届くところにあったが、握ってはいなかった。


 ヴァルドは先に起きて、靴を履いていた。


 俺が声をかけようとすると、彼は片手を上げた。


「湯を使う。そちらが済んでからでいい」


 俺はうなずき、扉をそっと閉めた。


 台所へ戻ってパンを割る。


 薄く削った硬いチーズと、温めた燻製肉を挟んだ。煮込みと違って、歩きながらでも食べられる。


 芋も添えたかったが、包みが崩れそうだったのでやめた。


 食事を用意して戻る頃には、レオンは起きていた。


 寝台の端に座り、片手で髪を押さえている。


「……寝ていた」


「はい」


「誰か来たか」


「パン屋さんが」


 レオンはしばらく俺を見て、それから長く息を吐いた。


 眠る前より、声が低くなっていた。


     *


 二人の荷物は少なかった。


 ヴァルドは革鞄一つ。


 レオンは外套と剣、それから宿へ来たときから胸元に入れていたものだけだった。


 俺は台所の卓上に、朝食の包みを二つ置いた。


「紐が二重のほうが、ヴァルドさんです。そちらは肉が少し多めです」


「なぜだ」


 レオンが尋ねた。


「追加でご注文いただきました」


 ヴァルドが包みを取った。


「頼めば増えるのだ」


「今、増やせますかと言われても、もうありませんよ」


 レオンは自分の包みを持ち、重さを確かめるように手のひらへ載せた。


「十分だ」


 俺は地図をヴァルドに渡した。


「炭焼き小屋の先で二つに分かれます。右は薪を運び出す場所ですから、左へ」


「橋までは、お前が歩いた道だな」


「はい。その先は、炭焼きの方に聞いただけです」


「分かった」


 レオンが地図をのぞき込んだ。


「西へ出たら、道は分かる」


「では、そこから頼む」


 そのやり取りは、驚くほど普通だった。


 俺は裏口の鍵を外した。


 途端に、冷えた空気が足元を流れた。


 薪置き場まで出たヴァルドが、左右を確かめた。


 レオンも続こうとして、立ち止まる。


 二階から、鐘の音がした。


 一つ。


 間を置いて、もう一つ。


 小さな音なのに、台所まではっきり届いた。


 朝六つ刻。


 レオンの目が、ヴァルドへ動いた。


 魔王も、その音を聞いていた。


 最後の一つが鳴り終わった。


 レオンの右手が、剣の近くにあった。


 俺は何も言えなかった。


 ヴァルドが、地図を差し出した。


「橋を渡ったら、お前に返す。先にしまっておけ」


 レオンは地図を受け取らなかった。


「……西の道に出るまでだ」


「ああ」


「その先は、別々に行く」


「好きにしろ」


 レオンの手が、剣から離れた。


 地図を受け取り、外套の内側へしまう。


 俺はようやく息をした。


「手紙は、出てから少し置いて渡します」


 レオンがうなずいた。


「宿に迷惑がかかったら」


「そのときは、次に来たときに聞いてください」


 解決しているとは限らない。


 でも、玄関の前で続きを心配していても、道は空かない。


「忘れ物を確かめますので、部屋もそのままにしておきます」


「忘れるほど持っていない」


「そういう方も、忘れます」


 レオンは自分の包みを持ち直した。


 ヴァルドは一足先に、森の入り口へ向かっていた。


 その背中を見てから、レオンが尋ねた。


「朝食を部屋へ運ぶと、銅貨一枚だったな」


「はい」


「包むのは?」


「今回は、宿泊代に含めます」


「今回は、か」


「包むばかりになると、布が足りなくなりますので」


 レオンが少し笑った。


「返しに来る」


 そう言って、裏庭へ下りた。


 少し先で、魔王が振り返った。


「宿主。パンは、昨夜よりよかった」


「まだ食べないでください。歩き始めたばかりでしょう」


 ヴァルドは半分になったパンを包みへ戻した。


