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第8話 決裂と宣戦布告

第8話 決裂と宣戦布告


 砂嵐の防壁戦から三日後。


 シャハラトには、奇妙な熱気が満ちていた。


 市場では人々が興奮気味に語り合い、導水路の周囲には新しい屋台まで増えている。


「見たか、あの防壁!」


「砂が一瞬で城壁になったんだぞ!」


「しかも崩れなかった!」


「エルゼ様の服がなきゃ死んでたよ!」


 街は勝利に沸いていた。


 だがその空気とは逆に、王城の会議室には重苦しい沈黙が落ちている。


「……来たか」


 バドゥルが低く呟いた。


 長机の上には、一通の羊皮紙。


 聖教国ルミナスの紋章が押されている。


 エルゼはその印章を見た瞬間、胸の奥が冷たくなった。


「正式な外交文書だ」


 側近が緊張した声で言う。


「差出人は公爵令嬢セレーナ・ルミナス」


 部屋の空気が張り詰める。


 バドゥルが封を切った。


 紙を開く音だけが妙に大きく響く。


 やがて彼は鼻で笑った。


「……随分と偉そうだな」


「何て?」


 エルゼが尋ねる。


 バドゥルは羊皮紙を机へ置いた。


「“エルゼ・アストレアを聖教国ルミナスへ返還せよ”だと」


 沈黙。


 次の瞬間、会議室がざわめいた。


「返還!?」


「物扱いかよ!」


「ふざけるな!」


 エルゼは静かに文書を見つめる。


 白い紙。


 整った文字。


 その冷たさが、ルミナスそのものみたいだった。


「……理由は」


「国家資産だからだとよ」


 バドゥルが吐き捨てる。


「今さらか」


 エルゼは小さく息を吐いた。


 心は不思議なほど静かだった。


 怒りよりも先に、呆れが来る。


 地下水路を維持していた頃。


 誰も自分を見なかった。


 作業服姿を笑われた。


 裏方と呼ばれた。


 それなのに今は、“国家資産”。


「都合がいいですね」


 ぽつりと呟く。


 その時だった。


「失礼するわ」


 扉が開く。


 真っ白なドレス姿のセレーナが現れた。


 背後には護衛兵。


 だが以前のような余裕はなかった。


 目の下には薄い隈があり、表情も硬い。


 市場を通ってここまで来たのだろう。


 途中で見たはずだ。


 水が流れる街を。


 生きているシャハラトを。


 セレーナはエルゼを見る。


「久しぶりね」


「……はい」


「随分と出世したようで」


 嫌味めいた口調。


 だが以前より棘が弱かった。


 セレーナは窓の外を見る。


 整備された導水路。


 砂嵐にも耐えた防壁。


 色鮮やかな防砂ローブ。


 人々の笑顔。


「本当に、あなたが作ったのね」


 その声には、微かな動揺が混じっていた。


 エルゼは答える。


「皆で作りました」


「またそれ」


 セレーナは苦く笑う。


「昔から変わらないわね」


 そして真顔になった。


「エルゼ。帰りなさい」


 部屋の空気が凍る。


 セレーナは真っ直ぐエルゼを見る。


「ルミナスはいま混乱しているわ。水道も、防壁も、全部限界なの」


 彼女は唇を噛んだ。


「街が臭うのよ」


 その声は震えていた。


「噴水は止まり、浴場は閉鎖され、市民は怒ってる……」


 エルゼは黙って聞いている。


「あなたが必要なの」


 セレーナは一歩近づいた。


「戻りなさい。今なら許してあげる」


 その言葉に、部屋の空気がぴりっと張る。


 バドゥルの目が細くなる。


「……許す?」


 低い声。


 セレーナは睨み返した。


「彼女はルミナスの人間です」


「追放したくせにか?」


「国家には事情があります!」


「都合のいい話だな」


 バドゥルは冷笑した。


 だがエルゼは静かだった。


 セレーナは続ける。


「あなたほどの技術者を、辺境で無駄にするべきじゃないわ」


 エルゼの指先が止まる。


 昔なら、嬉しかったかもしれない。


 認められた気がして。


 必要とされた気がして。


 でも今は違った。


 エルゼはゆっくり顔を上げる。


「……無駄?」


「え?」


「この街を作ることが、無駄なんですか」


 セレーナが息を呑む。


 エルゼは窓の外を見た。


 導水路を走る子供たち。


 市場で笑う女たち。


 防砂ローブを纏って働く人々。


 全部、自分が関わった景色だった。


「私は、ただ服を縫っていたわけじゃありません」


 静かな声だった。


 けれど、はっきり響く。


「ただ水路を直していたわけでもありません」


 エルゼはセレーナを見る。


「人が生きる場所を作っていたんです」


 セレーナが言葉を失う。


 エルゼは続ける。


「水が流れること」


「安心して眠れること」


「砂嵐の中でも働ける服があること」


「街が綺麗であること」


「それ全部が、人の暮らしなんです」


 彼女の銀髪が、窓から吹く風に揺れた。


「私は裏方ではありません」


 その瞬間。


 部屋の空気が変わった。


 エルゼの声は、以前のように怯えていなかった。


 逃げるように俯いていた少女は、もういない。


「未来を設計する魔導士です」


 沈黙。


 セレーナは目を見開いたまま立ち尽くす。


 その横で、バドゥルがゆっくり立ち上がった。


「聞いたな」


 低く響く声。


 彼は玉座の前へ歩き出る。


「エルゼ・アストレア」


 エルゼが振り向く。


 バドゥルは真っ直ぐ彼女を見た。


「お前を本日付で、シャハラト国家首席アーキテクトに任命する」


 ざわめき。


 兵士たちが目を見開く。


 セレーナの顔色が変わる。


「な……」


「異論は認めん」


 バドゥルは笑った。


「この国は、こいつなしじゃ回らねえ」


 エルゼは言葉を失う。


 国家首席アーキテクト。


 それは単なる技師ではない。


 国そのものを設計する役職だ。


 ルミナスでは絶対に与えられなかった地位。


「陛下……」


「受けろ」


 バドゥルの声は力強かった。


「お前はもう、地下で隠れてるだけの魔導士じゃない」


 胸の奥が熱くなる。


 苦しいくらいだった。


 エルゼはゆっくり頭を下げる。


「……謹んで、お受けします」


 その瞬間、窓の外から歓声が聞こえた。


 市場の人々だった。


 誰かがエルゼの名前を叫ぶ。


 その声が広がっていく。


 セレーナは静かに立ち尽くしていた。


 彼女はようやく理解してしまった。


 自分たちが追い出したのは、ただの裏方ではなかったのだと。


 シャハラトの夜風が、静かにカーテンを揺らしていた。



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