第11章 : 夏空、再び
【完結一括更新! 最終章&エピローグ同時投稿】
いつも『龍の眠る入江』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
本日は最終章(第11章)とあわせまして、物語の結末を描く**「エピローグ」**も同時に公開しております。
絶望的な闇の洞窟から、二人は果たして無事に光の下へ還ることができるのか――。
隆と優希の冒険の結末を、ぜひ最後まで見届けていただければ幸いです!
※このままエピローグまで続けてお読みいただけます。
ゴオオオオ……と、遠くで地鳴りのような音が響いていた。
干潮の「憩流」は既に過ぎ去り、相模湾の狂暴な潮の流れが息を吹き返したのだ。
それと同時に、洞窟内へと押し寄せる海水は猛烈な勢いで水位を上げていた。
「くそっ……潮が満ちてくる……!」
隆たちが避難した岩場も、すでに足元まで水が這い上がってきていた。
洞窟の入り口は水没しかかっており、うっすらと射し込んでいた月光も遮られつつある。
(泳いで外へ脱出するか……?)
一瞬、隆の頭にその選択肢が浮かんだ。しかし、すぐにその考えを打ち消す。
洞窟のすぐ外の暗い海には、修一を呑み込んだあの龍のような怪物が蠢いているはずだ。
さらに、外海は激しい渦潮が復活し、濁流となって海面を揉み立てているに違いない。
自分ひとりならイチかバチか潜って泳ぎ切れるかもしれない。
だが、この小さな優希を連れてあの地獄のような海を突破できる自信は、到底持てなかった。
刻一刻と水位は上がり、ついに冷たい海水が隆の膝下を覆い、太ももへと迫ってくる。
「優希……!」
逃げ場を失っていく恐怖の中、隆は思わず優希を力強く抱きしめた。
厚手の服の上からでもわかる、守らなければ簡単に折れてしまいそうなほど、か細く、華奢な身体。
その瞬間、隆の胸を締め付けるような愛おしさと強烈な責任感が突き上げてきた。
「ボク……おにいちゃんと一緒だから、怖くないよ……」
抱きしめられた腕の中で、優希が静かに呟いた。
隆を見上げる大きな瞳には、恐怖ではなく、隆に対する絶対の信頼の光が宿っていた。
「絶対に生きて帰るぞ。俺を信じろ!」
優希が力強く頷く。
隆の腕にがっちりと固定された水中ライトの強力な光が、湿った洞窟の壁面を鋭く照らした。
航が試行錯誤の末に防水加工とバンドを施してくれた、手作りの特製ライトだ。
この暗黒の密室において、それは命の灯火そのものだった。
ライトの光で浮き彫りになった岩肌を、隆は穴があくほど見つめた。
その時、耳の奥で、優希の祖父の源三のしわがれ声が蘇った。
『隆、岩肌の生き物を見るずら。カメノテが群れてる場所より上はな、どんな満潮の時でも絶対に水没しねえずら』
(そうだ……カメノテだ……!)
隆は光を上へと走らせた。岩肌にびっしりとへばりついたカメノテやフジツボの群生域。それらは、洞窟の天井よりずっと手前、岩壁の中腹あたりでぱったりと途絶えていた。
「優希、安心しろ! この洞窟は天井までは水没しない!」
隆は優希の顔をまっすぐに見つめ、力強く言い聞かせた。
「俺にしっかりしがみついていろ。絶対に手を離すんじゃないぞ!」
「うん……!」
次の瞬間、ドッと押し寄せた大波によって海水が一気に隆の胸元まで跳ね上がった。
隆の足が岩を離れ、二人の身体が浮き上がる。
隆は優希を片腕でしっかりと抱きかかえ、力強いキックで立ち泳ぎを始めた。
水位は急激に上昇していく。
視界を遮る完全な漆黒の中、頼れるのは航が作ってくれた腕の水中ライトの明かりだけだった。
もしこのライトの光が途切れれば、闇の中で溺れ死ぬしかない。
優希は隆の首に細い両腕をきつく回し、全身でしがみついていた。
隆の荒い息遣いと、胸の力強い鼓動が優希の身体に直接伝わってくる。
不思議と恐怖はなかった。
隆がいてくれる限り、自分は絶対に大丈夫だと心から信じられた。
「ハッ、ハッ……くそっ……!」
隆は腕のライトで天井付近を必死に照らした。
カメノテが群生する限界線を越えたあたり、水面が迫る天井の間際に、横に大きく張り出した平らな「岩棚」が見えた。
「優希、あそこの岩棚で水は止まる! もう少しだ、がんばれ!」
暗闇の中、首にしがみつく優希が小さく、けれど確かに頷いたのが分かった。
冷たい海水の中でも取り乱さず、隆の言う通りに、息を整えている。
海水は二人を押し上げるようにして水位を増し、目指す岩棚が目前に迫った。
「優希、あそこにしがみつけるか!? あそこの上までは、水は来ない!」
「やってみる……!」
隆は渾身の立ち泳ぎで身体を一段高く押し上げると、優希を岩棚の縁へと差し出した。
優希は濡れた岩肌に指先を喰い込ませ、必死にしがみつく。
「今だ、あがれっ!」
隆は下から優希の足を力任せに押し上げた。優希は身軽な身こなしで岩棚の上へと這い上がる。
「おにいちゃん!」優希が岩棚の上から叫ぶ。
隆は自分自身の両手を岩棚の角に引っ掛けると、腕と背中の筋肉を限界まで収縮させ、海水を引き裂いてずっしりと重い身体を引き揚げた。
ドサッ……!
