第10話
「調子いい奴」
隣に立っていた光仲が、驚いたように夕夏を見た。
それでも夕夏の口は止まらない。
「ダセエ」
夕夏は慌てて口を両手で押えた。
「今なんて?」
光仲が確認するように、ゆっくりと尋ねてきた。たぶん信じられないのだろう。
夕夏は手で口を押えたまま、首を横に大きく振った。
幸い、先程の暴言は光仲にだけ聞こえていたみたいで、田辺も矢崎も気づいていないようだった。
夕夏がお辞儀をすると、田辺たちが一斉に拍手をした。夕夏は顔をこわばらせながら、再び頭を下げた。
顔を上げた時、光仲と目が合った。光仲が怪訝そうな表情をしつつも、皆と一緒に拍手をしていた。
なんとか誤魔化せそうな雰囲気ではあったが、今の夕夏には余裕がなかった。手で押さえていないと、口が勝手に動きそうになるのだ。
夕夏は、自分の身体の一部を押さえ込めない事実に恐怖を感じていた。勝手に動きそうになる口を、夕夏は必死で押え続けた。
今日のあれはなんだったのだろう。
夕夏はお風呂に浸かりながら、今日の悪夢を思い出していた。
「なんで、勝手に言葉が……」
夕夏は濡れた手で唇を触りながら、不安な気持ちになっていた。
「色が足りないのかもしれない」
明日は、もっと口紅を濃く塗ろう。
口紅が取れてしまわないように、こまめに塗り続けなければ。
翌朝、夕夏は何度も何度も口紅を塗りたくった。髪の毛や服装、そんなものはどうでも良かった。
とにかく口紅さえ取れなければ……。
何度も口紅を塗り重ねていたので、いつもより家を出る時間が遅れてしまった。
夕夏は、早歩きでバス停に向かった。バス停が夕夏の視界に入った時、前から母親と手を繋いだ幼稚園児が歩いてきた。
すれ違いざまに、子供が叫んだ。
「化け物だ。怖いよー」
一瞬、誰のことを言っているのだろうと、夕夏は周りを見回してみたが、自分以外の人間がこの場にいないことに気づいた。
まさか、私のこと?
「こら、そんな事言ったら駄目でしょ」
母親が慌てたように、子供の口を塞ごうとした。
「だって、口が血で真っ赤だよ」
子供の言葉に、夕夏の足が止まった。子供が怯えたような表情で夕香のことを見ている。
何故だか、無性に腹が立った。
夕香は子供を睨みつけながら、口を大きく開け、叫んだ。
「お前も食ってやろうか」
夕夏の暴言に、子供と母親が凍りついたように立ちすくんだ。
唇が勝手に笑っている。
夕香は、自分の口から出た暴言にショックを受けていた。思ってもいない言葉が、勝手に口から出ることが恐ろしかった。
――まるで、生き物みたいだ。
つづく




