第16話
突然口紅を塗り始めた夕夏に対して、光仲がまた吠えた。
「君はさっきからいったい何をしているんだ」
その時、夕夏の唇が勝手に動き始めた。
「黙れ、ヅラ」
光仲が凍りついたように黙った。夕夏は光仲を押しのけ、恵に詰め寄った。
「あんたさ、何泣いてんのよ。泣けば許されるとでも思ってんの。ほんと、この女、したたかな女だね。こういう女が一番タチが悪いんだよ。こういう女が、人の男を平気で盗むんだよ」
「先輩?」
「どうせポケットに目薬でも入れてんでしょ。見せてみなさいよ」
夕夏が、恵のポケットに無理やり手を入れようとした。
「やめてください」
恐怖を顔に張り付けた恵が、後退りをした。
「見せなさいよ。見せろ」
叫びながら、夕夏は恵の腕を掴もうとした。すると恵は、矢崎の背後に逃げ込んだ。そのせいで、夕夏の前に矢崎が立ち塞がっている形になった。
夕夏は矢崎を見た。矢崎は恵を庇うように立っている。そのことにまた夕夏は、耐え難い屈辱を感じた。
「なんなんだよ。お前」
矢崎がうんざりした表情で、吐き捨てるように言った。
夕夏は誰にも聞こえないぐらいの音量で、ブツブツと何かを呟き続けている。
「お前、怖いよ」
矢崎に怖いと言われ、夕夏は絶望した。
いつもこうなるのだ。どれだけ自分が頑張っても、いつも人が離れていく。そして一人になる。今度こそ幸せになれると思ったのに。
夕夏の絶望が唇に伝わったのか、言葉が勝手に漏れていく。
「みんな死ねばいい」
夕夏は、矢崎と恵、そして光仲を睨み付けながら、叫んだ。
「お前らみんな死ね!」
夕夏が恵に掴みかかった。恵の髪を掴み、床に叩きつけようと力を込めた。
「やめろよ!」
矢崎が強い力で夕夏を突き飛ばした。その勢いで夕夏は床に倒れた。
痛かった。心も身体も痛くてたまらない。
夕夏は悔しくて仕方がなかった。
どうして自分だけが、こんな目に合わないといけないのだ。
床を両手で叩きながら、夕夏は獣のような叫び声を上げた。
「うぉーうぉーうぉー」
言葉にならない声を上げ、床を叩き続けた。
矢崎たちが、恐ろしい生き物を見るような目で遠巻きに夕夏を見ていた。
誰一人、夕夏に手を差し出さなかった。
気づいたら夕夏は、夜道を一人で歩いていた。
どうしてこんなことになってしまったのか。
どこで自分が間違えてしまったのか、夕夏には全く理解出来なかった。罠に嵌められたような気すらした。
夕夏は不意に立ち止まり、道の隅にあるミラーを見上げた。
そこに映っていたのは、人間ではなかった。
口から血を滴らせた、獰猛な獣だった。
なんとも恐ろしい姿に、夕夏は立っていられず、その場に崩れ落ちていった。
つづく