二人は岩棚の上に倒れ込み、激しく肩を揺らして荒く呼吸をした。
すぐ目下まで迫った海水は、岩棚のわずか下でピタリと上昇を止めていた。
カメノテの限界線通り、ここが最高潮位だったのだ。
狭い洞窟内に閉じ込められた海水は静まり返り、押し寄せた夜光虫たちが放つ青白い微光が、水面全体を幻想的なエメラルドグリーンに染め上げていた。
生死の境を潜り抜けた安堵感に浸っていたその時、優希が息を呑み、隆の服の袖を引っ張った。
「おにいちゃん……! アレ……!」
「え……?」
隆は言われるまま、腕の水中ライトを自分たちが横たわる岩棚の『奥』へと向けた。
眩い光の束が暗闇を切り裂く。
そこに広がっていた光景に、隆の息が止まった。
濡れた岩肌の奥、整然と並べられていたのは――無数の古びた革袋だった。
歳月を経て半ば朽ちかけた革の破れ目から、溢れ出すようにしてこぼれ落ちていたのは、眩いばかりの輝きを放つ「オランダ・ダカット金貨」の山だった。
潮だまりの底に沈んでいた金貨は、ここから永い年月をかけて崩れ落ちたほんの一部に過ぎなかったのだ。
こここそが――江戸時代から誰も足を踏み入れることのなかった、伝説の密貿易船の「本当の宝の隠し場所」だったのだ。
洞窟の天井近く、狭い岩棚の上に重なり合うようにして横たわる二人。
夜光虫の青白い微光と、隆の腕に固定された水中ライトの光が、目の前にうずたかく積まれた大量のオランダ・ダカット金貨を眩しく照らし出していた。
歴史の闇に埋もれていた本物の「宝」を前にして、優希は少し拍子抜けしたような、どこか静かな声で言った。
「……宝、見つかったね」
「……ああ」
隆は金貨の山を見つめたまま、短く答えた。その声には、修一が見せたような狂おしい歓喜も、興奮もなかった。
「……うれしい?」
隆はすぐには答えず、しばらく考え込んでいた。
洞窟の奥に響く水音を聞きながら、ゆっくりと首を傾げる。
「……よく分かんねぇや」
「なんで?」
優希が横顔を覗き込むと、隆は少し寂しそうに眉を下げて呟いた。
「……みんなで、見つけたかった」
定夫のバカ騒ぎや、航の自慢げな解説。
白鴎丸で四人並んで笑い合っていたあの時間が頭をよぎる。
宝が、見つかっても、あの仲間たちと一緒に驚き、喜び合えなければ、何の意味もないような気がしていた。
優希は、隆の横顔をじっと見つめたあと、ふと思いついたように問いかけた。
「ねぇ……もし宝がなくても、ボクと来た?」
「来た」
隆は間髪入れずに即答した。一切の迷いもない言葉だった。
その答えを聞いた瞬間、優希の胸の奥に温かいものがじんと広がり、濡れた顔にパッと嬉しそうな笑みが咲いた。
隆にとって自分が「宝」の有無に関係なく、一緒に行く価値のある存在だと言われた気がしたからだ。
「……ハァ、それにしてもさ」
隆は腹の虫を鳴らしながら、がっくりと首を振った。
「今は金貨なんかより、食い物の方がずっといいや」
隆は背中から下ろした、海水に浸かってびしょ濡れのナップザックのファスナーを開けた。
中から奇跡的に完全防水のアルミ包装が無事だった「カロリーメイト」を取り出す。箱はふやけていたが、中の袋は守られていた。
隆は袋を破ると、パキッと半分に割って優希へ差し出した。
「食えるうちに、食っておいたほうがいいぞ。……お前、カメノテ嫌いだしな」
「なにそれ……」
濡れた優希の顔に、やっと子供らしい素の笑顔が浮かんだ。
優希は両手で大切そうにカロリーメイトを受け取ると、小さな口で噛みしめた。
「ありがとう……おにいちゃん」
パサついたクッキーの味が、冷え切った身体にじわじわと生きている心地を運んでくる。
半分を食べ終えると、隆は腕の水中ライトのスイッチに手をかけた。
「優希、電池を節約するから、しばらくライトを消すぞ。……夜が明けるまで時間がある。少し寝たほう
がいい」
「うん……」
カチッ、とライトが消えると、視界は暗闇に包まれた。