 レオンが何か言った。


 魔王が肩をすくめる。


 二人は並ばず、少し間を空けて森へ入っていった。


 枝が揺れなくなるまで、俺は裏口に立っていた。


     *


 表へ出ると、粉屋の前でエルガーが馬具を直していた。


 粉屋の戸口は、空いていた。


 俺を見て、男が歩いてくる。


「出発の支度はできたか」


 俺は二通の手紙を差し出した。


「お預かりしました」


 エルガーは俺の手元を見た。


 封を開け、読み始める。


 二通目まで読み終えたとき、顔が上がった。


「どこから出した」


「もう、宿は発たれました」


 男の後ろで、護衛が馬へ向かった。


「いつだ」


 俺は答えなかった。


 エルガーは宿の脇へ目をやり、森を見た。


「西へ抜けたのか」


 その言葉にも、答えられなかった。


 嘘をうまくつく自信はなかった。


「怪我をしていると言ったはずだ」


「はい。お医者さんに診てもらうと、ご本人が決めました」


「我々が運ぶこともできた」


「昨夜、そう言っていただければ、ご本人に確認できました」


 言い終えてから、腹の底が冷えた。


 男の手の中で、紙がわずかに曲がった。


 俺は両手を前で重ねた。


 エルガーはもう一度、レオンの手紙を見た。


 最後にある名前を、しばらく見ていた。


「軍務局には、経緯を報告する」


「はい」


「改めて、話を聞かれるかもしれん」


「そのときは、お話しします」


 声が震えなかったのは、そこまでだった。


「こちらの手紙は、部隊の方へお願いできますか」


 エルガーが二通目を持ち上げた。


 俺はうなずいた。


 男は二通を重ね、筒へ収めた。


「届ける」


 短い返事だった。


 護衛が何か尋ね、エルガーは西を指した。


 三人が馬に乗る。


 俺は見送った。


 馬の姿が街道の曲がり角へ消えても、すぐには動けなかった。


 追いつかれるかもしれない。


 別の道を回って、待たれるかもしれない。


 地図一枚で、全部が片づいたわけではなかった。


 それでも、二人は今、自分で選んだ道を歩いている。


「飯、食ったのかい」


 向かいから声がした。


 粉屋のおばさんが、戸口に立っていた。


「まだです」


「じゃあ、食べな。爺さんがいないんだから、あんたまで倒れたら店が閉まるよ」


「はい」


 俺は宿へ戻った。


     *


 二号室には、忘れ物はなかった。


 ヴァルドが使った寝台には、外した足元の板が立て掛けてあった。


 レオンの寝台は、掛布が半分だけ畳まれていた。きちんと直そうとして、途中でやめたような形だった。


 俺はシーツを外した。


 両方とも、使った跡がある。


 それを見てから、窓を開けた。


 雨上がりの空気が入ってくる。


 廊下の桶を空にして、布巾を干す。


 帳場へ戻り、帳簿の昨日の欄に線を引いた。


 宿泊二名。


 朝食二名分、持ち帰り。


 自分の朝食は、残しておいた煮込みだった。


 冷めた芋は汁を吸いすぎていたが、温め直す気力がなかった。パンに載せて食べる。


 ようやく腹が減っていたことに気づいた。


 玄関の鐘が鳴った。


 俺は匙を置いて、立ち上がった。


「いらっしゃいませ」


 戸口には、大工の親父が立っていた。


 肩に、屋根へ使う板を担いでいる。


「雨、やんだぞ」


 俺は帳場の引き出しを開けた。


 昨日受け取った硬貨を出す。


「まず、これだけ」


 親父は数え、俺の顔を見た。


「残りは?」


「次のお客さんに、頑張っていただきます」


「頑張るのはお前だろうが」


 そのとおりだった。


 俺は袖をまくり、板の片側を持った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。