第17話
それからどこをどうやって歩いたかもわからないまま、夕夏は三上のビルの前に立っていた。
三上はまた私を助けてくれるのだろうか。
「みーつけた」
背後から女の声が聞こえてきた。
夕夏が驚いて振り返ると、白いワンピースの女が立っていた。
見た感じ、服装は若いが、かなり歳を取っているように見えた。女は、笑っているつもりなのか、唇が歪んでいた。
「あなたは?」
恐怖心から、声が震えてしまった。女は、どこを見ているのかわからない目をしながら、不気味に笑った。
「あんたと同じ。呪われた女さ」
「呪われた女?」
「あんたのその口紅は、もう取れないよ。永遠に」
「どういう意味ですか?」
「あの男は悪魔なんだよ。人の弱い心につけ込む悪魔なんだよ」
「あの男って?」
女が、ビルを見上げた。
「三上さんの事ですか?」
夕夏の問いかけに女は答えず、歪んだ笑顔を浮かべた。その時夕夏は、女の唇が赤いことに気づいた。
「その口紅……」
女の赤い唇が動いた。
「あの男には気をつけろ」
女の言葉を聞いた夕夏は、全身に鳥肌が立った。やけに寒かった。夕夏は今の言葉の真意を知りたくて質問をしようとしたが、女の目はもう何も見ていなかった。
女は裸足の足を引きずりながら、無言で去っていってしまった。
「呪われた女……」
女の背中があまりにも弱々しく見え、追いかけることが出来なかった。夕夏はビルを見上げ、重い溜息をついた。
不安な気持ちを抱えながら、夕夏は三上の部屋を訪ねた。
夕夏と三上は、ローテーブルを挟み、睨み合うように座っていた。夕夏の手には、口紅が握りしめられている。
「この口紅のせいで、何もかも失ってしまったんですよ」
「まあまあ落ち着いて」
「どうして私だけが、こんな目に合わないといけないんですか!」
「いやいやだからそれは」
「あなたのせいですよ!」
夕夏が責めるように言うと、三上の態度が一変した。見たことがないぐらい冷たい目を、夕夏に向けてきた。
「自分のせいでしょ」
「え?」
「上手くいかないと人のせい、そんなあなたの考え方がこんな事態を招いたんじゃないんですか?」
「だって、この口紅が」
「フラシボー効果」
三上が鼻で笑いながら言った。
「フラシボー?」
「偽薬の事ですよ。人と言うのは面白い生き物でね、これはよく効く薬ですよと渡されたら、本当に効いてしまう」
「何を言ってるんですか?」
「だから、この口紅は偽物なんですよ」
「偽物……?」
「そう、まさにフラシボー効果。口紅を塗って、喋れるようになるなんて、まさかあなた、本気で信じてたんですか?」
「だって、あなたが」
「ありえないでしょ」
三上がまた笑った。
「私を騙してたんですか?」
「カウンセリングの一環ですよ」
「そんな……」
「実際あなたは、お喋り上手になれたじゃないですか。そこは感謝してほしいですね」
「そりゃあ最初は良かったけど、でも、この口紅のせいで暴言が止まらないんです。ひどい言葉ばかりが次々と口から出てくるんです」
「それは、どす黒い感情が、あなたの心の奥底に溢れているからですよ」
「私の……心?」
「あなたは、以前の自分が他人から常に虐げられてきたと、ずっと心の底で恨んでいるんですよ。他人を憎んでいる。だから、喋る事が出来るようになった今、押さえ込んでいた感情が一気に噴き出してしまったんですよ」
「私のせい……」
「そうです。全てあなたの問題です」
つづく