優希は闇の中でそっと隆に身体を寄せると、少しためらいがちに、その太い腕と逞しい胸にしがみついた。
冷たい海水で冷え切っていた二人の身体に、お互いの体温がじわじわと伝わっていく。
隆の大きな身体の体温は、優希にとって何よりも安心できる陽だまりだった。
隆は優希を包み込むように腕をまわし、その濡れた髪を大きな手で優しく撫でてやった。
「おにいちゃん……」
「ん?」
「……ありがとう」
優希の囁くような声が暗闇に溶けていく。
やがて、すうすう……という規則正しく小さな寝息が聞こえ始めた。
極限の緊張と恐怖を乗り越え、優希の体力も限界を迎えていたのだ。
隆もまた、優希を抱きしめたまま静かに目を閉じ、夜明けを待った。
◇
隆の腕の中で眠る優希は、夢を見ていた。
そこは、どこまでも澄み渡る真っ青な夏空の下だった。
キラキラと眩しく輝く相模湾の海原を、隆たちの秘密基地であるあの「白鴎丸」が、白い波条を豪快に立てながら力強く進んでいる。
そこには恐怖も、暗い闇も、何の不安もなかった。
船首では、航が真剣な目つきで六分儀を覗き込み、正確な方角を弾き出している。
『航、方角はどっちだ!』
そう叫ぶ隆が、潮風に髪をなびかせながら、水平線の向こうを力強く指さした。
操舵輪を握る定夫が、『アイアイサーっ!』と笑いながら威勢よく応える。
そして優希は――「副船長」として隆のすぐ隣に立ち、風にたなびく海図を広げていた。
顔に当たる潮風が、驚くほど心地よかった。
どこまでも広がる自由な海へ向かって、四人の冒険は続いていく。
隆の温もりに包まれながら、優希の唇には、穏やかで幸せそうな笑みが浮かんでいた。
◇
洞窟内は、隆と優希のいる岩棚のすぐ下まで海水が満ちていた。
水面では夜光虫たちが淡い蛍光を放ち、波が岩肌を舐めるたびに、洞窟全体が青白い微光のヴェールに包まれる。
ひとまず、溺死の危機は免れた。
優希は隆の腕の中で静かな寝息を立てているが、時折その身体がずり落ちそうになる。そのたびに、隆はそっと抱き直し、小さな肩を優しく支え続けた。
隆は眠れなかった。
波音に混じって、海底の遥か深層から「ゴゴゴ……」と低く地響きのような唸り声が響いてくる。あの龍の息遣いなのか、深海の潮流が岩盤を揺らす音なのかは分からない。
暗闇の中で、隆は一人、冷静に状況を分析していた。
次の満月の大潮は一か月先だ。
いくら耐えても、一か月もここに閉じ込められれば体力が持たない。
無事に過ごせたとしても、脱出する気力も筋力も失われているだろう。
食べ物は、壁にへばりついたカメノテやフジツボ、海藻を生で齧ればしばらくは凌げるかもしれない。
一番の課題は「真水」だった。だが、頭上の岩盤を伝うしずくの気配を感じ、夕立でも来れば地上から水が染み出してくる希望はある。
その時、隆はふと肌を撫でる空気の変化に気づいた。
密閉された空間特有の生ぬるい高い気圧を感じない。
肌を掠めるかすかな空気の流れ。
洞窟のどこかに、上へと抜ける小さな亀裂が存在しているのだ。
(この洞窟は……どこかで地上と繋がっている)
そう悟った瞬間、洞窟内の湿った生臭い空気に、清々しい外の匂いが混じり始めた。
外の世界では、夜が明けようとしているのだろう。
生き延びられる確信を得た隆の緊張がゆっくりと解け、極限の疲労から、隆もいつしか微かなまどろみの中へと落ちていった。
◇
ふと、顔に当たる風の温度が変わった。
洞窟の遥か高い天井、岩の割れ目から、一筋の細く、力強い金色の光が差し込んできた。
暗闇を切り裂く、朝の最初の光。
その光線は、浮遊するちりを輝かせながら、岩棚の上に横たわる二人を優しく照らし出した。
「おにいちゃん……朝だよ!」
優希の弾んだ声に、隆は重い瞼をゆっくりと開けた。
目の前に広がる世界は、昨日までの暗闇が嘘のように神々しかった。
天井の隙間から溢れ出す朝陽は、青く澄み渡った水面をキラキラと黄金色に反射させ、濡れた金貨の山を、そして二人の素肌を温かく包み込んでいく。
