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お喋りな口紅  作者: はる
11/19

第11話

 その時、子供が大声で泣き出した。


 母親が子供を抱きしめながら、夕夏を睨みつけてきた。居た堪れず、夕夏は逃げるようにその場を立ち去った。


 もしかしたら、口紅が取れかかっているのかもと不安に陥った夕夏は、会社に着くなりトイレに駆け込んだ。


 鏡を見ると、口紅は一切取れてはいなかった。



「どうして、あんな事言うの?」



 夕夏は、自分の唇に問いかけた。問いかけてすぐに気づいた。唇に意思などない。



 疲れているのかも知れない。



 夕夏は、その言葉で自分を納得させることに成功した。


 鏡の中の夕夏の唇が笑ったように見えたのも、気のせいだ。新しい職場のストレスがそうさせているのだと、夕夏は自分に言い聞かせた。



 そんな事があるわけない。



 あまりにも馬鹿馬鹿しい考えを持ってしまったことに苦笑し、夕夏はその馬鹿げた考えを綺麗さっぱり捨て去った。


 夕夏は気を取り直して、部屋に入っていった。矢崎を見つけ、早足で近づいていった。



「おはようございます」



 明るい声で挨拶をした。いつものように笑ってくれるのかと思いきや、矢崎が引き攣った表情でこちらを見ている。そして、矢崎が夕夏の手を掴み、部屋の隅に連れていった。 


 掴まれた手首が痛かった。



「痛い。離して」


「なんだよ、その口」


「え?」


「口紅、塗り過ぎだよ」



 塗りすぎ?そんなはずはない。



 夕夏が黙っていると、矢崎は苛立った口調で続けた。



「会社でその色はまずいよ」


「でも」


「俺が怒られるんだよ。お願いだから、取ってきてもらえないかな」


「それは無理です」


「どうして?」


「それは……」


「夕夏、ここは会社なんだよ。そんな赤い口紅おかしいよ」



 夕夏はどう説明すれば矢崎にわかってもらえるのか、そのことだけを考えていた。



「君もプロジェクト任されたとこなんだから、自覚しないと。早く取ってこいよ」



 すぐに動かない夕夏に腹を立てたのか、矢崎はいつものように優しくはなかった。



「まるで、口裂け女みたいだよ」



 矢崎が吐き捨てるように言った。


 矢崎の言葉が終わるか終わらないかの時、夕夏の唇がまた勝手に動き始めた。小声で何かをブツブツと呟いている。



「夕夏?」



 矢崎が眉をしかめ、夕夏の顔を覗き込んできた。



「……お前の口も裂いてやる」



 夕夏の暴言に、矢崎の表情が一瞬で凍り付いてしまった。



「違うのこれは。私が言ってるんじゃないの」



 夕夏は焦って否定したが、矢崎は冷めた表情で言った。



「俺を失望させないでくれよ」



 吐き捨てるように言ったあと、矢崎は夕夏から逃げるように離れて行った。矢崎の背中が自分を拒否しているように見え、追いかける事が出来なかった。


 心を落ち着けようと、夕香はトイレに向かった。


 トイレの鏡の前に立ち、自分の唇を確認するように見た。



 口紅は落ちていない。なのに、何故……。



「どうしよう」



 夕夏は、泣きそうになりながら携帯の待ち受けを見た。前回のデートで撮った、夕夏と矢崎のツーショット写真を待ち受けにしていた。



 この時はこんなに楽しかったのに。



『俺を失望させないでくれよ』



 先程の矢崎の言葉が、頭の中でこだましている。




                    つづく

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