焼酎の湯切り割り
カップやきそばを作る際のアレの話をします。
カップやきそば現象なる理屈がある、らしい。
焼きそばが食べたい気分とカップやきそばが食べたい気分はまったくの別物であり、代替物として作られたはずのものが独自の需要を生み出すことをいう、らしい。検索して調べました。
そりゃそうだ。だってカップやきそば、焼きそばじゃねえもん。
お湯を入れて、3分待って、お湯を捨てて、ソースをからめてできあがり。焼いてねえもん。
――賢明なる読者の皆様にはお見通しであろうが、私は前述の工程で、最初にかやくを入れ忘れている。慌てて麺の中に沈めたもののふやけてもいないかやくをコリコリ齧らねばならぬ。これが作り方に背いた咎人の姿だ。
ところで、皆さん、カップやきそばを作る手順に疑問を持ったことはないだろうか。
手順に従ってさえいればカップやきそばは完成する。かやくを入れ忘れることがまれによくあるが、するったらする。結構なことだ。だが、湯切りをしながらシンクがベゴンッするのを聞いて、こう思いはしないだろうか。
お湯を捨てるのは、どうにももったいない気がする。
MOTTAINAIの精神の下、立っているものは親でも使う日本人である。なら湯立っているものを惜しいと思うのは当然のことだろう。と、ドヤ顔でキーボードをッターンしているものの、『湯立つ』という言葉が当然あると思って検索をかけたらひっかからなかった。気になる。方言なのだろうか。備忘録的に書き残しておく。
それはともかく湯切りもったいない問題である。だいたい3~5分もの間、麺が完成するまで苦楽を共にしたお湯を「捨てろ」というのは無慈悲が過ぎないか。スパイ養成所じゃないんだぞ。
この社会問題について、東北・信越地方は頭ひとつ抜けてリードしている。地域限定のカップやきそば『焼きそばバゴォーン』には、わかめスープの粉末が付属している。要は湯切りするはずのお湯でわかめスープを作ればいいじゃないというのである。慈悲深い。きっとカップの底も当社比で深い。
東京にはバゴォーンがない。この事実は「東京には冷たいラーメンがない」と並ぶ、山形にUターンする理由の二大巨頭である。バゴォーンの慈悲を得られない上京組は、湯切りによってシンクがベゴンッするのを聞いて「故郷に帰ろう」と咽び泣くのだ。
他に粉末スープがついているカップやきそばといえば、北海道限定の『やきそば弁当』もそうらしい。バゴォーンとやきそば弁当の販売元はどうやら同じ。やはり雪国のつながりは厚い。新潟っ子も道産子も、上京先でシンクがベゴンッするのを聞いて「故郷に帰ろう」と咽び泣くのだ。
粉末スープは確かに「お湯どうしよう問題」の受け皿として素晴らしい。だが、それでも問題を完全に解決するには至っていない。どういうことかというと、以下の数字を見てほしい。
やきそばに必要な湯量は500ml強。
わかめスープの適した湯量は150ml程度。
余る。
明らかに捨てるお湯の方が多い。それって根本的な解決になってないですよね。
しかしそんな忸怩たる思いを抱えていたのは少年時代の話。
500mlと150mlの差分に具体的なイメージを抱けるようになった大人は「スープに使いきれなかったお湯は酒にすればいいのではないか」という真理の扉を開ける。
そう、「何にでも合う」でおなじみの焼酎甲類である。
実際のところは「何にでも合う」というより、「好きな飲み物なんでも酒にできる」のが焼酎甲類の強みだと思っている。いちご牛乳で割ってみたけど全然いけた。子どもっぽい飲み物を焼酎で割ったときの「よろしくないことをしている」感じはクセになる。
ということで、150mlのわかめスープを作った後、レギュラー缶1杯分350mlマイナス乾麺に吸われた量プラス焼酎でプラマイゼロの「湯切り割り」作成に取り掛かる。せっかくなので注ぐ先には透明なグラスを。乾麺やかやくと3分間を過ごしたお湯とはどんなものなのか、じっくり見てみよう。カップを傾けると、湯切り口からグラスに湯が注がれる。
色が、ついている。
僅かではあるが、麺の色が少しだけ溶けたような、微妙な色付きの液体になっている。やはり我々がこれまで捨てていたのは、ただのお湯ではなかったのだ。シンクにもベゴンッされるわけだよ。
じゃあ味はついているのかと言えば……微妙。ほんのりするかしないか、いや、しないと言っていい具合である。裏を返せば、乾麺やかやくの旨味だか何だかが染み出していないということで、それは商品のハイクオリティーの証左なのである。
ということで、皆さんもカップやきそばを食べるときは、シンクをベゴンッさせる前にお湯の使い道を考えていただければ幸いです。焼酎をお湯で割ると酔いの回りが早くなって良いよ。どれ、カップやきそばを作るために沸かして余ったお湯をシンクへ
ベゴンッ
故郷に帰ろう。