生まれてから12年間、これほど太陽の光が眩しく、そして愛おしいと思ったことはなかった。
肌に感じる熱が、心臓の鼓動が、自分たちが今「ここ」に存在している事実を力強く証明していた。
隆は溢れ出る光の中で優希を見つめ、掠れた声で噛み締めるように呟いた。
「……生きてたな」
その一言を聞いた瞬間、優希の瞳からボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。
恐怖と、安心と、胸を満たす溢れんばかりの感情を抑えきれず、優希は泣きながら、太陽のような弾ける笑顔を見せた。
「うん……っ! おにいちゃん、ボクたち、生きてるよ……!」
二人を包む朝陽はどこまでも暖かく、絶望の闇を切り裂いて、輝かしい生の喜びを洞窟全体へと満たしていった。
朝の光がすみずみまで行き渡った洞窟内で、隆と優希は改めて周囲を見渡した。
そこには、岩肌に沿ってうずたかく積まれた、数えきれないほどの古びた革袋があった。
破れ目から覗くのは、朝陽を反射して神々しく輝く、本物の金貨の山。
「すげぇ……! これ、本当に全部ダカット金貨なんだ」
隆は感嘆の声を漏らし、革袋の中から手を入れて3枚だけ金貨を取り出した。そのうちの1枚を、優希の手のひらにそっと手渡す。
「俺は海で拾った最初の一枚があるからな。あとの2枚は、定夫と航へのお土産だ」
優希は掌の中の重みを見つめ、力強く頷いた。
「……うん。ボクたちの冒険の証だね」
隆は金貨をポケットに仕舞い込むと、光が差し込む天井の亀裂を仰ぎ見た。
岩肌には不規則な突起や足場があり、上へと向かって縦穴のように伸びている。
「結構上まで距離があるな……。でも、登れる。定夫ならきっとこう言うぜ。『なんとかなるさ!』ってな」
隆が定夫の真似をして笑うと、優希も「くすっ」と声をあげて笑った。
死の恐怖を乗り越えたその顔には、生を確信した力強く、澄み切った笑顔が咲いていた。
「よし、行くぞ。俺が持ち上げて支えるから、優希が先に行け。お前の方が体が小さいしな。人間、頭さえ通れば体は絶対に抜けられる」
隆は優希の体を両手で包むように抱えると、そのまま自分の肩の上へと力強く持ち上げた。
「俺の肩に足をかけろ! そこの張り出している岩に手をかけて、まずその上に上がれ。そこで息を整えるんだ!」
「うんっ!」
優希は細い腕に懸命に力を込め、岩肌に指を喰い込ませてすがりついた。
隆は優希の足を下からしっかりと支え、安全を確認してから自分も力強い足取りで岩肌を登っていく。
「間違いない……地上に出られるぞ!」
湿った暗い洞窟の空気が、登るにつれて少しずつ温かく、乾いた潮風の匂いへと変わっていく。
暗闇は急速に退散し、二人の頭上は眩いばかりの光で満たされていった。
まるで天に向かって、自分たちの約束された未来に向かって登っているかのようだった。
そして、ついにその時が来た。
最後の岩棚を越えた瞬間、二人の頭上に遮るもののない、真っ青な真夏の空が炸裂するように広がる。
「空だーっ!!」
隆が割れんばかりの声で叫んだ。
優希は最後の力を振り絞り、狭い岩の隙間へと身体を滑り込ませた。
小柄で華奢な身体が功を奏し、優希はなんなく地上へと這い上がった。
しかし、小学生離れして大柄な隆の身体は、最後の隙間に引っかかってしまう。
「お兄ちゃん、手を出して!」
優希が穴の縁から身を乗り出し、両手を差し出した。
隆がその手を掴む。優希は華奢な身体のどこにそんな力があったのかと思うほどの全力で、合気道の身のこなしそのままに隆の手をぐっと引き上げた。
「ぐ……ぬぁぁぁっ!」
隆は両足で穴の壁面を強く蹴り、転がるようにして地上へと飛び出した。
「ハァッ……ハァッ……!」
二人はそのまま夏の乾いた草の上に倒れ込み、大の字になって空を見上げた。
