Tax ……Hell?
その日、ルナティック・カフェの重厚な木製扉を開けて入ってきたのは、場違いなほどに豪奢なゴシックドレスを身に纏った女性だった。
波打つ美しいブロンドの髪に、吸い込まれるような鮮烈な紫の瞳。そして、艶やかな唇の端からは、鋭い吸血鬼の牙が微かに覗いている。
魔大陸・西部領の領主にして、このカフェの地主でもあるクロエ・シュヴァリエその人である。
「久しぶりに来たけど、良い店ね。調子はどう?」
クロエは優雅な足取りでカウンターに歩き寄りながら、からかうような口調で言った。
どうやら今日は領主業も休みらしい。彼女の言う通り、立地も外観も内装も、提供するコーヒーの味だって一級品だ。ただ、客が全く来ないという一点を除けば。
カウンターの中でグラスを拭いていたスーニャは、ため息まじりに答える。
「おかげさまで連日大繁盛……閑古鳥でね」
「まるで駄目じゃない……」
クロエが呆れたように肩をすくめる。
「元々オーナーの税金対策目的。これで良いのよ」
スーニャは悪びれもせずに言い切った。
「あんまり露骨だと、庇う方も大変なの」
クロエはカウンターの椅子に腰掛け、細い足を組む。
「存在しない客で賑わっているなんて、ただ現実から目を逸らしているだけじゃないの? そもそも喫茶店のあり方としてどうなのよ」
いくら税金逃れのためのハリボテ店舗とはいえ、領主たる彼女が目こぼしをするには、それなりに営業している「フリ」を見せなければ庇いようがないのだ。
「あちらをご覧ください。万事抜かりなく……」
スーニャが布巾を片手に、誇らしげに店の隅を指差した。
そこには、ホロリと崩れそうな廃棄間近の焼き菓子がうず高く積まれたワゴンがあり、手書きのポップが飾られていた。
『New Year Sale! 新春在庫一掃!』
クロエはこめかみを押さえた。
「もう2月よ」
「後で”Valentine Sale”に貼り替えておく」
当然のように答えるスーニャ。この調子では、ルナティック・カフェがまともな売り上げ一覧を提出できる日は、永遠に来ないだろう。
クロエの前に淹れたてのコーヒーを置きながら、スーニャは尋ねた。
「……ただ遊びに来たって訳じゃないんでしょう?」
コーヒー一杯にしてはやけに長居するつもりらしいクロエに、スーニャは探りを入れる。
「もうすぐ決算でしょ? 視察と報告の義務があるの」
「そういえばそんな時期だった。バイトの私には関係ないけど」
スーニャは本当に興味がなさそうに、再びグラス磨きに戻る。実際、彼女はあくまでアルバイトだ。店の税務調査に立ち会う義務はない。
「関係あるわ」
クロエがコーヒーカップを持ち上げながら、ぴしゃりと言い放った。
「オーナー居ないんだから、あなたが対応しなさい」
「……分かりましたよ。領主様」
スーニャは言葉こそ丁寧だが、その気だるげな態度は全く崩そうとしなかった。
「それじゃ、簡単な確認からね」
クロエがどこから取り出したのか、古い革張りの帳簿を開く。
「喫茶店の運営と、魔界関係のトラブル解決……業務内容に変わりはない?」
「変わり映えしないとも言うね」
「事件の件数と内容は、提出された報告通りで間違いないかしら?」
「報告漏れがなければ」
実に雑な態度で領主の査問に答えていくスーニャ。クロエも慣れたもので、特に咎める様子もない。
「客によって対応を変えたりはしてないでしょうね?」
クロエが何気なく尋ねたその時、スーニャはピタリと動きを止めた。
「Lunatic Cafeの扉は老若男女に広く開かれています。……フィンランド人以外は」
「……は?」
唐突な例外に、クロエが目をまたたかせる。
対するスーニャは、両手の人差し指でグッと目尻を吊り上げるという、極めて妙なジェスチャーをして見せた。
「オーナーが日本人とやらと結婚したらしくてね。店の方針は随分前からこう」
なぜ日本人がフィンランド人を目の敵にするのか。ジェスチャーをしているスーニャ自身も詳しいことは全く知らない(単なる文化的な偏見なのかもしれないし、個人的な恨みなのかもしれない)。
「清々しいほどの差別ね」
「“魔女と差別は切っても切れない”」
スーニャは肩をすくめた。
「……少なくとも、私のクビよりはね」
「……その通りね」
クロエは少しだけ真顔になり、同意した。
魔大陸が地球上から一時姿を隠した理由も、過去の魔女狩りに代表される「差別と迫害」だった。再び姿を現してから40年ほど経つが、人間も、魔族も、そう簡単には変わらないのだろう。
「……これで視察は終わり」
クロエはパタンと帳簿を閉じ、席を立った。
「一つだけ言っておくけど、店名を変えたなら早めに届出を出しなさい」
ようやく店を出るといったところで、クロエの口から飛び出したトンデモ発言に、スーニャの赤い瞳が初めて大きく見開かれた。
「……変えた覚えはないけど?」
スーニャは怪訝な顔をした。外には『Lunatic Cafe』の看板が掲げられているのだ。客の来ない喫茶店にそれが必要かどうかはともかくとして。
「え?」
クロエも不思議そうに首を傾げ、手元の資料をパラパラと捲り直した。
「だって私の持ってる資料には、“Witch Tears”って」
領主の持つ公的な資料には、見知らぬ店名が堂々と記されているらしい。
「なんて言った?」
「“Witch Tears”――魔女の涙、ね」
もし仮に、その記録が正しいとするならば。
スーニャの顔から、さらに血の気が引いていく。
「待って。そうすると、『Lunatic Cafe』での減税申請はどうなるの?」
スーニャは恐る恐る尋ねた。
「通らないわ。少なくとも今年はね」
クロエは無慈悲な宣告を下した。いくらなんでも、魔大陸の領主とはいえ、公的記録に存在しない店舗の減税申請を受け付けることなどあり得ないのだから。
「嘘でしょ……?」
スーニャ・”スリーピー”・ホロウは、客のいない静かな店内で、ただ深く深く項垂れることしかできなかった。
オーナーの税金対策は、一体どうなってしまうのだろうか。
(第2話 了)




