第14話
光仲が妙にはしゃいでいる事にも、夕夏は苛立ちを覚えた。
「今日からアルバイトで入ってくださる足立恵さんです。なんと十九歳。大きい声では言えませんが、って言っちゃってるけど、恵さんは専務のお嬢さんでもあるので、皆さん、くれぐれも失礼のないようにお願いしますよー」
光仲に紹介された恵が、恥ずかしそうに俯いている。その姿が余計に、夕夏の不安を煽った。
「光仲君、その言い方はセクハラになるぞ」
田辺が笑いながら、光仲をいなした。
「え、そ、そうなんですか。恵ちゃん、すまない。許してくれ」
「そんな。大丈夫です。気にしないでください」
「さすが恵ちゃん」
くだらない会話を聞かされ、夕夏はますます苛ついた。光仲が見たこともないぐらい浮かれている事も許せなかった。
そんな夕夏の苛立ちに、誰一人気づいていないという事にも怒りを覚えた。
「足立恵です。一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします」
恵が上品な微笑みを浮かべながら、挨拶をした。
社員たちが一斉に拍手をした。光仲が人一倍大きな拍手をしている。夕夏は一応拍手をしながら、恵の頭の先から足の先までじっくりと観察した。
その時、夕夏はとんでもない事実に気づいた。なんと恵の唇の色が、ピンクだったのだ。自分と同じ色の唇。
夕夏は、不安になりながら矢崎を見た。矢崎が恵をじっと見つめていた。夕夏は嫌な汗をかきながら、そんな矢崎を見つめ続けた。
矢崎が恵に仕事を教えている。時折り笑い合う二人の姿を、夕夏はパソコンの隙間から見ていた。矢崎が楽しそうに笑っている。
自分との時はあんな風に笑っていなかったのにと悔しくなり、夕夏は下唇を強く噛んだ。
唇が切れて、赤い血がピンクの口紅に滲んだ。
段々と二人を見ている事が辛くなってきて、夕夏はトイレに逃げた。鏡を見ると、ピンクだったはずの夕夏の唇は、血が滲んで澱んでいた。
あいつのせいだ。
どこかから、そんな声が聞こえてきた。
その時、恵がトイレの中に入ってきた。夕夏に気づいた恵が、小さく会釈をした。
恵が夕夏の横に並んで立った。夕夏は、恵の唇が気になって仕方がなかった。同じ色であることが無性に不快だった。
そんな夕夏の気持ちに全く気づいていない恵は、隣で化粧直しを始めた。
「矢崎先輩って」
「え?」
急に話しかけられて、夕夏は焦った。
「素敵な人ですよね。矢崎さん」
恵のこの言葉で、夕夏は頭に血が上ってしまった。
「凄く丁寧に仕事を教えてくれるし、優しいし、大人だし」
「そう……ね」
「彼女いるのかなあ」
恵が独り言のように言った。わざと言っているのかもしれないと、夕夏は疑った。
「いるんじゃない」
「はー、そうですよね。あんなに素敵な人ですもん。彼女さんが羨ましいです」
なんて、悩ましげに言うのだ。今の恵の言葉で、夕夏の腹は決まった。
「恵ちゃん」
「はい?」
夕夏は鞄の中から口紅を取り出し、恵に差し出した。
「この口紅、恵ちゃんに似合うと思うんだ。良かったら塗ってみて」
「うわぁ、綺麗な赤。でも、私、赤は塗った事がないんですよ」
「矢崎さん、赤い口紅が好きらしいわよ」
「え、そうなんですか?」
「驚かしてあげたら」
夕夏の目には、恵が迷っているように見えた。
そこですかさず、「矢崎さん、最近、彼女とうまくいってないみたいだし」と、背中を押してあげた。
「……塗ってみようかな」
夕夏の言葉に背中を押された恵が、鏡を見ながら赤い口紅を慎重に塗り始めた。恵の白い肌に、赤い口紅は美しく映えた。恵が驚いたように声を上げた。
「なんだか自分じゃないみたいです」
夕夏は恵の赤い唇を見つめながら、これで矢崎が自分の元に戻ってくると確信していた。
「先輩、ありがとうございます」
「いいのよ。頑張ってね」
いかにもいい先輩風を装いながら、夕夏は恵に微笑みかけた。恵は嬉しそうにトイレを出て行った。
夕夏は、出ていく恵の背中をねっとりとした目で見つめながら、嫌な笑いを浮かべていた。
きっと矢崎はこう言うはずだ。
『ここは会社なんだよ。そんな赤い口紅おかしいよ』
恵がそう言われている姿を見逃すわけにはいかないと、夕夏は足早に部屋に戻っていった。
つづく