視界一面に広がる、どこまでも深い相模湾の眩しい夏空。
その中央には、巨大で真っ白な入道雲がモクモクと沸き立っていた。
太陽の熱が、冷え切っていた皮膚を温かく灼いていく。
二人はこの先どんな大人になろうとも、今日見たこの空だけは一生忘れないだろうと確信していた。
「あははっ……!」
「ふふっ……やったな、優希!」
ふと顔を見合わせ、二人は弾けたように笑い合った。
海水が乾いて服も髪も塩でごわごわになり、顔中傷だらけだったが、二人は確かに生きて、太陽の下に戻ってきたのだ。
隆は自分のすぐ横で、太陽の光を浴びて無邪気に笑う優希の横顔をまじまじと見つめた。
(……こいつ、こうして見ると、ずいぶんと可愛らしい顔をしてるんだな)
胸の奥が少しだけくすぐったくなるような、妙な感覚が走った。
その時、優希が息を呑み、驚いたように隣を指差した。
「おにいちゃん……あれ……っ!」
「え……?」
隆が体を起こし、優希が指さす方向へと振り向いた。
そこにあったのは――見慣れた、古びた船体。
高台の夏草の中に打ち捨てられ、二人が秘密基地にしていたあの廃船――「白鴎丸」だった。
隆と優希は絶句し、ただ呆然とその姿を見上げた。
岩の亀裂は、白鴎丸の船底のすぐ脇に口を開けていた。
隆は息を呑んだ。
「だから……」
秘密基地で何度も聞いた、あの地の底から響くような風の音。
あれは洞窟から吹き上がる息だったのだ。
白鴎丸は、三百年もの間、宝の眠る場所を静かに見守り続けていた
最初から、すべてを知っていたのだ。
夏の潮風が吹き抜け、白鴎丸の錆びついた船体が、まるで二人を温かく迎えるかのように、ごぉぉぉ、と鳴った。
しばらくの間、二人は、一言もしゃべらなかった。
ただ、どこまでも青い真夏の海から打ち寄せる、潮騒の音だけが穏やかに聞こえていた。
やがて優希が膝を抱え、少しだけ悪戯っぽく笑って言った。
「……ボク、怖くなかったよ」
隆も、乾いた潮風に目を細めながら笑った。
「うそつけ」
優希は照れたように俯き、小さな声で付け足した。
「……ほんの、ちょっとだけ」
足元に広がる相模湾は、朝の光を全身に浴びて、どこまでもキラキラと眩しく輝いていた。
そして――二人は立ち上がった。
疲れ果てた身体に、傷だらけの足。それでも、確かな一歩を踏み出して歩き出す。
未来へと続く地上の道を。
◇
その頃、鴎ヶ埼の町は大騒ぎになっていた。
「隆ーっ! 優希ーっ!」
港の岸壁や路地裏、高台の道で、大人も子どもも声を枯らして二人を捜し回っていた。
定夫と航は半泣きになりながら走り回り、源三は険しい顔で海を見つめ、裕子と幸恵は祈るように手を合わせている。
巫女服のまま駆けつけた夏帆も、あちこちの崖の上を必死に見上げていた。
その時だった。
高台の崖の上から、雲を突き抜けるような快活な声が響き渡った。
「おーーーい!!」
定夫が真っ先に足を止め、叫んだ。
「あっ……!!」
全員が一斉に振り返る。
眩しい夏の太陽を背に受け、崖の向こうから、二人がゆっくりと歩いてくるのが見えた。
泥と塩にまみれながらも、その胸をしっかりと張り、笑い合いながら歩いてくる隆と優希の姿が。
「隆! 優希ちゃん!!」
「無事だったかーっ!」
定夫が、航が、源三が、町のみんなが、歓声をあげて二人目掛けて一斉に駆け出していく。
駆け寄ってくる大好きな人たちの笑顔を見つめながら、隆はポケットの中の小さなオランダ金貨にそっと触れた。
宝探しは終わった。けれど、自分たちの未来という本当の冒険は、この青い海と空の下で、今始まったばかりなのだ。
照りつける夏の太陽のもと、駆け寄るみんなの叫び声と笑い声が、鴎ヶ埼の空高く、どこまでも響き渡っていた。
相模湾は、何事もなかったかのように青く輝いていた。
龍は再び、入江の底で眠りについた。
「本日はエピローグも同時に投稿しております。下部の『次の話』からそのまま最終話をお楽しみいただけます!」




